細雪(4) 谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その4を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 第一話にも登場した、雪子の婚約相手を探したがっている井谷(美容院の女主人)が、ちょっと雪子とお見合いてまえの食事会をしたいのだと言って来ます。雪子のフィアンセ候補は、フランス文化にもちょっと精通している瀬越という男なんです。
 この小説は、優雅な文化を描いているところがあると思うんですが、どこかで行き詰まったような苦しいような描写があって、印象的なんです。この本の執筆は、第二次大戦が苛烈になるころに記されたものなんです。1943年から1944年と戦後すぐに、執筆されていったものです。とくに今読んでいる上巻は、陸軍(および内務省)から発禁処分を受けて発表できなくなったあとに、1944年の初夏に書きあげている作品で、戦争中なんです。谷崎潤一郎は、戦争のあとのことを考えて書いているんだと思うんですけど、じっさいには「華氏451度」みたいに原稿が燃えて消える可能性もあったと、思います。20世紀初頭に与謝野晶子の源氏物語の原稿は地震で焼失しているんです。谷崎潤一郎も与謝野晶子みたいに1941年ごろ源氏物語を翻訳しているわけで、そのちょっとあとの1944年に「原稿が消失するかもしれない」というのは感じていたことだと思うんです。この「細雪」上巻を書きあげて私家版を出したのが1944年7月で、そのちょっと前の1944年6月に日本への空襲が来ています。八幡空襲というのです。そこからはもう大空襲が目の前で、そのころ中巻下巻を書いてゆく、当時は空襲中と焼け跡の世の中だと思うんですけど、この物語の序盤にはそういう気配は無いんです。家族の地味な幸福と展望について、三女の雪子がどういうように結婚するのか、を追っていった小説になっています。この時期に、結婚相手はみんな、赤紙で狩り出されて、帰ってくる可能性がすごく低くなってしまっている時代に、戦争のことは抜きにして、どうやって結婚しようか、どうやって家を新しくしてゆくのか、というのを静かに描きだしていて、すごい作品だなと思います。
 農業や工業の発展もあって、運良く幸福に生きられる人は数百年前よりも明らかに多くなっている。けれども当時の多くの女性は、いつ伴侶が戦争で死ぬか分からないという状況でした。雪子は妹の妙子に恋人ができたのを知り、それが順調に進展して幸福になるのを願っているんです……。谷崎が敬愛する漱石も「三四郎」で描いていた、聖書のストレイシープに関連したようなことも今回記されていました。雪子の気持ちは、1944年に取り残されつつあった若い女性の気持ちでもある、と思って読みすすめました。
  

0000 - 細雪(4) 谷崎潤一郎

装画をクリックするか、ここから全文を読んでください。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約20頁 ロード時間/約10秒)
 
「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。

■登場人物
蒔岡4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)

細雪(3) 谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その3を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 奇妙な新聞社から、蒔岡家の駆け落ち恋愛のゴシップ記事が出てしまいます。四人姉妹の妙子が起こした、結婚できずじまいに終わるかというような恋愛の記事が、これが駆け落ち未遂事件みたいなものとして実名で報道されてしまった。現代では芸能人だけがこういう記事を書かれると思うんですが、当時の新聞社は今のSNSみたいに野方図になっていたようです。妙子の駆け落ち未遂事件を新聞社が書くときに、まちがえて、妙子のことを雪子と書いてしまった。書き間違いがあった。これを訂正させたのが、鶴子の夫(辰雄)なのでした。
 板挟みの男、というのがこんかい記されています。蒔岡家の根本を作った父がやり残したことは、末の娘二人を嫁がせることです。この仕事を引き継ぐ、辰雄という男が描かれます。人情味がちゃんとあって心配りのできる美女である、そういう四姉妹であっても、いろいろむずかしい苦しい事態というのが潜んでいるんだなと、見た目の華やかさとは異なる内情があるもんだ、と思う章でした。それで辰雄は、良かれと思って、雪子の冤罪を晴らして、新聞社に訂正させることにした。これがどうも意味が無かった。本文こうです。
quomark03 - 細雪(3) 谷崎潤一郎
 養子の辰雄には、大人しいようでその実いつまでも打ち解けてくれない雪子と云うものが一番気心の分らない扱いにくい小姑こじゅうとめなので、こんな機会に彼女の機嫌きげんを取りたかったこともあろう。しかしその時も当てが外れて、雪子も妙子も彼に悪い感じを持った。quomark end - 細雪(3) 谷崎潤一郎
 
 雪子は妹のことを思って、こう述べています。
quomark03 - 細雪(3) 谷崎潤一郎
  こいさんがひがみ出して不良にでもなったらどうするか、兄さんのすることは万事理窟りくつ詰めで、情味がない、第一これほどのことを、最も利害関係の深い私に一言の相談もせずに実行するとは専横過ぎるquomark end - 細雪(3) 谷崎潤一郎
 
