シグナルとシグナレス 宮沢賢治

 今日は、宮沢賢治の「シグナルとシグナレス」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは宮沢賢治の童話で、花巻鉄道の信号機であるシグナルとシグナレスの物語です。
 

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追記  2人の会話がすてきで、終盤では、霧で世界がおおわれて、お互いの顔が見えなくなります。2人は夜明けを待ち、再び出逢えるように、祈りをささげるのでした。この一文が印象に残りました。「星はしずかにめぐって行きました。そこであの赤眼あかめのさそりが、せわしくまたたいて東から出て来、そしてサンタマリヤのお月さまが慈愛じあいにみちたとうと黄金きんのまなざしに、じっと二人を見ながら、西のまっくろの山におはいりになった時、シグナル、シグナレスの二人は、祈りにつかれてもうねむっていました。」さいごは二人の願いが叶って二人きりの美しい世界に至るんですが、それはどうも、地球ではなくって美しい銀河の中で、お互いに見つめあっているのでした。ふと気がつくと夢が覚めて「二人はまたほっと小さな息いきをしました。」という言葉で締めくくられる、清らかな童話でした。

小岩井農場 宮沢賢治

 今日は、宮沢賢治の「小岩井農場」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 明けましておめでとうございます。今年も近代文学を読みすすめてみて、百年前の文学世界を巡ってみたいと思います。
 賢治は農村の美しさや、風景や、鳥のありさまを克明に描きます。空を見上げる「白い笠の農夫」が現れた中盤のあたりから、幻想的な世界が記されますが、そのあとは再び写実的な農村が克明に描かれるのでした。後半から、主人公である「わたくし」と汽車を待つ男の2人は、オオジシギ(ぶどしぎ)という鳥について少し語りあいます。
 
 終盤には「銀河鉄道の夜」をも越えるような幻想的な世界「der heilige Punkt」つまり「聖なる点」の聖いこころもちをひらく地点が描きだされるのでした。「春と修羅」の「序」に描かれる「因果交流電燈の/ひとつの青い照明」と「銀河鉄道の夜」を結節するむすびめとしての詩として「小岩井農場」を読めるのでは、と思いました。
 「トツパースの雨の高みから/けらを着た女の子がふたりくる/シベリヤ風に赤いきれをかぶり/まつすぐにいそいでやつてくる」この前後の詩が美しい描写でした。
 

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★  春と修羅の全文はこちら 
 

 
  
追記   能登半島の震災で被害に逢われた方々に、謹んでお見舞い申し上げます。Yahoo!ネット募金にて、少額の寄付をしました……。
 

学問のすすめ(6)福沢諭吉

 今日は、福沢諭吉の「学問のすすめ」その6を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 原初の政府とはどういうものなのか、今回はこれを福沢諭吉が論じています。福沢はたびたび、犯罪者と刑法について書いています。政府の活動の中心は「犯罪者をとりしまる」ことだというんです。ふつう、現代政府というと、市役所に住所変更の申告に行くくらいのもので、あまり政府と刑務所とは関係が無さそうに思えるんですが、福沢の本を読んでいると、たしかに、政治のやることの中心には、犯罪の抑制をするところにあるように思えてきます。国民が個人的に、賊に体罰を与えることは許されない。政府だけにこの権能がある。かってに裁判したり、かってに裁いたりしたらいけない、というのが法治国家の中心にある。犯罪については政府に任せる……。危ないときには正当防衛がありえるんですが、それ以外では、犯罪者にたいして行動しない、ということを子どもにもわかりやすいように、福沢諭吉が説いています。すっごい悪人を、蹴ったりしたらダメである、ということを難しい言葉で記しています。
 今回の福沢の訓示を読んでいて、これはほんとに、近代と現代の日本人の特徴がよく現れているなと、なんとも納得がゆきました。
 戦国時代や江戸時代だと「仇討ち」というのが日本の伝統だったと思うんですが、明治大正昭和現代では、これと大いに異なる「自分からは手を出さないで、犯罪については政府を信任する」という思潮が発展したんだなと思いました。
 こんかいは、忠臣蔵の騒動について、批判的に記していました。それから士農工商の格差によって殺人が認可されていたことも厳しく否定していました。政治内の政敵の問題についても論じています。天誅の非論理性についても書いています。問題があるのなら、訴えて論じるべし、というように勧めていました。
 中世近代から現代社会への変化の要点について書いている、と思いました。今回の第6章はかなり興味深い内容なのでお薦めの章に思いました。
 また大学の運営について、政府の杓子定規な規制がはいっていて、これについて「政府に従いつつ、政府について主体的に論じよ」ということを実践したことを、福沢諭吉は記していて、現代とあまり変わらない問題が書いてあるように思いました。
 

