今日は、夏目漱石の「手紙」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
旅先で、自分の人生とは無関係な、意外な手紙を発見した……というモーパッサンとプレヴォの2人の作家の物語があるんですが、漱石の登場人物の主人公も、見知らぬ手紙を発見した、というところから物語が始まります。
そういえば、コンビニのコピー機や図書館の本棚や、あるいは電車に乗っているとき目の前に、まったく関係の無いメモ書きを目撃することがあります。広告なら意味内容のある誘導的な文面になっているわけですが、メモ書きの場合は、ほんとに自分の日常と無関係なことが書いてあるわけで、それでかえって気になってしまうことがあります。偶然を無視せずに活かしている人こそが豊かな人生を歩むんだ、という話しを聞いたことがあるんですが、モーパッサンもプレヴォも漱石も、偶然みつけた手紙というのを重大視して物語を構築しています。そういえば近代の小説が五十年後に誰の手に渡るかどうかというのは、作者の想定外の人間に偶然にも届くわけで、言葉はそういった偶然性の中にあるのではと思いました。
「自分」は「偶然の重複に咏嘆するような心持ちがいくぶんかある」ので、こんかい経験したことと似た事態を、文学に探してみたりしたのでした。
「自分」のことを「叔父さん」と呼ぶ、重吉との関わりが語られ、この重吉が大学を卒業して遠い都市に引っ越す予定だというのを知って「あのこと」について主人公は議論をすることになった。「あのこと」というのは重吉の縁談のことなんですが、これを遠い都市に引っ越してどうするつもりなのか、ということです。重吉がみずから「叔父さん」にこの縁談を実現するように願い出たのが、ことのはじまりなんです。
好色の道楽がある男だけは断るが、重吉はどうなのか調べてくれと、先方の親に言われた「叔父さん」は重吉を観察して、そういう気配は無い真面目な男だというように告げるのでした。
「静」と重吉は、ちゃんと結婚ができるのかどうか、「叔父さん」はその問題を検討しているのでした。
遠い都市に引っ越した重吉に、ちょうど会える機会ができた「自分」は、さっそく重吉の住み家を訪ねた。
重吉はあいにく、すでに別のところへ引っ越してしまっていた。重吉が長らく住んでいたという部屋に案内してもらって、ここに数日ほど泊まることにした主人公は、このみすぼらしい部屋に座しました。ちょっと離れたところに住んでいる重吉をこの場所に呼びだして、2人で話し合うことになります……。
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追記 ここからネタバレですので、近日中に読み終える予定のかたは、ご注意ねがいます。やはり「お静」と結婚をしたい、と重吉は告げるのでした。ただ収入も住居もまだまだ貧しい状態なので、重吉はもうちょっと暮らしぶりが良くなってから、結婚をするつもりなのでした。
もし労働に失敗したなら結婚もながれてしまうかもしれないが、今後は東京に帰ることができてその頃には仕事も順調で上手くいっているはずだというように、重吉は考えているのでした。
この翌日、かつて重吉が住んでいた部屋に、寝泊まりした主人公の「叔父さん」は、ある手紙を発見します。
この手紙の読解をこころみて、これは「お静」が重吉にあてて書いたものだと分かった主人公は、なんだかこれを面白く読み「あの野郎」は色ごとを楽しんでいて許しがたい、というので主人公は、重吉と「お静」との関係を破談とすると主張しはじめます。議論の結果、月に十円の結婚資金を「自分」あてに送るように命じて、これで「お静」さんと親戚一同を納得させよ、というように取り決めるのでした。
じっさい重吉は毎月十円(いまでいう十万円か二十万円くらい)を結婚資金として振り込んでいたんですが、三か月目には七円となってしまった。本文こうです。
自分から見ると、重吉のお静さんに対する敬意は、この過去三か月間において、すでに三円がた欠乏しているといわなければならない。将来の敬意に至ってはむろん疑問である。
漱石作品の中では、ユーモラスさの際立つ、すてきな文学作品であるように思いました。