奈々子 伊藤左千夫

 今日は、伊藤左千夫の「奈々子」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 伊藤左千夫は正岡子規と深い関わりのあった歌人です。ぼくは伊藤左千夫の小説を読むのは初めてなんですが、序盤は朗らかな親子の物語で、遊びの描写が生き生きとしてすてきで引き込まれました。起承転結がみごとな家族小説で……読了後にもういちど読み直してみると、金魚の不幸が大人たちの不注意さを暗示していて、物語上で重大な伏線になっているのだと思いました。後半は厳しい状況が描かれ、いったい何が起きたのか事態の検証が行われるんです。長らく栄えるのは、こういう人々なのではと思いました。明治の終わりに書かれた小説です。
 

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老人と海 ヘミングウェイ

 今日は、ヘミングウェイの「老人と海」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは1952年に出版されたヘミングウェイの中編小説です。さいしょは対話が大部分を占めているのが印象に残りました。
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 「じゃあおやすみ、サンチャゴ」
 少年は出て行った。quomark end - 老人と海 ヘミングウェイ
   
 というところからずっと一人で、老人と海を描く物語が展開します。本文こうです。
quomark03 - 老人と海 ヘミングウェイ
  老人はすぐに眠りに落ち、アフリカの夢を見た。彼はまだ少年だった。広がる金色の砂浜、白く輝く砂浜。目を傷めそうなほど白い。高々とそびえる岬、巨大な褐色の山々。最近の彼は毎晩、この海岸で時を過ごすのだった。彼は夢の中で、打ち寄せる波の音に耳を傾け、その波をかき分けて進む先住民たちの舟を眺めていた。quomark end - 老人と海 ヘミングウェイ

 重要なところで「ライオン」や「雪山」というような、大きな隠喩を記すのがダイナミックでみごとに思いました。老人が魚を釣り上げたところの描写がなんとも独特なんです。釣れかけているところで、むかし釣り上げた魚の描写が入ったり、大魚とほぼ同時に、べつの魚が釣れてしまってこれを意図的に切り落としたります。「別の魚を引っ掛けたせいで奴を逃がしたら、その代わりがいるか? 今さっき何の魚が食いついたのか、それは分からん。」とか大魚を釣り上げるために、とりあえずさっき釣れたマグロを生で食っている描写とか、大魚をひっぱりつつ金色のシイラを釣り上げて食うとか、釣れている状態と言えるのか釣れていない状態なのか、どっちか分からないという奇妙な状態が、たいそう長くつづくのがなんだか不思議なんです。本文こうです。
quomark03 - 老人と海 ヘミングウェイ
  彼は、斜めに走るロープの先の暗い海を見下ろした。食わなきゃいかん、手に力をつけるんだ。手が悪いわけじゃない。もう長い時間、あの魚とこうしているんだからな。永遠にでも続けてやる。さあ、マグロを食わねば。
 一切れをつまみあげ、口に入れて、ゆっくり噛んだ。まずくはない。
 よく噛んで、残らず栄養を吸収するんだ。quomark end - 老人と海 ヘミングウェイ
 
「漁ができた」と言えるのか「漁ができなかった」と言えるのか、判別できないのがなんだかすごいんです。「漁ができなかった」という証拠も、序盤や終盤であまたに記されていくんです。
 この二分割できない文学的な描写が進展していって、魚と人が入れかわるような描写にもなったりもします。「奪う側」と「奪われる側」というような二分が出来ずに、人間と動物や、現実と幻想や、古代と近代が、奇妙に混じりあってゆくのが、見事に思いました。中盤では、大魚を射止める、ということを、月を射止めることに喩えたりもしていて壮大な古典文学みたような描写もありました。
 老人がただ一人で魚を釣って……帰ってきた、という大まかなあらすじとはまったく異なる、ひとことで言いあらわせない何だかが、書き連ねられた文学に思いました。ゴールドラッシュの黄金時代を連想させる作品に思いました。こういう本を再読したくていろいろ本を探していたのだと、思いました。
 

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本作品は石波杏氏によって翻訳され「クリエイティブ・コモンズ 表示 2.1 日本 ライセンス」で公開されています。詳しくは本文の底本をご覧ください。
 
 
 

かすかな声 太宰治

 今日は、太宰治の「かすかな声」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは物語をあまたに描いた太宰治にしてはめずらしく、話のスジがほとんどない、散文詩のような短編でした。乱雑に並べた名言集のような、展開がなく、オチのない作品なんですが、このような掌編であってもやはり太宰治の独特な個性が表れているのが不思議に思いました。

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富籤 アントン・チェーホフ

 今日は、アントン・チェーホフの「富籤」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 宝くじの9割くらいの数字が当たっていることを発見した状態で、のこりの1割の数字を見る前に、もし大金が手に入ったらいったいなにをしようか、ということを妙に考えはじめる。真面目な労働の対価を得るのではなくて、想定外のお金が手に入る……ということを、ずいぶん詳細に考え続ける男女の話で、これは……仮想の物語を詳細に書きあらわす、ということにも共通している話しに思いました。小説を作るという構造そのものの仕組みにも似たことが論じられているように思いました。ふつうなら考えられない金のことを考えてみる。すごい物語を描き続けたドストエフスキーが、どうしてギャンブルに夢中だったのかとか、そういうことも想起させられる小説でした。
 

