夕靄の中 山本周五郎

 今日は、山本周五郎の「夕靄の中」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 山本周五郎の時代劇はぼくはほとんど知らないままなのですが、読んでみるとやはりすごいものでした。いかにも暗いことの起きそうなところに、光を差し込んでいるのが驚きをもたらしていて、多くの人々を魅了してきたのも頷けると思いました。人情と非人情の均衡、この配分がみごとに思いました。
 ほんの僅かの時間しか関わりを持たなかった人が、偶然にも人生の重大な転換に、影響を及ぼす……それも偶然の事故が多い世の中であるのにもかかわらず、その逆に、幸運にもものごとが上手く展開する。禍を転じて福となすというのか、諍い果てての契りとでもいうのか。
 序盤と終盤に現れてくる夕靄のイメージが印象深かったです。日本をこのように美しく描くのか、と思いました。
 

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遊星植民説 海野十三

 今日は、海野十三の「遊星植民説」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 「エッフェル塔の天辺に鵠が巣をかけたよう」な高層にある研究所に、ゴーゴンゾラという博士がいる。ある女が、この博士に取材をしにゆく。博士は「遊星植民説」というのを唱えている。この学説はいったいどういうものなのか? 地球以外に人類が住む計画というのをどうも打ち立てているようである。科学的な小話が愉快で、レムの短編にちょっと似ているんですけど、オチが落語みたいでけっこうおもしろい掌編でした。太陽光発電で月面にエネルギーを貯蔵し、それから大気を製造してゆき……。
 wikipedeiaの「生命居住可能領域」の頁も同時に読んでみました。
 

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論語物語(22) 下村湖人

 今日は、下村湖人の「論語物語」その22を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 孔子の古くからの弟子である子路が、ふたたび登場するのですが、この子路は勇ましい男で、武勇に長けた十哲なんです。孔子の時代は戦国時代ですから、力を持つ者は子路の生き方に近かったはずです。それを文人である孔子と下村湖人がどう考えてゆくのか……読んでみると子路に対するユーモアのある描写が印象に残るんです。子路と孔子は人間的な温かみのある交流が多く、そこがこの物語の魅力になっているように思いました。

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★『論語物語』をはじめから最後まですべて読む(※大容量で重いです)
『論語』はこちら(※論語の原文に近い日本語訳です)

夜寒十句 正岡子規

 今日は、正岡子規の「夜寒十句」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 言語の活動に関してどこから行為できなくなるか、というのは人によってちがうわけで、小学生のころはルビをふっていない小説は読めなかったわけで、大人になったら英語の本をすらすら読めるようになる人も居るらしいんですけど、そういう人でも詩を英語に翻訳するのは無理だったりもする。ぼくは近代文学なら読めるんですけど、それより古くなって口語体が消え去ってゆくとあんまり読めないです。
 漱石の親友だった正岡子規の文学を読んでみたい、とよく思うんですけど、これが言文一致体が完成する寸前の文体なので、難読の文章になっていて、読みすすめるのがどうもむつかしいです。これはごく短い作品で、ある夜に起きたことを随筆みたいに順番に描いていって、夜寒よさむかな、でおわる俳句を十句かきしるしています。おわりの二句がなんとも文学的情景に思いました。

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鑑定 芥川龍之介

 今日は、芥川龍之介の「鑑定」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 児玉果亭の山水画を買ってきて飾っていた、真贋で言うとおそらく無名の画家の作品であるはずだが……という話しが記されているんですけれども、美術に関して、つねづね思っていたことを芥川龍之介が書いていてちょっと嬉しく思いました。画集や本や聖書は、そもそも本物の原作では無くて、写真機や印刷機を用いた複製物にすぎないんですけれども、それは鑑賞するにあたって問題にならない。手作業で複製した絵画作品は画集より明らかに質の高い作品なわけで、たしかにスタンドアローン状態の原画には劣るとしても、美術として鑑賞するにあたって、画集以上に、質が高い。盗難目的の複製はただの犯罪ですけれども、合法の範囲内なら鑑賞の対象になる。
 前田青邨がこういうことを書いていたんです。
quomark03 - 鑑定 芥川龍之介
 ある時芍薬を描こうと思ったがちょうど自分のスケッチ帳がなかったので、人のスケッチを借りて描こうと思ったことがあった。そのスケッチは実に克明に微細な点まで写生してあったが、私には何の力ともならなかった。つまり急所が描けていなかったのである。たとえ簡単な線書きだけでも、自分の写生ならば一本の線から無限の真が浮き上がって来る。しからば写生のみで、画業の進歩は得られるかというとそうではない。同時に古画の研究が大切である。(略)自分の心持に感じた名画を克明に模写してみると大いに悟るところがあると思う。quomark end - 鑑定 芥川龍之介  (写生と古画研究 大正15年 1926年)
 
 芥川龍之介はそう言えば、海外の古典から着想を得て、それを模写するように、日本的な物語を作ったことがままあったのですけれども、前田青邨の論じているところと、共通したことを考えていたように思いました。資本主義から見れば複製というのは、価値が低いのかもしれないんですが、作品としての価値はある。焼き物の大半は複製の技法をもって作られているわけで、無名の作者の作物として、鑑賞の価値はある。

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晶子詩篇全集拾遺(51)

 今日は、与謝野晶子の「晶子詩篇全集拾遺」その(51)を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 キリスト教でも西洋思想でも仏教でも儒教でも、石に価値を見出す思想ってほとんど無いと思うんですけど、日本独自の、八百万の世界観では石に人間性を見出そうとする、これは賢治や与謝野晶子だけではなくって、日本人独特の価値観のように思います。(あるいは詩人独特の感性かもしれないです……)自然界と人間の心がどうも混じりあっている。今回は睡蓮の詩も印象に残りました。クロード・モネが『睡蓮』を幾枚も描いて発表したのが1903年から1908年ごろです。与謝野晶子がフランスに行ったのが明治45年の1912年。与謝野晶子は印象派の時代のヨーロッパを旅して、今回のような詩心を描きだすようになったの、ではないか、と、感じました。「正月に牡丹咲く」という作品は新年らしい詩でした。
 

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