 それから新聞社への対応として、このように下品な記事など取り下げさせるように、ここは金力をつかってしまえばよかったのだと苦言をていしています。
 年下の親族からこのように論理的に批判されてしまっては、これは……つらい。さらには、義理の父親のやってきた、娘をいいところに嫁がせるという仕事も上手くいっていない。縁談がとおのいていっている。板挟みになっている本家の男なのでした。他人ごとだし、気にせず読みすすめたら良いと思うんですけど、なんだかこう、もっと派手で型破りな恋愛話を楽しんで読めるのではと思って読みはじめたぼくとしては、こういう話しだったのかあと、ちょっとこれは、たぶんこれはぼくだったら途中で読むのを辞めちゃっただろう本だなと思いながらいま読みすすめています。準備を終えちゃったので、101話まで全部もらさず読む予定なんですが。従来なら読み通せなかった世界観を読み通せるようになる、というのも、そもそもの文学の魅力のようにも思います……。
 行き詰まりの恋というのが、家の恥なんだと、いうのは古い時代のありかたなんですけど、百年前はそれが当然で、本家の夫はそう考えています。本家の辰雄はこの問題を受けて辞職するつもりでさえあった。雪子と妙子は、本家の辰雄がいやになって、分家のほうの家(幸子と貞之助の家)に寝泊まりすることが増えた。
 谷崎潤一郎のこの小説は戦中に書かれたもののはずなんですが、戦後民主主義時代にも海外に広く受け入れられたという実績のある作品で、時代を超える力がある文学なんです。読んでいて思ったのは、家族の集団としての動きに、独特な迫力があって、架空のものとは思えないリアリティーを感じさせる作品に思いました。新聞記事やドキュメンタリー番組では、事件を起こしていない箇所での交流や一般人の内情を描くのがプライバシーの侵害にあたることが多いわけでこれがたいてい隠されます。よって単一の人物が急に事件を起こした、という現実的ではない構図にならざるをえないので、読んでいて内実が理解しがたく虚に包まれます。
 いっぽうで谷崎の今回の文学は、仮想空間であるがゆえに、家族それぞれの内情や、ゆるやかな時間の流れについて漏らさず描いていますから、そこで家の動きや家族のありさまというのが如実に見えてくるんだと思いました。現実を書くと非現実的になる。仮想を描くと逆にリアリティーが出る、ということが起きているように思います。
 末娘の妙子(こいさん)は、人形作りが巧みで、これが仕事になりつつあって、姉の幸子が気をきかせて、仕事部屋としてのアパートを準備してあげた。妙子は仕事もお金も上手く回りはじめて、好きなものを買って遊んで、タバコを吸ったり、また懲りずにヤンチャをしはじめているようなんです。心配になって調べてみると、妙子は仕事はしっかりやっていて、部屋をりっぱな工房にして弟子に作品作りを教えたりしている。また不倫の駆け落ちの不貞な恋愛かと思われた、妙子と奥畑は、それなりにちゃんとした付き合いをしていて将来の計画もしっかり立てているというはなしが、伝わってきたのでした。
 三女の雪子はちょっと、濡れ衣を着させられて不自由な思いをして、妹や姉への気遣いもあり、いろいろ取り残されてしまっています。
 第三話からもう谷崎文学に魅了されているところです。
 妙子の呼び名である「こいさん」というのは「小娘さん、末娘さん」という意味を含む言葉なんだそうです。
 

0000 - 細雪(3) 谷崎潤一郎

装画をクリックするか、ここから全文を読んでください。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約20頁 ロード時間/約10秒)
 
「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。

■登場人物
蒔岡4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)

