なぐり合い トオマス・マン

 今日は、トオマス・マンの「なぐり合い」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは「戦争後まもない頃で、力だの勇気だの、なんでも荒くれた美徳が、おれたち少年の間では非常にもてはやされ」ていた時代の、西洋の少年たちの悪漢小説です。「ヤッペとド・エスコバアルとがなぐり合いをする」ことになり、これを見物しに行く「おれ」が、この少年たちの対決をまのあたりにします。

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 ネタバレ注意なので、近日中に読み終える予定の方は、先に本文を読むことをお勧めします。「クナアク先生」というのが中盤で登場して20数回も記載されるのですが、この唯一の大人が決闘の見届け人となっていて、少年の犯罪を防ぐ目的もあるようで、あるていど拳闘のルールが決まるのでした。ただ競技とはまったくちがっていて、暴力や犯罪に密接しているところがあるのでした。この「おれ」と「先生」というのが、作家の立ち位置や考えに近いのでは、と思いながら読みました。
 闘いが終わったあとの、荒んだ集団の異様な熱気をまのあたりにし、ジョニイと「おれ」がそこから去ってゆく、この前後の場面が、印象的な物語でした。

手紙 夏目漱石

 今日は、夏目漱石の「手紙」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 旅先で、自分の人生とは無関係な、意外な手紙を発見した……というモーパッサンとプレヴォの2人の作家の物語があるんですが、漱石の登場人物の主人公も、見知らぬ手紙を発見した、というところから物語が始まります。
 そういえば、コンビニのコピー機や図書館の本棚や、あるいは電車に乗っているとき目の前に、まったく関係の無いメモ書きを目撃することがあります。広告なら意味内容のある誘導的な文面になっているわけですが、メモ書きの場合は、ほんとに自分の日常と無関係なことが書いてあるわけで、それでかえって気になってしまうことがあります。偶然を無視せずに活かしている人こそが豊かな人生を歩むんだ、という話しを聞いたことがあるんですが、モーパッサンもプレヴォも漱石も、偶然みつけた手紙というのを重大視して物語を構築しています。そういえば近代の小説が五十年後に誰の手に渡るかどうかというのは、作者の想定外の人間に偶然にも届くわけで、言葉はそういった偶然性の中にあるのではと思いました。
 「自分」は「偶然の重複に咏嘆えいたんするような心持ちがいくぶんかある」ので、こんかい経験したことと似た事態を、文学に探してみたりしたのでした。
 「自分」のことを「叔父さん」と呼ぶ、重吉との関わりが語られ、この重吉が大学を卒業して遠い都市に引っ越す予定だというのを知って「あのこと」について主人公は議論をすることになった。「あのこと」というのは重吉の縁談のことなんですが、これを遠い都市に引っ越してどうするつもりなのか、ということです。重吉がみずから「叔父さん」にこの縁談を実現するように願い出たのが、ことのはじまりなんです。
 好色の道楽がある男だけは断るが、重吉はどうなのか調べてくれと、先方の親に言われた「叔父さん」は重吉を観察して、そういう気配は無い真面目な男だというように告げるのでした。
 「静」と重吉は、ちゃんと結婚ができるのかどうか、「叔父さん」はその問題を検討しているのでした。
 遠い都市に引っ越した重吉に、ちょうど会える機会ができた「自分」は、さっそく重吉の住み家を訪ねた。
 重吉はあいにく、すでに別のところへ引っ越してしまっていた。重吉が長らく住んでいたという部屋に案内してもらって、ここに数日ほど泊まることにした主人公は、このみすぼらしい部屋に座しました。ちょっと離れたところに住んでいる重吉をこの場所に呼びだして、2人で話し合うことになります……。
 

