花を持てる女 堀辰雄

 今日は、堀辰雄の「花を持てる女」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 堀辰雄が、父やおじの病について記しています。苦について書いているはずなのに、苦を増幅しないところが、ふだん読む文章とまるでちがっていて文学だと思いました。本文こうです。
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「雪の下がきれいに咲いたものですね、こんなのもめずらしい。……」私はその縁先きちかくに坐りながら、気やすげにそう言ってしまってから思わずはっとした。
目を患っているおじさんにはもうそれさえよく見えないでいるらしかった。しかし、おじさんは、花林かりんの卓のまえに向ったまま、思いのほか、上機嫌じょうきげんそうに答えた。
「うん、雪の下もそうなるときれいだろう。」quomark end - 花を持てる女 堀辰雄
 
 ほかにも、母の若いころのことをよくしらないので仕事はどういうものだったのだろうか、と空想を広げていて、谷崎潤一郎の「吉野葛」のようなことを考えていたりします、華やかなのかそうではないのか……。堀辰雄は、父だと思い込んでいた人が養父だった、という事態を丁寧に記しています。生老病死だけを書いているはずなのに、不安な気配のまったくないことに驚きました。みごとな自伝的小説でした。
 

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きりぎりす 太宰治

 今日は、太宰治の「きりぎりす」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 「おわかれいたします」という妻からの言葉ではじまる独白のような小説です。伴侶と別れる……となると学校を卒業してもうずっと会えなくなるとか、ふるさとを離れて都会に出るのだとか、恋人と別れることになってしまって悲しいとか、いうこと以上の厳しい事態なわけですけれども、太宰治はそこで、人間性の激しい否定というようなことをちっとも記さずに、幽かな小言のように、柔らかく書き記してゆくんです。なぜ近代の女性性というのをここまで確実に書けるんだろうかと、読んでみて衝撃を受けました。なんともみごとな小説で……事実から遠く離れない描写をすることによって、迫力が出ているように思うんです。どこにでもありそうなことを積み重ねて書いているんです。100年経ってもありえそうな、大陸の片隅でも愛読されそうな、素朴なことだけを書いています。ほんとうにちょっとした、ごく静かな小言のように見える範囲で、重大なことを言っているんです。聞こえないほど小さな声を記すのが文学なんだ、と思いました。終盤の一文が印象に残りました。本文こうです。
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  この小さい、かすかな声を一生忘れずに、背骨にしまって生きて行こうと思いました。quomark end - きりぎりす 太宰治
  

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侏儒の言葉 芥川龍之介

 今日は、芥川龍之介の「侏儒の言葉」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回いちばんはじめに、芥川龍之介が論じているのは、クレオパトラの鼻が変だったときに、恋人はいったいどう考えるのか、という問題でユーモアを交えつつ、こういうことを指摘しています。
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  恋人と云うものは滅多に実相を見るものではない。いや、我我の自己欺瞞ぎまんは一たび恋愛に陥ったが最後、最も完全に行われるのである。(略)我我の自己欺瞞はひとり恋愛に限ったことではない。我々は多少の相違さえ除けば、大抵我我の欲するままに、いろいろ実相を塗り変えている。quomark end - 侏儒の言葉 芥川龍之介
  
 「1984」に描かれるような事実の改変は、人間や組織人ならとうぜんのように、やってしまう。自己欺瞞と「壮厳な我我の愚昧」というのが、永々つづくよと、芥川は指摘しています。この「侏儒の言葉」は、英知を学ぶということと、とんでもない話しを聞いて目を見ひらく、というのとが並行して書き記されています。
 これはさすがにふざけて書いたんだろうというような箇所もいくつか見受けられます。モーパッサンに対する評もたった一文だけで、奇妙なんです。「モオパスサンは氷に似ている。尤も時には氷砂糖にも似ている。」と書いていてただのことば遊びだろうと思う箇所や、詩としてみごとな箇所もあって、諧謔の書としても読めるんです。再読であっても新鮮に読めて、すごいように思いました。
 いっぽうで暴力や迫害に関する考察は、哲学書のごとき思弁に富んだ内容に思いました。近代の社会主義者の言い分はいま読むと当然のことを言っているだけなのになぜ彼らは迫害されねばならなかったんだと思っていた時に、芥川の「迫害を受けるものは常に強弱の中間者である」という指摘が腑に落ちました。
quomark03 - 侏儒の言葉 芥川龍之介
  強者は道徳を蹂躙じゅうりんするであろう。弱者は又道徳に愛撫あいぶされるであろう。道徳の迫害を受けるものは常に強弱の中間者である。quomark end - 侏儒の言葉 芥川龍之介
 
