虞美人草(2)夏目漱石

 今日は、夏目漱石の「虞美人草」その2を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 漱石の文学は、おもに若い男の苦悩を掘り下げて描きだすことが多く、女性は黙して動かない絵画のように記されてきたことが多いと思うのですが、こんかいは生きて動き、話しをして盛んに笑いますし、「清姫」のような美女の「藤尾」が描かれるのでした。妖女というのか神話的な女が、ほんとうに動いて話しているというような、荘厳な文体の作品に思います。
 漱石よりも少しだけ年上の同時代の画家に、グスタフ・クリムトが居るのですが、どうもこの神話的な絵画の女性がモチーフなのかもしれないとか、思いました。じっさいにはどうもサラ・ベルナールという女優も演じた「クレオパトラ」がモデルらしいです。
 こんかいはこの「藤尾」の悪魔的な美女の魅力が、壮麗な文体で描かれる章でした。甲野藤尾こうのふじおは、英語の本もしっかり読める、頭の良い女性なのです。環境が完全に整っているのになぜか結婚をしていないのが藤尾という美女なんです。藤尾が座布団のうえに忘れていってしまった金時計、というのがなんだか印象に残りました。
 作中の「安珍」というのは清姫に焼かれた男のことで、藤尾はこの清姫というのが好きなようです。
 漱石に描きだされ、大蛇に化ける清姫のごとき藤尾に言い寄られ、クリスマスツリーみたいに金色の鎖と金時計を飾りつけられて遊ばれて、なんだか呆然としている「小野さん」というのはこのあと大丈夫なんだろうか、というように思いました。
 

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「虞美人草」の一から十九まで、全文を読む。(原稿用紙換算584枚)
夏目漱石『夢十夜』を全文読む。   『草枕』を読む。
  

虞美人草(1)夏目漱石

 今日は、夏目漱石の「虞美人草」その1を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 漱石の長編をいくつか読んだことがあるんですが、この「虞美人草」ははじめて読みます。噂によると、これがいちばん熟練の技術で、濃い男女関係が描かれる……らしいです。まず2人の男の登山から物語が始まっていました。京都の叡山というのは、比叡山のことだと思います。

 「なるほど好い景色けしきだ」と甲野さんは例の長身をじ向けて、きわどく六十度の勾配こうばいに擦り落ちもせず立ち留っている。
「いつのに、こんなに高く登ったんだろう。早いものだな」と宗近むねちか君が云う。宗近君は四角な男の名である。
 
 28歳くらいの2人は「学士」で登山を続けている。「大空に向う彼の眼中には、地を離れ、俗を離れ、古今の世を離れて万里の天があるのみである。」おおよそ100年前の小説であっても、自然界の描写は今とまったく変わらないのでは、というように思いました。
 音楽家のグールドは、湖畔の散歩をしつつ、漱石の「草枕」をたいへん愛読したということを聞いたことがあるんですが、これに納得がゆく文が虞美人草にも、いくつか記されていました。山道に疲れて身を横たえた甲野君の心情描写がみごとでした。「あとは静である。」から「考えるともなく考えた甲野君はようやくに身を起した。」までの文章が、百年後のカナダにまで届くほど美しいように思いました。ここを繰り返し読むだけでも、漱石文学の堪能なのでは、と思いました。
 
「赤も吸い、青も吸い、黄も紫も吸い尽くして、元の五彩に還す事を知らぬ真黒な化石になりたい。」「はるかなる心を持てるものは、遐なる国をこそ慕え。」
 
ちょっと読みにくい箇所は、AIに現代語訳してもらうと読みやすくなって、100年前の原文もすんなり読めるようになると思いました。
「甲野君」の「万里の道を見ず」「ただ万里の天を見る」というのはいったいどのような心境なのだろうかと思いました。甲野君はなぜか2人で山登りに来たというのに1人きりになりたがり1人で考え事を続けるのでした。どうも自分としては、漱石が、メメントモリにひたる主人公を描く時に、そこに離ればなれとなった親友の正岡子規の気配を、感じるように思うのです。次回に続きます。
  

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追記  むかしは比叡山に登るような男が、黒い日傘をさして歩いていたようです。

細雪(101)谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その101を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 細雪は今回で完結です。長い物語がついに結末に至りました。戦争で亡くなっていった人々を悼む思いも滲み出てくる物語描写に思いました。最後は谷崎の代表作を凌ぐのではというような迫真の展開でした。
 