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追記  ここからはネタバレになると思うんですが……今とまったく異なる人生の展開を思い描くうちに、今ここの生きかたがズレてしまって、男女の間で諍いが起きる。新しい想定が見えすぎる人というのは、見えざる不和や苦労を背負い込むのでは、と思いました。さいごの言葉がほんとに、こんなに苦々しく笑うこともめったにない、と思いました。男のくやしまぎれの悪態というのが、表面上の言葉を突き抜けて、圧倒的なユーモアに到達しているという、絶妙なオチでした。

湖南の扇 芥川龍之介

 今日は、芥川龍之介の「湖南の扇」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 中国は湖南の情景と、二〇世紀前半の不気味さが漂う、紀行文のような描写からはじまる文学作品です。芥川龍之介は平安末期の羅生門の惨状を描きだしたり、荒廃や死骸というのにものすごいこだわりがあるように思います。
 芥川龍之介が中国を旅したのは1921年(大正10年)のことで、その時に湖南を訪れています。物語はまず、労働者たちの不穏な人間関係が描きだされてから、つい最近起きた強盗団の斬首刑のことが語られます。主人公の「僕」はかつて日本で知り合った留学生の譚と偶然にも再会する。彼の案内で、「僕」は芸者のいる妓館で食事をすることになる。芸者の美女が幾人か現れて、主人公の「僕」と豪勢な食事をします。……このあとの、不気味なビスケットについては、ぜひ本文をご覧になってください。平安末期の荒廃した京都を描きだしたあの芥川龍之介が、中国の湖南を描くとこうなるのか、という鮮烈な印象の物語でした。百数名もの犠牲者がいる悪漢の……愛人だった女性が、娼館に現れるんです。極悪人の娼婦だった玉蘭という女です。
 その玉蘭の憂いある行動と発言に、衝撃を受けました。魯迅の文学にも通じるような、みごとな作品でした。
 

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追記  これは完全にネタバレなので、先に本文「湖南の扇」を読んだほうが良いと思うんですが……悪漢が刑死し、当時の俗習に従って血を瓶詰めにした者が居たようで、この血を吸いこませたビスケットが登場するんです。そういえば二月のバレンタインもじつは血塗られた歴史からはじまった記念日だったよな……と思いました。

板ばさみ オイゲン・チリコフ

 今日は、オイゲン・チリコフの「板ばさみ」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 ゴーゴリが「死せる魂」を書いた時にも検閲の問題は起きていたわけで、近代と検閲には深い関わりがあるように思います。この小説では、検閲官のほうが主人公なんです。作家と逆の立場のほうを描いていて、敵陣のほうの考えを中心にして描いているんです。
 検閲というのはどういうように生じるのか、この物語では、表現者の中心に立つ人のほうが具体的な検閲をやりはじめているんです。検閲官の考えのほうを忖度して、自主的に規制していってるんです。今回の検閲官には思想らしきものは無いんです。実際の文章とかはいっさい見てないで、検閲の内容というのはほんとに空っぽなんです。表現者の内なる検閲ということのほうが、検閲の本体になっているんです。ここまでは言って良い、ここからは言うわけにはいかない、という線引きがどうも編集長や論者にはあるようなんです。それは空っぽなままの検閲官よりも、かえって厳しい基準になっています。現実にはもっと明確な方針がある場合が多いと思うんですけど、近代やこの物語内部では、たぶんこういうように、検閲官はただの壁のようになっていて自主的な方針は無いんです。平和と権威を重んじる長官の命令と、新聞社編集長の方針、この二者のあいだに挟まれていて、原稿をまったく読まないし、さらには文章の内容も理解しがたくなっているわけで、検閲の手順は空洞化しているんです。
 そういう検閲官の空虚な仕事のなかで、ひとつの事件が起きます。外交問題を描いた記事で、クリユキンという作者の革命思想というのが、国家としては見逃せない危険思想なのでは、というような疑いが生じてくる。主人公の検閲官プラトンとしては、クリユキンの記す「革命」という言葉がどうも検閲して削除すべきものに思えてきた。フランス革命については誰もが書いていることであって、これを禁書とするというのは、ずいぶんムチャクチャなんです。もう検閲官プラトンは、ちょっと頭がゆるんでいて「フランス」と書いてあるとぜんぶ検閲して消してしまう。それまではどんな記事も読まずに、全部通してしまって、給料だけもらう変人だったのが、こんどは「フランス」という言葉を消しつづける役人という大迷惑なことをしはじめてしまう。
 いっぽうで、ほんとに検閲すべき、深刻な偽情報の新聞記事は、内容をちゃんと読んでいないので、ぜんぶ通してしまって、長官からお叱りを受けてしまう。そうなると、検閲官プラトンは困ってしまって、すごく大ざっぱに「個人攻撃をしている」ものは深刻な偽情報である可能性があるかもしれないし、これを消しはじめるんです。もうようするに、検閲する能力が無い人こそが、この検閲という仕事をえんえんやっていることになるんです。困っている人が困っている場所にずーっと居つづけるみたいなことが起きている。これは他人ごとじゃ無いなー、とか思いました。ここは苦手分野、というのが誰にでもあると思うんですけど、苦手分野ゆえにそこから抜け出せないわけで、要職でこういうことが起きちゃうと困るだろうなあー、と思いました。ふつうは得意分野のほうに移行してゆけると良いと思うんですが。
 これは検閲官プラトンだけが悪いわけでも無く、二種類の大組織の欠陥部分になっていて、上手く刷新できないのが困るように思います。ついにプラトンは心労で寝込んでしまうのでありました……。本文はもっとユーモラスというか滋味に富んだ小説なんです。中盤から後半あたりから、ため息と苦笑いに包まれる物語でした。
 

0000 - 板ばさみ オイゲン・チリコフ

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