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追記 ここからネタバレですので、近日中に読み終える予定のかたは、ご注意ねがいます。やはり「お静」と結婚をしたい、と重吉は告げるのでした。ただ収入も住居もまだまだ貧しい状態なので、重吉はもうちょっと暮らしぶりが良くなってから、結婚をするつもりなのでした。
 もし労働に失敗したなら結婚もながれてしまうかもしれないが、今後は東京に帰ることができてその頃には仕事も順調で上手くいっているはずだというように、重吉は考えているのでした。
 この翌日、かつて重吉が住んでいた部屋に、寝泊まりした主人公の「叔父さん」は、ある手紙を発見します。
 この手紙の読解をこころみて、これは「お静」が重吉にあてて書いたものだと分かった主人公は、なんだかこれを面白く読み「あの野郎」は色ごとを楽しんでいて許しがたい、というので主人公は、重吉と「お静」との関係を破談とすると主張しはじめます。議論の結果、月に十円の結婚資金を「自分」あてに送るように命じて、これで「お静」さんと親戚一同を納得させよ、というように取り決めるのでした。
 じっさい重吉は毎月十円(いまでいう十万円か二十万円くらい)を結婚資金として振り込んでいたんですが、三か月目には七円となってしまった。本文こうです。
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  自分から見ると、重吉のお静さんに対する敬意は、この過去三か月間において、すでに三円がた欠乏しているといわなければならない。将来の敬意に至ってはむろん疑問である。quomark end - 手紙 夏目漱石
 
 漱石作品の中では、ユーモラスさの際立つ、すてきな文学作品であるように思いました。

 
 

猿面冠者 太宰治

 今日は、太宰治の「猿面冠者」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 作中のNevermoreというのはポーの『大鴉』にて繰り返し叫ばれた単語なんですが、今回はこの作品がどうもモチーフになっているように思いました。太宰治が人物を腐す時に、その文才もあってか強烈な印象を残すんですが、けっきょくは太宰当人による太宰治への批評に帰着していっているのが、おおよそ百年も読まれつづけた氏の文学性なのではというように思いました。今回の物語では、作家になろうとする青年の煩悶が描かれてゆきます。本文こうです。
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  主人公が牢屋で受けとる通信であるが、これは長い長い便りにするのだ。(略)たとえ絶望の底にいる人でも、それを読みさえすれば、もういちど陣営をたて直そうという気が起らずにはすまぬ。しかも、これは女文字で書かれた手紙だ。quomark end - 猿面冠者 太宰治
 
 傑作を書ける着想を得て、あわてて古本屋に向かって、貧乏のためにこのまえ自分で売ってしまったばかりの名作を手に取って、調べごとをはじめる。「鶴」という妙な小説を書いてこれを自費出版するんですが、自分で街中に自作のビラをまいておきながら酷評されて笑われてしまうと「彼は毎夜毎夜、まちの辻々のビラをひそかに剥いで廻った」というのが痛々しい描写でした。
 悶悶とした文学青年の独白が続くのですが、終盤に主人公を慕う女性が登場してからとつぜん生き生きとした……生々しい物語展開になるのが太宰治独自の構成であるように思いました。
 

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死んだ魂 エマ・ゴオルドマン

 今日は、エマ・ゴオルドマンの「死んだ魂」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは……リトアニア生まれのアメリカ人であるエマ・ゴールドマンが記した実話物語です。
 ウクライナとロシアを4ヶ月間も旅し、子どもの餓えと託児所の実情を観察してきた「私」が、飢える母子を描きだしたのがこの作品です。
 ニコライゴーゴリの描いた「権力者と詐欺師たち」という登場人物に着想を得てエマゴールドマンが描いた、寄宿舎の問題を記したもので、本作では、存在しない人間たちのことを「死んだ魂」と呼び、このリストによって賄賂の総量をふやして、多くのお金や食料を奪っている人々が居る、という状況が記されています。
 一九二二年のロシアの学校にいる子どもたちは飢えて困っている。なぜ困っているかというと、これを搾取している構造があるからで、共産主義の闇が記されてゆきます。
 階級制度がひどい世界では、現場での悪事が隠蔽されてしまって世間に広く伝えられることが無く、弱い立場の人たちだけが苦を受けつづけてしまう。不正の告発があっても「大げさなことを言うな」とか「作り話を信じるな」とか言われてしまう。これは、作家の伊藤野枝が翻訳し、大飢饉が起きる10年前のことを記した本なんですが、歴史的な事態を読み解いた短編だと、思いました。
 アナーキストのエマゴールドマンは「死んだ魂」の周辺で起きている悪徳に抗う力を求め、ここに警句を記しているのでした。
 

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ニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」の要約版を作ってみました。本文からゴーゴリの名作を全文読むことも出来ます。
  