「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
 

※以下は物語の結末を含みます。クリックで表示されます。

 雅な家柄の二者が結婚式を挙げた、という、谷崎潤一郎がいちばん書きそうに無い描写が最後の最後に描かれるのか…………ほんとうに? という展開で、しかしじっさいの谷崎潤一郎は源氏物語を現代語訳しながら、こういう雅な人生を過ごして来たのでは……とも思いました。
 新郎は残念なことに、今から滅んでゆく軍産企業の航空機製造大企業に就職することになってしまった、という不吉な描写がありました。
 出産が間近の妙子のほうは、優雅な雪子一家たちからは離れて、1人で出産に臨むのでした。未来の夫もしっかり待機していて、さらに病院の医院長も安全対策をしていると言うことで、無事、良い結末に至りそうかと思ったのですが……。
 物語の描写と同時に、なぜか老いた猫が子猫3匹を産むという描写も、印象的に描かれていました。
 妙子は残念なことにきびしい難産で、ほんとうの夫となる三好も現場にかけつけ、医者と看護婦がつきっきりで看病をしながら、死ぬ思いをして、戦時中に、赤んぼうを産もうとしたのでした。
 赤子は生まれてから30分間も息をせず、けっきょくは死産で終わってしまいます。地獄を見て生きてきて、姉妹とともに大泣きに泣いた妙子はその後、静かに三好と2人暮らしをはじめたのでした。この前後の展開が、「卍」や「痴人の愛」といった傑作を書いた、谷崎文学らしい、みごとに劇的な物語描写であるように思いました。古事記に記された、黄泉の国での、イザナギとイザナミの、汚濁と産所の物語を彷彿とさせる、日本文学だったと思いました。
 雪子は、時世への不安と環境の変化への不安で、下痢が止まらなくなってしまい、このまま物語の結末へと至るのでした。
「汽車に乗ってからも」という言葉と「その日から夫婦暮しを始めた」という言葉が、どうにも忘れがたい結末でした。

 

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当サイトでは『細雪 中巻一』を通し番号で『細雪 三十』と記載しています。下巻の最終章は通し番号で『細雪 百一』と表記しています。
「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。
  
■登場人物
蒔岡4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦子エツコさん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)
  
 
追記 またいつか、谷崎文学をじっくり読んでいってみたいと思いました。次回からは、漱石の「虞美人草」を読んでゆこうと思います。
 

細雪(100)谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その100を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 細雪は次回で完結です。
 かつてはお隣どうしということで蒔岡家と交流のあったドイツのシュトルツ夫人からの手紙が届いたのでした。一九四一年の冬のことが記された、手紙なのでした。
 大きな出来事が起きる、以前と以後を断絶させずに繋げられるのか、という物語だったように思いました。

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「絹と日本の扇子の小包が届かなかった」というシュトルツ夫人からの手紙の一文のあと、ピアノやヴァイオリンを学ぶ幼子たちや、カルタやチェスで遊ぶ家族のことが記されていました。敗戦に至ったのちに、これらの美しいものは、いったいどうなったのか、それは分からないままこの大長編は幕を閉じるのでした。やがて敗戦の日に至るはずの「ヒットラーユーゲントの少年たち」のことも一瞬、記されてありました。
作中に「ローゼマリーは近いうちにエツコサンにお手紙を書きます。この子は普通の日は学校の宿題がどっさりありますので、お手紙を書くのにもいつも日曜の来るまで待たなくてはなりません。」このローゼマリーからの手紙もどうなったのか、読者の自分にはどうしても分からないのでした。平和な時には波乱の物語を記して、戦争が激化していたころには雅な生と、静かな生活のことだけを書いた、という谷崎潤一郎の長編文学でした。

 

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当サイトでは『細雪 中巻一』を通し番号で『細雪 三十』と記載しています。下巻の最終章は通し番号で『細雪 百一』と表記しています。
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谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。
  
■登場人物
蒔岡4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦子エツコさん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)
 

細雪(99)谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その99を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回は、陰翳礼賛で日本の美を記した文豪が、嵐山の料亭での晩餐を描きだした場面がありました。
 この小説は、雪子が親戚のすすめによってお見合いを何度もやって、繰り返し破談になる、という展開なんです。駄目、駄目、駄目……と来てから、つぎにお見合い成立、となりそうな予感があります。ずいぶん良いお見合いが始まるんです。

※以下は物語の結末を含みます。クリックすると表示されます。

 雪子は縁談相手と一緒のところにいて「黙ってニコニコほほ笑んでいる」のです。「幸子は、この妹の眼が例になく興奮に輝いているのを看て取った」と書いていますので、これはもう、二者にはまったく破談の可能性は無いはずだと思います。雪子たち新婚夫婦が住むための、新しい家がどういうものなのかも、記載されていました。
 作中に明記された雪子の縁談相手は六人で間違いないです。最初からザッと読み直して、念入りに確認してみました。「細雪」の前半で「初めのうちは降る程あった縁談を、どれも物足りないような気がして断り断りしたものだから」ということが記されていますので、名前の書かれなかった縁談相手も、もっと居るので少なくとも9人以上と破談となっているのでした。この今までの悪い展開が急に変わるなんていうことがあるのか?と思ったのですが、どうも今度は上手く人生が進展するようなのでした。全体としては、駄目も目である、ということが記された物語でした。