細雪(2) 谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その2を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 おもな登場人物は……蒔岡まきおか4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)です。
 これまでの展開は、三女の雪子がどのようなひとと結婚をするのか、というのから物語が始まっています。
 谷崎と言えば、美や乱調を描く作家なので、でたらめに読んでみてもきっと楽しいんだろうと思って読みはじめたんですけど、なんだか緊張する内容なんです。小説や物語は、自分と関係の無い他人のことをのんびり観てゆくことができるから、緊張しないで済むはずなんですけど、ホラー映画や大長編文学だとどうもそうはゆかないようです。他人ごとのはずなんですけれども、なんだか緊張して読んでいます。谷崎の筆致に迫力があるから、父の亡くなったのちの四姉妹がどうなるのか、妙に気になってくるのでした。良いところの家柄というのをぼくは体感的にまったく知らないのでそこは共感しにくいんですけど、なんだか衰えてゆく事態に対応しなくちゃいけない、という心理に注目して読んでゆきました。
 父が亡くなるまえに、父のもってきた縁談で結婚をした幸子はそれほど問題なく暮らしているようなんですけれども、雪子はころあいがあわずに、父の晩期に婚約者を紹介してもらえなかった。父の意思を継いでくれたはずの貞之助はどうも上手い縁談を持ちこめなかった。 
 雪子は、古い家柄のぜいたくさを忘れられずに縁談で行き詰まっているところなんです。
 細雪は漱石の文学と似たところがあって、武家や貴族が廃止されていって、結婚や恋愛の形態が変化をした、という感じのことも描いているように思います。本作では、主人公の蒔岡家は十数年以上むかしの大正時代に豪商のお金持ちで良い家柄だったそうです。作中で脇役の男性がこう述べるのが印象に残りました。
quomark03 - 細雪(2) 谷崎潤一郎
  蒔岡さんと私とでは身分違いでもあり、薄給の身の上で、そう云う結構なお嬢様に来て戴けるものとも思えないし、来て戴いても貧乏所帯で苦労をさせるのがお気の毒のようだけれども、万一縁があって結婚出来るならこんな有難いことはないquomark end - 細雪(2) 谷崎潤一郎
 
 こういう縁談がどうも上手く進まず、雪子はちょっと時代に取り残されているような感じがあるんです。これは書かれた年代も舞台も十五年戦争が悪くなってゆくころで五年後には豊かさが世間から排除されてゆく時代なんです。ぼんやりとした理由で、幸福が遠のいてしまっているけれども、なんとか豊かに生きようとしている。そこは現代に読んでも響いてくるところに思いました。
 

0000 - 細雪(2) 谷崎潤一郎

装画をクリックするか、ここから全文を読んでください。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約20頁 ロード時間/約10秒)
 
「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。

■登場人物
蒔岡4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)

細雪(1) 谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その1を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回から百回くらいかけて谷崎の細雪を読んでゆこうと思います。ぼくは「陰翳礼賛」と「痴人の愛」と「卍」は読んだんですが、これははじめて読むのでとても楽しみです。この小説は上巻中巻下巻の3冊あります。今回は全巻を通読してゆけるようにまとめてみました。
 ぜんぶで百章ちょっとあってぼくはまだ第一章しか読めていません。鶴子・幸子・雪子・妙子の4姉妹の物語だそうです。悦ちゃんというのは幸子の娘です。
 4姉妹のおもな呼び名や属性は、鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)というようになっています。三女の雪子がどのようなひとと結婚をするのか、というのから物語が始まります。
「なあ、こいさん、雪子ちゃんの話、又一つあるねんで」
 ということで、どういう結婚がありえるのか、4姉妹でいろいろ話してゆくようなんです。近い未来について何度もはなす、いろいろうわさをする、そういうところも話しとして展開してゆくようです。
 これは1936年からの約5年間を描いた作品で、当時の物価は1円でいまの1000円くらいの貨幣価値がありました。
 そういえば文豪ゲーテは色彩論や美学論を記しています。谷崎の「陰翳礼賛」は日本の美学を読み説いた随筆で、本作でも谷崎潤一郎の美のまなざしを堪能できるのでは、と思います。
 一番年下の妙子(こいさん)というのがヤンチャで大人ぶっていてなんだか魅力的です。
 作中のほとんどが関西弁なんですけど、谷崎潤一郎はじつは関西弁は話さなかったそうです。それなのにこんなにきれいな関西弁を書けるというのがすごいと思います。
 会社員のしっかりした稼ぎの男が見合い相手らしいのですが、フランス系の会社に勤めているので、結婚したらフランス語を教えてもらえるかも、ということを話しています。
 最初のほうからビタミンBの注射をする、という奇妙な話が出てきます。医者の手を借りずに、姉妹同士でこの美容法をやっている。現代ではビタミンのサプリメントを飲みたがる人がいて、そういうイメージなのかと思いますが、血も針もでてくるのでなんだか、秘蔵の美容法みたいで謎めいています。注射ごっこではなく、ほんとに姉妹で注射をしている……。次回に続きます。全三巻の全文をいっきょに通読することもできますので、好きなところを読んでみてください。
 

0000 - 細雪(1) 谷崎潤一郎

装画をクリックするか、ここから全文を読んでください。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約20頁 ロード時間/約10秒)
 
「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。

死せる魂 ゴーゴリ(11)