 全体の12%のところや60%近辺で記される、芥川龍之介による軍人批判も学ぶところがあるように思いました。くわしくは本文を読んでもらいたいのですが、「帝王」に関する考察も興味深いです。
quomark03 - 侏儒の言葉 芥川龍之介
 ナポレオンは「荘厳と滑稽との差は僅かに一歩である」と云った。この言葉は帝王の言葉と云うよりも名優の言葉にふさわしそうである。quomark end - 侏儒の言葉 芥川龍之介
   
 この指摘は、数十年後のナチスと「チャップリンの独裁者」に関する、適切な未来予測のようにも思います。芥川龍之介は独裁者に関してこう指摘しています。「一度用いたが最後、大義の仮面は永久に脱することを得ないものである。もし又強いて脱そうとすれば、如何なる政治的天才も忽ち非命に仆れる外はない。つまり帝王も王冠の為におのずから支配を受けているのである」ほかにも芥川はこう記します「我我人間の特色は神の決して犯さない過失を犯すと云うことである。」現代の独裁者について考えてみたい、という人にとってこの「侏儒の言葉」にはさまざまな示唆があるように思います。
quomark03 - 侏儒の言葉 芥川龍之介
 革命に革命を重ねたとしても、我我人間の生活は「選ばれたる少数」を除きさえすれば、いつも暗澹あんたんとしているはずである。しかも「選ばれたる少数」とは「阿呆と悪党と」の異名に過ぎない。quomark end - 侏儒の言葉 芥川龍之介
    
 中盤52%のところに記される「罪」に関する考察がみごとでした。諧謔に富む名言、というのを堪能したように思いました。恋愛論や芸術論も魅力的で、いろんな読み方の出来る本だと思います。
 

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外套 ゴーゴリ

 今日は、ニコライ・ゴーゴリの「外套」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 ウクライナ生まれのゴーゴリの文学作品を読んでみました。
 ゴーゴリの描く外套は……極寒の地において暖がとれ衣食住がやっと整ったという意味あいもありそうで、ボロボロになった外套をあきらめ、新しい服を手に入れようと決意してこれがやっと実現した時の、主人公の喜びは迫力のある描写に思いました。
これは1840年に記された小説なのですが、このころのウクライナの文化についてはwikipediaに少し記されていました。
 ここからはネタバレになってしまうので、未読の方は本文だけを読んでもらいたいのですが、後半の、事件を解決するためのロビー活動のことが印象に残りました……。要人に対面して折衝を願い出て、これが無碍に廃棄されてしまうのが哀れでした。初見の時は気がつかなかったのですが、正しい側や被害者側は問題解決に向けての努力が必要となってしまい、それらの努力が不運にも壊されてしまうのがおそろしく思いました。有力者の「閣下」の言い分はずいぶんおかしい。有力者は主人公の事情を鑑みず無碍に威圧すると、彼は青ざめてしまいます。翌日から仕事が出来なくなり、病にかかって亡くなってしまう。主人公は新調した外套について誉めそやされて良い気分になって気が緩んでしまい、それが原因で不幸に見舞われ大病に陥っていて、この禍福をあざなう描写が忘れがたいものに思いました。有力者はさいご、死者の蒼白な顔がまるで忘れられなくなるのでした。
 

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ウクライナ情勢に関しては、CNNNHKと、wikipedia、が参考になると思いました。
yahooネット募金にて、ウクライナの緊急人道支援が必要とされています。

器楽的幻覚 梶井基次郎

 今日は、梶井基次郎の「器楽的幻覚」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 フランスから来た若いピアニストが「豊富な数の楽曲を冬にかけて演奏して行ったことがあった」。
 梶井基次郎の代表作と言えば『檸檬』で、本屋の美しさと沈鬱とを描きだした作品なのですが、その梶井基次郎が音楽の演奏会を描いた作品です……。梶井基次郎が音楽のことを描くとこうなるのかという衝撃がありました。
 ただ心地のよい音色にひたった、というところで終わらず現代美術の鑑賞体験のような不可思議な感覚について記していて、ジョン・ケージの『4分33秒』を連想させる世界が描きだされます。梶井基次郎は数十年後にこういった作品が現れうる可能性について作中で思考しているように思いました。音の愉楽のみを描きだすのではなく、するどい批評の一文もあり短編とは思えない迫力がある小説でした。
 「私の耳は不意に音楽を離れて、息を凝らして聴き入っている会場の空気に触れたりした。」という文章の前後の展開がみごとで、印象に残りました。
 

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戦争と一人の女 坂口安吾

 今日は、坂口安吾の「戦争と一人の女」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは戦時中を描いた小説で、安吾と言えば評論的随筆がもっとも有名だと思うんですが、今回のは純粋に物語小説になっています。帝国主義の呪いから解放されたところの戦後の記載が印象深かったです。終盤の描写がみごとでした。
 

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