  

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■登場人物
蒔岡4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)
 

追記  ※以下は物語の結末を含みます。クリックで表示されます。

 雪子の縁談相手である「御牧氏は同社の社長国嶋権蔵氏に大変可愛がられている」ということなんですが、この社長がついに嵯峨の嵐山まで訪れて、雪子たちの目の前に現れる、ということが書かれた章でした。
 九回以上は破談になった、ということは相手方の家にも伝わってしまっていますし、雪子の妹である妙子が自由恋愛でさんざんな醜聞を作りまくってしまったし妙子は古い恋人を捨て去って一人でバーテンダーの子を妊娠して、温泉街にある小屋にいったん住み込んで出産する寸前です。九回の破談と妹の醜聞。このことが雪子の縁談にもしかすると悪い影響を与えるのかもしれない、というのが終盤の展開です。御牧は、両家の明るい会談に、妹の妙子も呼びよせたいと言っていましたので、まだ妙子がバーテンダーの子を出産する寸前である事は知らないようです。「妙子のこともあるし、奥畑が又、ああは云っていても形勢次第で何を云い出すかも知れないような気がするので」「結納だけでも早く済ませたい」と書いていました。
 中盤から、貞之助が、大姉の鶴子一家(本家)にたいして、雪子の婚姻のことについて、手紙を出す場面がありました。
「三月二十三日に、貞之助は忙しいと云うので、彼女が雪子に附添って立った。そして、二十五日に結納を終え」たのでした。あ、今回でもう完全に、雪子篇は完結したんだな……と思いました。
「二十五日に結納を終え」というたったの十文字で、右往左往しつづけた雪子のお見合い篇はすべて終わり、なのでした。
 あとはドイツへ向かったシュトルツ夫人がどうなったのか、その手紙の顛末と、妙子と三好の二人の出産の問題なのでした。次回に続きます。

 
細雪はあと2回で完結です。このあと漱石の「虞美人草」を読みはじめたいと思います。

細雪(98)谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その97を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 
 『細雪』は第101回で完結します。どうもあと数回で大波乱に至って暗い事態に突入するというようなことは、たぶん無いようです。物語の全体を振り返りつつ、次の暮らしへと進んでゆく姉妹たちを描きだすようです。谷崎は今回の物語で「それから数年後」というような、文学や映画ではよくある、時間の省略をしなかったのが、なんだかすごいなと思いました。
 戦争が終わったあとにその記憶を描くのと、現実の戦時中に戦時の緊迫した場面を描くのでは、ずいぶん雰囲気が違う、と思う箇所がありました。

  カタリナから九月に出した手紙が先日来ましたが、自分の家は倫敦の郊外で、独逸ドイツの飛行機が飛んで来る通路に当っているので、毎日毎晩爆撃機の編隊が通り、盛んに爆弾を落すけれども、非常に深い完備した防空壕ぼうくうごうがあるので、そこに電燈をカンカンつけて、ダンスレコードをジャンジャン鳴らして、コクテルを飲んではダンスしている、戦争なんてとても愉快で、恐いことなんかちっともないって云って来ました、だから皆さんに心配しないように云って下さい、と、そう仰っしゃって笑って行っておしまいになりました、と云うのであった。
 
 戦時中にこうは書かなかったのでは、と思いました。戦中に発禁処分を受けた『細雪』がその後どのように書かれていったのか、その裏事情はこうだったのではないか、というのが、雪子の縁談に関わっている国嶋氏の発言の箇所にあるように思いました。本文こうです。「こんな時代がそんなに長く続くものとは信じられないし、仮りに相当続いたとしたところで、その間の食いつなぎぐらい、何とでもなろうではないか」これが谷崎潤一郎の戦中戦後すぐの生きかただったのでは、と思いました。
 

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 妙子こいさんは、三好との子どもを安全に出産するために少し遠いところで一人暮らしをして静かにしており、お手伝いさんの「お春」が2つの安産お守りを届け、その様子をうかがいにゆくのですが、これはもう無事に子供が生まれるのだろうというようにしか思えない雰囲気でした。また雪子のフィアンセ候補である御牧も、裕福なんですが今後の仕事ぶりだけは少し心配があるのですが、そのあたりは念入りに相談しつつ、ぶじ結婚に至るのでは、という感じで物語が進んでゆきました。次回に続きます。

 

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