 今日は、ニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」第10章を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回は最終章について書きますので、本作を近日中に読み終える予定のかたは、先に名作の本文だけを読んでください。
 ついにこの物語の最終章になりました。チチコフはもう、詐欺の活動が行き詰まったので、ぜんぜんちがうところに逃げていってしまおうと考えます。ところが「何一つチチコフが予想したようにはゆかなかった」のでした。
 ついに、ゴーゴリは、チチコフの正体を、最終章で描くんです。作中には「実のところ作者は、こうして、ようやく自分の主人公の身の上話をする機会が得られて寧ろ嬉しいのである」と書きはじめます。彼チチコフの少年時代が、悪党の幼年期のように哀れに語られてゆくのです。「少年時代にも、彼には友達もなければ遊び仲間もなかった」そうして「支金庫の役人」になり「最後に税関吏の職にありついた」このころに、2人の役人だけで、密輸団とひそかに結託して、とほうもない悪事を行って大金を不正に稼ぎ出し、逮捕されて財産のほとんどを没収された、というのがこの小説が始まる何年か前に起きていた、この最終章まで隠され続けていた大事件なのでした。
 この物語の謎である、なぜチチコフが400人もの死せる農奴を買い取ったのか、その真相はこうなんです。むりやり一言でいうのなら、ロシア帝国の国庫という、いわば国の大金庫から、大金を詐欺で奪い去ってしまうため、やみくもに農奴の名簿を集めたのでした。死んだ農奴を生きている農奴に見せかけて、国庫から莫大な大金を借りてだまし取って逃げ去る、これがチチコフの狙いでした。特殊詐欺の大盗賊と言えば、想像しやすいと思います。彼は大事件を起こしてから、その地を去って、新天地で幸福に生きようと、いうのが記されざる狙いであったようです。帝国から重大なものを盗むのなら、もう新天地以外では生きられないかと思います。ちょうどドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」におけるミーチャのアメリカ亡命計画のようなものを、引きおこすのではないでしょうか。作中の記載から言っておそらく、大金を手中に入れてフランスかイタリアで生きはじめて、そこで妻子をもうけたいのだと思います……。
 ゴーゴリが詐欺師について批判を行っている箇所は、こうでした。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 やたらに取込むこと——これがすべての悪因となり、そこからして、世間で余りかんばしく言わないようなことも仕でかされるのである。quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 
またゴーゴリはこの物語の終盤でこう告げています。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 どんな性格をも軽蔑することなく、じっとそれに観察眼をそそいで、裏の裏までそれを吟味検討することの出来る人は賢明である。quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 
 彼は蒐集したものごとを、莫大な裏金を稼ぐためにのみ費やして、あらゆる混乱を生んだわけです。ちょっとうっかりしているだけで、こういう悪は生じうる、とゴーゴリは警告します。このあたりの箴言は興味深いものでした。大詐欺師チチコフをのせた馬車は、誰も知らぬ大地へとかけてゆきます。本文こうです。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
  ああ、ロシアよ、お前もあの、どうしても追いつくことの出来ない三頭馬車トロイカのように、ずんずん走って行くのではないか? quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 
 ぼくには最後の文章が、90年後に起きたホロドモールのような事態を予見していたところがあるように思いました。ゴーゴリの物語を読んでいると、小さな詐欺の積み重ねというのが誰も望まない不幸をまねきうるのでは、というように思えました。
 ところでゴーゴリはたいへん有名な作家で、あの『外套』をみごとに描ききった作者ですから、ぼくはてっきり、ダンテ『神曲 三部作』やゲーテの『ファウスト』みたいに劇的に完結するもんだと思いこんでいたんですけど、これあきらかに完結していないんですよ。カフカの『城』とか、日本の大菩薩峠とか、漱石の『明暗』とかと同じで、完結できてないんです。第一部完、のはずなのに、ダンテ『新曲 地獄篇』のようには完結していません。広げた風呂敷が広がりっぱなしのまま終わるんです。
 こんな魅力的な文学を作っておいて、完結させないとはいったい何ごとなんだと思いました。
 ゴーゴリは、この『死せる魂』というのを、ダンテの『神曲 地獄篇』になぞらえて書いたものだから、『神曲 煉獄篇』をこのあと書くんだ、という意気込みがあったんです。読んだかたならご存じだと思うんですが、この二者の作家には決定的な違いがあるんです。ダンテの主人公は、正義のまなざしを持っていて、神の恩恵を受けた旅人みたいになってどんどん超然としていって最後のほうは完全に読者をも置き去りにしてゆくんですが、ゴーゴリのはもうまったく違うんです。主人公は人間的な失敗を繰り返し、どんどん致命的な状況を積み重ねて行き詰まっていきました。
 ゴーゴリ「死せる魂」の主人公はもはや100%の詐欺師で、正義心をなぜだかちっとも持ち合わせていないし不信心だし信じるものを持ちあわせていないんです。ただただ大量の死人を買い漁っていっただけです。さもしい権力者とそっくりなことをした、無名の貴族という感じで終わってしまいました。
