野分(10) 夏目漱石

 今日は、夏目漱石の「野分」その(10)を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回は、文学者の白井先生が、経営の成り立ちがたい文芸誌の編纂について語っています。
 近代の文士は食えないし不成功が当然の事だったように思います。鴎外や初期の漱石は、収入源が文学活動では無かったわけで、軍医の仕事や学校の先生としての仕事をしてそれで家族を養っていたわけで、文士としての収支はまず厳しいものだったと思います。
 近代文学は、優れた人が困難にどのように向かいあっているのかを読んでゆくことが出来るので、そこがこの時代の作品の魅力のうちのひとつだと思いました。白井道也は貧しいながらも文学をとにかくやりたいわけで、そうなると富裕層の不正を糾弾するということに自然になってゆく、それがいろんな人の目についてしまうわけです。
 そういえばアンデルセンは、数多の詩を書いたのにも関わらず、創作で儲けられるということがほとんどなく、どうやって暮らしていたかというと、パトロンに気に入られることで、資金を得ていた。いわばスポンサーに保護してもらっている状態だったらしいです。それでその資本上の独立がむつかしい、という不自由から脱却したくて、ずっと独身で旅ばかりをしており、子どもたちのための童話をあまたに書いた、ということらしいです。
 白井道也の場合は、妻帯者なんですけれども、とにかく文芸で儲かるというのは出来ない状態なんです。もうちょっとあとの菊池寛あたりの時代にならないと、文芸で資本が動くということはなかったようで、当時は地位のある仕事をやりつつ副業のように文学に向かいあうしかなかったと思われます。白井道也の活動を見てゆくと、文学だけをやっていて資金の流れが駄目になっている、それで妻と親戚とが相談をして、文芸誌を辞めて教師になるようにしむけたらどうだと、いう話が出てくる。
  お金を工面してやっているのだから、言うことを聞きなさいよと、いうようなことを白井道也は言われそうなんですよ。本文と関係無いんですけれども、アンデルセンが結婚できなかった理由は、自由な資本というのを持つことが出来なかったからなのかもなあ、とか思いました。漱石はこう記します。
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  雑誌なんかで法螺ほらばかり吹き立てていたって始まらない、これから性根しょうねれかえて、もっと着実な世間に害のないような職業をやれ、教師になる気なら心当りを奔走ほんそうしてやろう、とけるのですね。——そうすればきっと我々の思わく通りになると思うquomark end - 野分(10) 夏目漱石
  
 いっぽうでとうの白井道也は、デカい広告をつくって、青年たちに演説をぶちかましてやろうと、準備をしている。これで本が売れるようになるのかもしれない。次回に続きます。そろそろ終幕なんです。
  

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野分(9) 夏目漱石

 今日は、夏目漱石の「野分」その(9)を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 前回と今回の第8・9回の展開はちょっと意外なもので、それまでの鬱々とした文芸誌の編纂事情とは打って変わって、才能があって人気もある中野君が結婚をする話なんです。
 漱石は「円満なる愛は触るるところのすべてを円満にす」とか「愛は堅きものをむ。すべての硬性を溶化ようかせねばやまぬ」と記します。
 そういった華やかな披露宴に、いつも孤立している高柳くんがやって来ることになっていた。彼は中野君を祝福したいんですけれども、自分は招かれざる不運を運んでいるような人間だというような錯覚がある、だから親友の目出度い現場を「敵地」だとか思ってしまう。「高柳君の服装はこの日の来客中でもっともあわれなる服装である」と記されています。高柳君は、幸福すぎる現場で、ぼんやりしています。この二人のギャップを漱石が描きだしていて、なんとも妙味のある場面に感じました。
  

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野分(8) 夏目漱石

 今日は、夏目漱石の「野分」その(8)を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 蛸薬師という謎の存在について、ぼくは気になったことがいちども無かったのですけれども、漱石がこの蛸寺のことをちょっと書いていたので、はじめて調べてみました。病におちいった母が蛸を食べたいというので、それを手に入れてきた。だが僧が蛸を食うとはどういうことだと問いつめられた。ところがそれがありがたい経典に変化したという……。分かるような分からないような逸話を発見しました。
 高柳君と道也先生でちがうのは、世間の事細かな事象に敏感であるかどうか、など、さまざまにあるんです。それを漱石が比較して書いてゆきます。道也先生は「かえりみるのいとま」がなくて本業だけに意識が集中しているんです。いっぽうで高柳君は、あらゆることを知ろうとしすぎている。
 今作の「野分」では、嵐や台風はとくに生じないのですが、やはり風が作中にあまたに描写されます。ここが漱石の散文詩なんだと思って読むこともできます。これを鑑賞するのも面白さのひとつだと思いました。それから漱石の病の描写は漱石の実体験も混じっているはずで、迫力のある描写に思いました。
「野分」がどういう小説か知りたいけれども、全文を読む時間がない場合は、とりあえずこの第八話だけを読んでみると、漱石文学がどういうものか、あるていど分かると思います。
 

