晶子詩篇全集拾遺(75)

 今日は、与謝野晶子の「晶子詩篇全集拾遺」その(75)を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回の詩に記されている藤子というのは、与謝野晶子の12人目の娘(六女)の名前です。創作の晩期に記された「悟るを得たり、わが友よ」という詩の一節が印象に残りました。
むつかしい言葉を調べてみました
期する
 

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デカダン文学論 坂口安吾

 今日は、坂口安吾の「デカダン文学論」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 坂口安吾は戦後になってから、特攻隊だった男たちにかんして繰り返し論考した、というのが特徴的だと思うんです。これはどうしてそういうことを重大視したのか、まだあまり読めていないぼくにはわからなかったのですが、今回の論考で「破滅」と「健全」の対比が記されていて、少しだけ理解ができました。批評や哲学は、今まで誰も否定しなかったような根本的な事柄を覆して、新しい考えを提示することがあると思うんですけど、そういう批評というか、近代文学への批判を坂口安吾が行っています。坂口安吾の本を読むとまいかい思うのですが、安吾は序盤の記載が読みにくく、後半になるにしたがっておもしろくなるという独特な文体になっていると思います。
 藤村の罪の喧伝に関する欺瞞……「藤村はポーズを崩す怖れなしにかなり自由に又自然にポーズから情慾へ移行することが出来易かつたのだ」という箇所に於ける批判や、漱石の自死描写にかんする不誠実さへの批判が印象に残りました。とくに漱石に近しく漱石文学を敬愛した近代文学者は不幸な死に方が多かったので、安吾の批判は戦中戦後の日本文学の最大の問題を正確に指摘しているように思いました。それにしても漱石や藤村が文学に関して欺瞞に満ちているのなら、欺瞞を排した人はほとんど一人も居ないことになるのでは、と思いました。
 中盤で安吾はこう記します。
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  美しいもの、楽しいことを愛すのは人間の自然であり、ゼイタクや豪奢を愛し、成金は俗悪な大邸宅をつくつて大いに成金趣味を発揮するが、それが万人の本性であつて、毫も軽蔑すべきところはない。そして人間は、美しいもの、楽しいこと、ゼイタクを愛するやうに、正しいことをも愛するのである。人間が正しいもの、正義を愛す、といふことは、同時にそれが美しいもの楽しいものゼイタクを愛し、男が美女を愛し、女が美男を愛することなどと並立して存する故に意味があるので、悪いことをも欲する心と並び存する故に意味があるので、人間の倫理の根元はこゝにあるのだ、と私は思ふ。quomark end - デカダン文学論 坂口安吾

終盤の記載がすごいと思いました……。

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(過程に興味が存するばかりです) 中原中也

 今日は、中原中也の「過程に興味が存するばかりです」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 中原中也の詩というと『山羊の歌』がもっとも有名だと思います。今回の詩は、ほんの一頁だけの作品で、なんだか哲学的でした。「砂山のパラドックス」とか「床屋のパラドックス」を連想しました。中也の本棚にはたぶん、こういうラッセル以降の哲学書はなかったはず、と思います。
 

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吉野葛 谷崎潤一郎(5)