 ダンテの地獄篇では、最下層へゆくほど、深い罪が記されていったんですけど、そうとうの深部の第八圏の第十嚢にこそ『虚偽や偽造の詐欺師』が位置づけられているんです。暴力者よりもじつは詐欺師のほうが罪が重いようにダンテは捉えているのでは、と思ったんです。
 ダンテ神曲では深奥にゆくほど「かつては聖人や知者や哲人のような存在でもあった人の罪」があきらかにされていって、最後の最後は人類最大の罪人とされる、キリストを裏切ったユダこそが最深部に居て、読者はこの究極の裁きを、まのあたりにしたわけです。
 いっぽうで本作チチコフは、買えないはずの死者の鬼籍を大量に集めることには成功しました。チチコフはいったいなにをしたかったのか、と思いました。なにを目的にして進んでいるのか、もはやまったく意味不明になってしまいました。
 チチコフは100%の軽度詐欺師だというのは第一章の最初から記されていたことです。じつは裏側ではもっと致命的な詐欺をしているのでは、ということを疑いながら読んでいったわけですけれども、詐欺の方針で物事を進めてゆくと、全体はこのように崩れ去ってゆくのだ、というのをまのあたりにしたように思いました。チチコフは目に見える悪人では無いんです。いっけん礼儀正しくて賢い人に見え、場面によっては人間的に見えます。彼の唯一の親友マニーロフから見れば、チチコフはほんとに悪気のなくて明るい、なんとも良いヤツなんです。
 ぼくは、このゴーゴリの『死せる魂』を読んでいる途中で、あの愛の画家シャガールが愛してやまなかった物語世界こそがこのゴーゴリ『死せる魂』だと知って、まさかゴーゴリが人類最大の悪について本作で描こうとしているとは夢にも思わなくなっていたんです。
 けれども、周辺情報や本作を読みすすめてゆくうちに、これはダンテ『神曲 地獄篇』の終盤と同じく、人類最大の悪のありさまを、見せてやろうというのが、ゴーゴリの最大の狙いだったのではと思うようになったんです。それで思ったのは、もしダンテ『神曲 地獄篇』で裁かれていたあのユダが、キリストを裏切らなかった場合、あるいは裏切る寸前までのユダを観察していて、このイスカリオテのユダこそが人類最大の悪を成すのだとは誰一人、気がつかないはずだと思ったんです。ユダは会計で軽い詐欺行為をしてはいます。けれどもたいした悪人には思えないですよ。そこはチチコフに似ています。いかにも粗暴で暴言だらけでつねに暴力に塗れている人だったら、パッと見て分かるんですけど。ユダを見て、この数千年間でいちばん悪いヤツはコイツだ、と分かる人はまあ居ないはずなんです。使徒で聖人で、よい活動に参画していて、罪を悔いたりもする。もっとも罪深い人間とは思えない。しかし聖書でも、ダンテの本でも、ユダがもっとも罪深いことになっています。ゴーゴリはこの『地獄篇』のことをそうとう意識して描いていたわけで……ユダにも似た、罪深さの深奥にいる中心人物として、本作のチチコフはずっと描かれてきた、ということなんだと思いました。
「チチコフはじつは、ふざけているユダなんだ」という仮説をもとにして読むと、なかなかおもしろいんです。「やれやれ、助かった!」「チチコフはそう思って、十字を切ったものだ」という記載も、裏切り者のユダが、十字架にかけられたキリストを安易に扱っている、その不信心なところに納得がゆくわけです。19世紀の逃走中のユダが、葬列をつくる役人たちから隠れようとするすがたも、興味深かったです。
 チチコフは詐欺師です。けれども努力しているし目標があるように見えました。詐欺師は「判断させない・検証させない・ほかの可能性を探究させない」という方針があります。他人の「検討」をどんどん壊すように動いてゆきます。チチコフは探究心がすごくて、とにかく目標達成のために村人たちの方針を探って研究熱心でした。チチコフ本人はけっこう文化的な教養を持っているヤツだと言えると思います。しかしチチコフは他人に研究心を起こさせようというような、持続的活動の方針は最後の最後まで現れませんでした。チチコフは殺人者や排外思想家とちがって、直接的にはなんの害ももたらさないんです。ですから、詐欺師なのかどうかの判別がしにくい、中間的でグレーゾーンの男でした。
 ゴーゴリの作品は、19世紀ロシアへの探究心を起こさせたり「あれ? この主人公の行動はいったいどういうこと?」と思わせて読者が検証をはじめるわけで、これが伝統的な名作の作用だと思うんです。チチコフは不思議なグレーゾーンの男なので、詐欺っぽいものと文化っぽいものの両面が生じているように思います。
 あの愛の画家シャガールが好んでユーモラスに描いたのが、このチチコフでもあるわけです。じつに不思議なことだと思います。
 ダンテ神曲みたいに、ユダを罰する魔王の背中をよじ登って世界が反転し、地獄の最奥から地上へいっきょに抜け出せる、というような大団円が訪れていない……という謎も感じました。チチコフがやったことは存在しない鬼籍を買い漁り続けただけで、ほんとに主人公が失敗に失敗を上塗りして、右往左往しているんです。作者がこれにどうも引きずられてしまったのでは、というように思いました。頓挫するべくして頓挫した物語のように思えます。
 ダンテの場合は、悪に対する怒りと裁きと告発というのを地獄の奥底へと進みながら『神曲 地獄篇』で描いていたと思うんですが、ゴーゴリの場合は、愛すべき農村世界の中で生じ続ける不正と不合理と不幸を主人公チチコフみずからが巻き起こし続けるという展開だったように思います。チチコフは盛大に行き詰まりました。この物語内部の作用が、作者にも影響を与えてしまって、悪から脱する長い道のりを描く『神曲 煉獄篇』を超克する物語を、ゴーゴリは書ききることができなくなってしまったのでは、と思いました。
 ゴーゴリは、作中のほとんどで、牧歌的な農村に生きる人々と、さまざまな失態を生み出すユーモラスな人間性を描くことに費やしました。
 そこが権力志向のダンテと、そうとうちがうように思います。ダンテ神曲では生活をいっさい描いておらず、失われた権力を思い、理想の権力体系を描きだし、唯一神に邂逅するための高みへ登る旅路を描ききりました。3部構成の3回もの大団円が衝撃的でした。