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黒猫 エドガー・アラン・ポー

 今日は、エドガー・アラン・ポーの「黒猫」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 純文学小説と怪奇物とが入り混じったようなポーの「黒猫」を再読してみました。聖者が殺人犯の告白を聞いてこれを小説に書いたらこうなるのではないか、というような文学作品に思いました。怪奇趣味だけで読むこともできるし、文豪の名作を鑑賞する目的で読むこともできる両義的な物語だと、思いました。
 再読してみると、要点と無関係な枝葉の部分があまたにあって、これが妙に印象に残るのでした。「私」はじつは兎や犬や子猿を飼っていたし、二匹目の「黒猫」には白い毛があまたに生えている……。
「中世紀の僧侶そうりょたちが彼らの犠牲者を壁に塗りこんだと伝えられているように」、「私」は壁の中に重大なものを塗りこんでしまった。
 佐々木直次郎の翻訳文が美しく、読み応えのある小説に思いました。
  

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清心庵 泉鏡花

 今日は、泉鏡花の「清心庵」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 格調高い日本文学と言えばこの泉鏡花の名作群だと思うんですが、今回はとくに序盤の数頁が難読で、事情もなにもよく分からず、謎めいたまま、山奥の尼寺である清心庵でのできごとが描きだされます。松茸、しめじやまいたけや、あるいは赤赤とした毒蕈があたまにとれる、苔と露におおわれ尽くした山深いところにある尼寺に、謎めいている「うつくしい女衆」がひっそりとやって来ます。彼女たちは貴い人をのせるための空籠をかかえている。いったいなぜまた、こんな山奥に、空っぽの大きな籠をかついで、やって来たのか。その籠にはいったい誰が乗るのか……。
 尼寺にはおもに四人が暮らしています。山番をしているおじいさん。それから「摩耶」という名前の三十いくつの美女で「御新造さん」とも言われている富豪の奥さん。ほぼ未成年の十八歳くらいでまだ幼い少年である「お千ちゃん」。ご高齢の「尼様の、清心様」。この四人が登場人物で、「摩耶」を迎えに来た女衆がここに高貴な空籠を抱えてやって来ます。
 清心様のお寺での出来事なんですが、この尼様が、物語中はずっと不在なんです。どうして肝心なときに、ふっと出かけてしまったのか……。
 神秘的な山の物語で、茸の毒と、水の清涼さの対比が印象に残る物語でした。作家の中島敦が、泉鏡花の作品を絶賛するのも得心がゆく、文学作品でした。
 

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追記  ここからはネタバレなので、近日中に読み終える予定の方はご注意ください。じつは尼寺に、十歳なのか十八歳なのかよくわからないようなお千ちゃんという男がいる。尼寺にお邪魔していた「摩耶」という奥様をたぶらかして、このお千ちゃんと摩耶の男女が二人で、尼寺に長らく暮らしてしまっている、のではないかという妙な噂があることが中盤になって明らかになります。
 清心様はいったいなにを思って、この二人の男女を尼寺で二人きりで暮らさせてしまったのか。これには理由があって、お千ちゃんはじつは、九歳くらいの幼いころに、亡き母に連れられて、この清心庵を訪れているんです。とうじ母はたいそう困っていて、清心庵の尼様に悩みごとを相談しに来ていた。清心さまも心を込めてこの相談に乗っていたのですが、あまりに暗い打ち明け話につい怖気だってしまったのか、この母子の帰り際に、大きな声で「おお、寒寒しい」と言ってしまった。これを聞いて山路を帰っていった千ちゃんの母は、運悪く山奥で行き倒れとなってしまった。
 千ちゃんは、母の面影を求めて、十年経ってこの清心庵を再び訪れたのです。すると清心様は、こんどこそ無碍に追いはらうわけにもゆかない、この子の母を殺してしまったのは自分だろうということで、このかわいそうな千ちゃんを、母に似た「摩耶」という婦人と一緒に、尼寺に居させてあげて、そのまま尼様は尼寺からお出かけ遊ばされてしまったので、ありました。
 摩耶は、慈悲かあるいは母性によって、この千ちゃんを可愛がってしまって、食べさせてあげている。尼さんになるつもりもないのに、尼寺に住みついてしまった……。さいごの、高貴な空籠に人が居ないところと、女の美しい笑顔の描写、草叢、月明かり、夢のような女人の姿の美しさに戦慄をおぼえる、みごとな明治の文学でした。動画サイトに本作のAI音声朗読があって、これは読みすすめやすかったです。
ところで、摩耶というのは、ブッダの生母のことで、泉鏡花はこの摩耶夫人像をずっとたいせつにして信仰しつづけたそうです。