 今日は、谷崎潤一郎の「吉野葛」その5を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 赤ん坊を産み育てて二十九歳という若さで他界した母が、どのように生きたのかを調べる旅をしてきた津村……。この男を谷崎潤一郎が描きだします。津村は母の生家をつきとめて、それから母の遺していった手紙を見つけて調べたのです。母は、当時はそれほどめずらしくは無かったのですが、貧しさのために若いころ「大阪の色町へ売られ、そこからいったん然るべき人の養女になっ」てそのご平和に結婚をした、そういう経歴だったことが判明します。それについて津村はそれほど不快や怒りを感じてはおらず「花柳界の女に近づき、茶屋酒に親しん」で母の生きた世界を知りたがった。
 津村は、母の生まれ故郷を突きとめて、その紙すきを生業とした村を訪れた。
 その村のおばあさんに、かつてのことを聞いていった。
 どうして母の経歴と縁故が謎めいていってしまったのか、その事実がだんだん明らかになります。このあたりすこぶる現実的というか、みごとに細部まで書き記されていて納得がゆきました。
 若い娘を色町へ売って、その事実をのちに語るのもどうも、旧家にとっても当人にとっても良いことではなく、なんとなく黙っていた。それで子からみると謎めいて感じた。さらには吉野の千本桜の物語と地縁があって、安倍晴明の母が狐であるという伝説にも影響を受けてか、狐を民間信仰する習俗もてつだって、母の過去が謎めいていたのでした。嫁ぎ先が不運で、病のためにそうそうに家が解体していってしまったのも、津村にとっては、母はどこから来たのか分からなくなる原因だったようです。
   あと、物語の本筋とはあまり関わりが無いんですが、今回の作中に、ほととぎすという言葉の意味内容が記されていて、すこぶる驚きました。近代文学のはじまりといえば、正岡子規が深く関わっていた「ホトトギス」からいろんな文学者が作品を発表していった。近代文学の始まりの雑誌みたいなものだと思うんですけど、その「ほととぎす」ってどういう意味があるのか。谷崎は作中にこう記しています。
quomark03 - 吉野葛 谷崎潤一郎(5)
 「子をおもうおやの心はやみゆえにくらがりとうげのかたぞこいしき」と、最後に和歌が記されていた。
この歌の中にある「くらがり峠」と云う所は、大阪から大和へ越える街道にあって、汽車がなかった時代には皆その峠を越えたのである。峠の頂上に何とか云う寺があり、そこがほととぎすの名所になっていたから、津村も一度中学時代に行ったことがあったが、たしか六月頃のある夜の、まだ明けきらぬうちに山へかかって、寺でひと休みしていると、あかつきの四時か五時頃だったろう、障子の外がほんのりしらみ初めたと思ったら、どこかうしろの山の方で、不意にと声ほととぎすがいた。するとつづいて、その同じ鳥か、別なほととぎすか、た声も三声も、―――しまいには珍しくもなくなったほど啼きしきった。津村はこの歌を読むと、ふと、あの時は何でもなく聞いたほととぎすの声が、急にたまらなくなつかしいものに想い出された。そして昔の人があの鳥の啼く音を故人のたましいになぞらえて、「蜀魂しょっこん」と云い「不如帰ふじょき」と云ったのが、いかにももっともな連想であるような気がした。quomark end - 吉野葛 谷崎潤一郎(5)
 
正岡子規が中心になって作ったと言ってもいい「ホトトギス」には子規や故人へのいろんな人の思いが書き連ねられていったのだと思いました。この文芸誌には寺田寅彦の「どんぐり」や漱石の「吾輩は猫である」などが記されてゆきました。wikipediaにはホトトギスの故事について、こう記しています。「望帝杜宇は死ぬと、その霊魂はホトトギスに化身し、農耕を始める季節が来るとそれを民に告げるため、杜宇の化身のホトトギスは鋭く鳴くようになったと言う。また後に蜀が秦によって滅ぼされてしまったことを知った杜宇の化身のホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。= 何よりも帰るのがいちばん)と鳴きながら血を吐いた、血を吐くまで鳴いた、などと言い、ホトトギスの口の中が赤いのはそのためだ、と言われるようになった。」
 それから津村は、「おりと婆さん」に教えてもらって、母が若いころに大切にしていた琴を見つけだすんです。母はかつて、おそらくこの琴を使って「狐噲こんかい」を弾いたのでした。八木重吉の「素朴な琴」を連想させるみごとな場面でした。八木重吉はこういう詩を記しています。

 素朴な琴
 
 この明るさのなかへ
 ひとつの素朴な琴をおけば
 秋の美くしさに耐えかね
 琴はしずかに鳴りいだすだろう
 
 谷崎は、この詩を読んだのかもしれない、と思いました。
  

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吉野葛よしのくず」全文をはじめから最後まで通読する(大容量で重いです)

おやゆび姫 アンデルセン

 今日は、アンデルセンの「おやゆび姫」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これがおそらくもっとも有名な、アンデルセンの童話なんだと思います。終盤で、姫につけられた羽根や、中盤のモグラの存在……と、不思議に奇妙な箇所があるんです。この「どうも分からない」ところがかえってこの童話を印象深くしているのでは、と思いました。
 動物の中ではツバメがいちばん数多く記されていてずいぶん良い仕事をしています。アンデルセンと同じ、おとぎばなしを語る仕事までしているんです。ツバメの喜怒哀楽がなんだかすてきでした。
 

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尾生の信 芥川龍之介

 今日は、芥川龍之介の「尾生の信」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 この短編は、おもしろい構成をしていて、そもそも題名が荘子の本に記された寓話のうちの一つなんだそうです。知らずに読んだら、オチの唐突さに驚いたんですが、荘子の本を読みたくなる物語でした。芥川龍之介は、古典への興味を読者に広げてゆくのが上手いと、思いました。原典に記された尾生ってどういう人物だろうとか、荘子が書いた寓話は他にどういうものがあるんだろうとか、興味が涌いたのでこんど図書館で読んでみようと思いました。
 

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