 いっぽうでゴーゴリの『死せる魂』は、あらゆる農村の人間的な生活と、地主という名の働かざる者たちの哀れな人間関係と、奴隷制度が終わりを告げつつある時代のさもしい権力者たちを描き続けた作品でした。しかしまさか、国家に対する最大の詐欺がこれからどうなるのか、その顛末もろくに記されずに、この複雑怪奇な詐欺師の物語が幕を閉じるとは想定外でした。
 チチコフが目に見えて「あっこいつは悪いヤツだ」と見えてくる場面がありました。前半30%の第三章で……とつぜん激怒したチチコフの発言はこうでした。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 私はね、ただキリスト教徒としての博愛心から、あんたのためを思って言い出したまでのことさ。可哀想な寡婦ごけさんが胸も潰れる思いをしながら、貧苦にあえいでいる有様を見かねてさ……。えい、もう構うこっちゃない、とっととくたばってしまうがいい、お前さんの持村むらも一緒に滅びてしまうがいいんだquomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 
 チチコフはいっさいキリスト教を信仰してないですよ、ここでも大ウソを言っているんです。チチコフはしっかり悪人なんです。ゴーゴリは本作で脇役のセリフとして「どいつもこいつもキリストを売る奴ばかりでな」というように記していて、ユダはあらゆるところに存在しうる、ということをほのめかし、さらに第十章では「チチコフはじつはナポレオンなのかもしれない」というような珍説もユーモラスに描きました。これによって「チチコフはじつはユダなのだ。死せる魂たちというのはじつはダンテ神曲の地獄や天堂と相似形なのだ」という読解を可能にするように書いているんです。ダンテはユダを地獄の最奥で容赦なく罰しつづけました。魔王に永劫にかみ砕かれつづけるユダを反転させ、人間的な存在に引き戻していったのが、まさにあの『外套』を描いたゴーゴリなんだと思います。
 どうしたってイスカリオテのユダを愛すべき人間としては描けないわけですが、チチコフは愛すべき哀れさを持ち備えているんです。
 ゴーゴリは1841年ごろに『死せる魂』第一部最終章を書きおえているんです。その約25年後(1867年ごろ)イタリアの偉大な作家ダンテに憧れてギュスターブドレがこの『神曲』のこの絵を描いているんです。
 この絵に描かれる『神曲』の壮大な魂たちの一群。詐欺師チチコフの抱えていた妄想は、おそらくこういう感じだったと思うんです。「死せる魂がいっぱいだ!」というかんじ。チチコフはこういう新世界を思い描いていたはずなんです。チチコフはじっさいには混乱と狂騒と不和以外はなにも生じさせなかったんですけれども。ぼくはどうしてチチコフがこんなに苦労して夢中になって、死せる魂を集めつづけたのか。いちおう表面上の目的は手に入るはずのない国庫の大金なのですが、その真相はようするに、このギュスターブドレの絵を見て「うわーすごい!」と思ったのとほとんどまったく同じ気持ちだけで、チチコフは動き続けたんじゃないか、と思ったんです。画家ギュスターブドレが、チチコフに関する謎について、もうぜんぶの答えを描いていた、というふうに思います。言語化するなら「どうして400もの蝶蝶を集めたんですか」と言われて「だって蝶蝶がすごかったから」という理由しかないのとほとんどまったく同じ理由で、チチコフはこの大長編の旅路で400人もの死んだ農奴のリストを作り上げてしまったんだと思います。
 そのチチコフの活動に「たましい」とか「奴隷制度問題」とか「税制の不備」とか「政治上の不正」とか、その他いろんな意味を見出してしまったのが、チチコフに疑問を抱いた人々なのでは、と思いました。
 ぼくは第9章あたりまでは、作者ゴーゴリは『神曲』を下敷きにこの『死せる魂』を描いたんだとロシアの評論家が書いているのに、いったいこの本のどこがダンテ『神曲 地獄篇』なんだ? とずっと思っていたんですが、ついに終盤に差しかかって、きゅうに物語全体が、ダンテ『神曲 地獄篇』と対を成す作品として立ち現れてきた、と思ったんです。
 今回、読んでいていちばん気になったのは、ゴーゴリの恩師で十歳年上のプーシキンのことです。ゴーゴリが当時いちばん考えていた「死せる魂」というのはおそらくこの恩師プーシキンのことのはずなんです。それはwikipediaに、このように記されています。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 彼は叙事詩、ロシア版のダンテ『神曲』を作り出すつもりだった。しかし、アレクサンドル・プーシキンの死が伝えられるとショックを受けて何も書けなくなり、イタリアに移ってから少しずつ執筆を再開した。quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 
 ロシア生まれの偉大な詩人プーシキンは黒人兵士のひ孫さんなんです。恩師には黒人奴隷の血が入っているんです。このことをゴーゴリはずいぶん考えたと思うんです。wikiにはプーキシンは『ピョートル1世に寵愛された黒人奴隷上がりのエリート軍人』のひ孫である、と書いています。ダンテが政治家連中から政治人生を滅ぼされてしまってから「神曲」を作ったように、文学の恩師プーシキンが奸計によって滅ぼされてしまった。wikiにはこう書いています。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
  プーシキンの進歩思想を嫌った宮廷貴族達は、フランス人のジョルジュ・ダンテスをたきつけ、ナターリアに言い寄らせる。やがて、プーシキンは妻に執拗に言い寄るダンテスに決闘を挑み、1837年1月27日、サンクトペテルブルク北郊のチョールナヤ・レチカで決闘を行った。この決闘で受けた傷がもとで、その2日後に息を引き取った。37歳没。政治的な騒動を恐れた政府は、親しい者だけを集めて密かに葬儀を執り行った。quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(11)
 