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野分(7) 夏目漱石

 今日は、夏目漱石の「野分」その(7)を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 与謝野晶子の乱れ髪の歌集を彷彿とさせるような詩を歌う女が、登場します。それからミロのヴィーナスの塑像について男女二人で論じ合うんです。西洋の神と、みだるる髪。この作品の題名は『野分』なんです。野分というと台風のことで、てっきり罹災にかかわる本なのかと思っていたのですが、どうもそうではないようで、文士たちの活動が静かに描写されてきました。今回の第七話でやっと『野分』と記されたんです。調べてみると、この長編小説に『野分』と記されるのはたったの1回だけで、こんかいのこの詩だけで使われているんです。ですから漱石はここの詩のイメージを物語の中心に、したことになるはずなんです。こういう新体詩です。
quomark03 - 野分(7) 夏目漱石
  いたずらに、吹くは野分の、
いたずらに、住むか浮世に、
白き蝶も、黒き髪も、
 みだるるよ、みだるるよ。quomark end - 野分(7) 夏目漱石
 
 漱石が、ここで与謝野晶子の「みだれ髪」を想起していない、というのは確率としては低いはず、と思います。与謝野晶子の文学からインスパイアされて、作中の女性が生き生きと記されていった、かもしれない、と空想をしました。与謝野晶子にはこういう歌があります。
quomark03 - 野分(7) 夏目漱石
  夏花に多くの恋をゆるせしを神悔い泣くか枯野ふく風quomark end - 野分(7) 夏目漱石
 
 自由恋愛は難しい時代に、与謝野晶子の詩歌は、世間や文学界からみたら衝撃だったはずです。ぼくの空想では、漱石はこういった歌をイメージしつつ、この物語を紡いだのではないかと、いうふうに推測しました。ただ今回は、漱石にしては珍しく、男女の関係性はほぼまったく描かれずに、孤立しかかっている三人の男たちが記されてゆくんです。「野分」という言葉も、自然界に於ける野分というよりも現代でも使われる言葉でいうと「風当たりが強い」というような世間からの圧力のことを「野分」と記しているんです。野分に漱石はこう記します。
quomark03 - 野分(7) 夏目漱石
  中野君は富裕ふゆうな名門に生れて、暖かい家庭に育ったほか、浮世の雨風は、炬燵こたつへあたって、椽側えんがわ硝子戸越ガラスどごしにながめたばかりであるquomark end - 野分(7) 夏目漱石
 
 というように本文では書かれています。「野分」の意味は近代の文士に対する、この「浮世の雨風」のことを意味しているんです。批評性を持つ文学者が、世間からの排斥を受ける。自分としては、この小説の想像力は、与謝野晶子夫婦が世間から受けた不当な風雪について考えたこと、それをメタファーとして物語にしていったように、自分としては思えました。作中で高柳君は、最初は多数派を操る権力者たちに従ってしまっていて、白井先生を不当に攻撃していた。ところが白井先生の文学を垣間見て、その考えを改めて、世間の風を受けて立つ、という意志を持ちはじめている。こんかいの第七話は急に男女のことが記されていて、女には、まるで源氏物語の中心人物のように名前が記されておらず、なんだか不思議な展開でした。
 

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野分(6) 夏目漱石

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 この物語には3人の主要人物がいて、若手作家の中野君と、その友人の高柳君と、文芸誌を編纂している白井先生が登場します。
 高柳君はむかし、悪友たちにそそのかされ、白井先生に嫌がらせをして学校から追い出してしまった。だいぶ古い話なのですが、高柳君はそのことを真面目に謝罪したいが、そう明言する勇気が無い。ところが白井先生はそういう過去をほとんどまったく気にしておらず、いま目の前にある生活と創作のほうに苦労があって、そこに意識が向いている。
 キリストや孔子だけが苦に直面しているわけではなく、近代文学者は受苦の中で生きるしか無い。それから後半の白井先生の冗談みたいなはなしが印象に残りました。ところで作中によく出てくる江湖というのは、辞書によると「世の中。世間。一般社会」という意味があって、ほかの意味あいとしては「隠者の住む地」(デジタル大辞泉より)というので、この両方を意図して「江湖雑誌」と記しているようです。

0000 - 野分(6) 夏目漱石

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野分(5) 夏目漱石

 今日は、夏目漱石の「野分」その(5)を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回は白井道也が作っている文芸誌を読みながら、高柳君と中野君が、文芸や文化についてのちょっとした議論をしてゆく。
 そのなかで趣味の問題が書かれているのですが、これがすごい迫力でした……。
 趣味なくして「生きんとするは野に入って虎と共に生きんとすると」同じである、という評論があって、そのあとの展開に読み応えがありました。影響力がある人の、趣味の問題について論じているんですけれども、漱石独特の論考が印象に残りました。
 

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