 このことを、ゴーゴリは本作でずっと「奴隷ってなんなんだ」「死せる魂ってなんだ」ということを考えながら書いていったと思うんです。いったいなにが悪いからこうなったんだろう、と考えて、ダンテが書いたように地獄の最奥にいる詐欺師たちの悪が、立ち現れてきたんだと思います。
 『死せる魂』発表の約20年後の1860年あたりに、ゴーゴリのふるさとでは「農奴解放令」が発令されます
 
 ゴーゴリは20年後あるいは100年後あるいは現代の、ロシアとウクライナの、進歩と哀惜をみごとに捉えていたように思うんです。
 シャガールが愛したのが、このゴーゴリの『死せる魂』という芸術なんです……。愛だけを描き続けたシャガールが描いたのは、地獄篇ではなくこの『死せる魂』なのでした。

0000 - 死せる魂 ゴーゴリ(11)

装画をクリックするか、ここから全文を読んでください。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約100頁 ロード時間/約10秒)
 
ゴーゴリの「死せる魂」第一章から第十一章まで全部読む
 
ゴーゴリの「外套」を読む
 
追記
またいつか、ゴーゴリが、古いウクライナの民話を集めておもしろく書いていった「ディカーニカ近郷夜話」も、数年後にでも読んでいってみようと思います。

死せる魂 ゴーゴリ(10)

 今日は、ニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」第10章を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 役人たちは、不安と焦燥でゲッソリ痩せ細った顔になった、というんです。原因は「新らしい地方総督」がやって来たというのと、チチコフが手に入れた、死せる農奴たちの400人もの名簿の存在、この2つでどうも、混乱してしまっているんです。
 こんかい、嘘つきのノズドュリョフというのがクローズアップされるんです。死せる魂を400も買い取ったチチコフにかんして「偽札造りの詐欺師」だとか「知事の娘を誘拐するつもりだ」とか「役人の不正を暴く審査官なのだ」とか、いろんな噂がさかんに生じて、お役人たちがみんな混乱してしまい、いちばん信用の出来ない相手ノズドュリョフに相談をしてしまいます。粗暴なノズドュリョフはこの小説では150回ほど記載されていて、いちばんはじめ前半2%あたりの第一章で、この男がギャンブルに興じているところが描かれていて、ここで人生ではじめて出逢ったことになっているんです。ところがこの終盤でノズドュリョフは、チチコフとは幼なじみだとかいうウソを平然と言います。前半40%の第4章ではノズドュリョフが第二の主人公というかチチコフの敵対者としてさかんに描かれています。その延長戦が今回、行われたわけです。
 あまたのウソの中から立ち現れてくる世界の様相というのの描写がみごとでした。新しい地方総督がやって来るという政治的変節のある時期に、チチコフが現出させたあまたの死人の鬼籍が存在すると、それが謎めいて見えてしまい、自分の仕事と関連付けて考えてしまうんです。自分の不誠実さが原因で、死んだ人たちが怒っているかもしれない、という不安があるんです。これまで「死んだ農奴たち」という意味で記されてきた「死せる魂」のほんらいの意味が立ち現れてきたように思います。死者はいったい、どう思っているのか……。
 それから、この第10章の終盤にもなって、新しい作中作が描きだされるんです。物語の中に描かれる、ちいさな物語です。ナポレオンのニセ伝記というのも語られ続けて、これが魅力的でした。片手片足を失った傷痍軍人がふるさとに帰ってきたら、暮らしてゆくだけの生活の手立てが無くなってしまっていた。実家はもう破産してしまっていた。現代では目に見える問題を抱えている人なら、国家から生活費をもらえるわけで、生存権という概念が存在しているんですけれども。ナポレオンの時代ではそうはゆかなかった。この果敢に闘った元軍人が、生きさせろというので、お役人たちに訴えを起こしまして、役人も国が原因で深手を負った男の言い分を理解して、この生存権だけはなんとか満たせるように、ギリギリの食費だけは与えることにした。ところが、彼はちゃんと幸福に生きさせろという訴えを起こしたのであって、終身刑の囚人みたいな最低限度すぎる生存権では満足できないので、怒りはじめたのです。ちょっとここは清貧のキリスト者がパンと水のみで飢えを耐え凌ぐような感じがあるわけです。フランス人みたいに良いワインを飲んで穏やかに色恋に興じたいわけです。おかみはそれを認めないので、たいへんなことになる。彼は役人連中のまえで暴れ回って、いずこかへ去ってゆきます。ゲーテも取り上げていた忘却のレテ川というのまでたちあらわれます。
 ウクライナ生まれのロシア人であるゴーゴリが描きだす、かつての敵国フランスの裕福さとナポレオンの偉大さについての描写は、なんだか哀れに逆転した世界観を見せつけられているようなかんじというのか、屈折した笑いが生じるような描写で、逆立ちして見たような歴史の不思議を感じさせる記載でした。
 街中ででたらめを言いふらす人々によって「チチコフはじつはかのナポレオンが変装した姿なんだ」という珍説まで飛び出します。これまでチチコフにはステキな噂が絶えなかったわけですが、敵対者ノズドュリョフの悪目立ちもあって、今回からついに、権力をもつ人たちはチチコフを避けるようになったのでした。じゃあチチコフはどうするのか、この問題に関わった人々はどうするのか、というので次回の「死せる魂」最終章に続くんです。作者ゴーゴリとしては第二部第三部の構想ももっていたんですが現実にはこの第一部しか完結していないんです。「死せる魂」といえば次回の第11章で完結なんです。
 次回こそが「死せる魂」の最後の章になるはずなんですが……これはもしかすると、未完の第二部があるのだから、もしかしてチチコフが、死せる魂を蒐集しつづけた意味と真相は、完全に文学史の闇の中へと消え去ってしまうのでは……と思いました。なんだか芥川龍之介の『藪の中』の展開に似てきたように思うんです。真相がそもそも見えない、一つの結論というのがそもそも存在しない、多重に意味が積み重なった世界が立ち現れてきました。本作ではゴーゴリは、神の視点で描いているので登場人物の内心もときおり書いているんです。作者は主人公チチコフ本人の本心というのをらくらく書けるはずなんですが、ゴーゴリは意外とそういうところが秘密主義で、ほとんど記さないんですよ。
 読者の自分としては、なにか推理小説の謎解きのような、はっきりとした結末を見たいわけです。じゅうぶんにこの世界を見てきたのだから、大団円を見たいんです。ゴーゴリはこの点をどう考えて、最終章を書くのでしょうか。次回に続きます。
 

0000 - 死せる魂 ゴーゴリ(10)

装画をクリックするか、ここから全文を読んでください。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約100頁 ロード時間/約10秒)
 
ゴーゴリの「死せる魂」第一章から第十一章まで全部読む
 
ゴーゴリの「外套」を読む