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★ 『学問のすすめ』第一編(初編)から第一七編まで全文を通読する

 

怪異考 寺田寅彦

 今日は、寺田寅彦の「怪異考」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 幽霊やUFOの話しを聞いていて、たぶん実体験を元にして話しているはずで意図的な嘘を言っているわけではないのに、現実には存在しないことを言ってそうに思うことは多いんですが、寺田寅彦はこういった怪異の発言について、まずこのように考察します。
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  身辺に起こる自然現象に不思議を感ずる事は多いが、古来のいわゆる「怪異」なるものの存在を信ずることはできない。しかし昔からわれわれの祖先が多くの「怪異」に遭遇しそれを「目撃」して来たという人事的現象としての「事実」を否定するものではない。quomark end - 怪異考 寺田寅彦
  
 述べている人の、訴えたい心情は理解できるけれども、事象としてはありえないだろうと判断していて、さらにこの誤認の現象はなぜ起きたのか、をさらに論考してゆきます。見まちがいや勘違いの仕組みを読み解いています。見間違う、判断し間違う、言い間違う、聞き間違う、読み間違う、推測しそこなう、といったあらゆる間違いのフィルターを除去していって、じっさいにはどういうことがあったかを空想してみて考察する。
 よく、歴史家や研究者や記者は、とにかく足を使って事態を調べて、一次資料を重んじて、「又聞きの又聞き」みたいな存在である三次資料をほとんど重視しないらしいんですが、寺田は今回、二次資料や三次資料を元に考えるにはどうしたらいいのかを、今回書いています。
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 錯覚や誇張さらに転訛てんかのレンズによってはなはだしくゆがめられた影像からその本体を言い当てなければならない。それを的確に成効しうるためにはそのレンズに関する方則を正確に知らなければならない、のみならず……(略)quomark end - 怪異考 寺田寅彦
 
 これについて論考するには、空想の小説の形が良い、と寺田寅彦はいうのでした。小説にはそういう機能があって、そういえば歴代の古典の哲学者も、小説形式で哲学を展開したなあ、と思いました。それで全体30%の序盤から小説が記されます。高知県の荒海のそばで「ジャン」という怪音を轟かせる怪物が現れる、というんです。この記録はあまたに残っている。大森博士をはじめ幾人かの人々がこの記録を調査した。海峡の近くを走る断層線で、なにかの地鳴りが起きて、これと荒海の印象が、この怪しい「魔物」を生じさせた原因ではないかと、いうように記していました。くわしくは本文をご覧ください。
 

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追記  もう一つの「怪異」「小説」は「ギバ」という魔物について記したもので、「玉虫色の小さな馬に乗って、猩々緋しょうじょうひのようなものの着物を着て、金の瓔珞ようらくをいただいた」女が馬を襲うんだという、伝承について読解していました。読み方としては正しくないんですが、すごい妖怪の擬古典漫画で魅力的な作品でした……。寺田は草原で起きる夏の放電現象が原因ではないか、と指摘しているのでした。
  

細雪(34) 谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その34を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 学校に行ったまま、安否が分からなくなった妙子を探して、父の貞之助は洪水が起きている本山駅の周辺を歩きつづけています。大河が氾濫したかのような「川でなくて海、———どす黒く濁った、土用波が寄せる時の泥海である。」けっきょく貞之助は大水によって立ち往生している汽車の中に入りこんで、水の引くのを待つしか無くなった。
 駅の中に避難している人々の描写が、ほんとうに谷崎がこの現場を見て帰ってきて書いたような、克明な描き方でした。なぜか線路のところに、どこかの犬が洪水と雨の中を迷子になっていて、これをみんなで助け出し、貞之助は家から持ってきていたブランデーを飲んで煙草を吸う場面がありました。半島の家族たちが汽車の中で避難している描写があり、妙子の通っている小学校が遠くに見えるけれども、大水のためにどうにもならない。今まで楽しそうだった学生も「事態が笑いごとでなくなりつつある」状況に疲弊しはじめている。「窓の外では濁流と濁流とが至る所で衝突し」ている。妙子のことを思って、貞之助はこう感じます。「今から一箇月前、先月の五日に「雪」を舞った時の妙子の姿が、異様ななつかしさとあでやかさを以て脳裡のうりに浮かんだ。」 数時間ほどしてやっと水がすこしだけ引いてきた。この前後の描写がみごとだと思いました。
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  一心に外を見守っていた間に、はっと胸を躍らせるようなことが起っていた。と云うのは、いつの間にか線路の南側の方の水が減って行って、ところどころ砂があらわれて来たのである。反対に北側の方はいよいよ水が殖え、波が上りの線路を越えて、此方の線路へ打ち寄せつつあった。
「此方側は水が減ったぞ」
と、生徒の一人が叫んだ。
「あ、ほんとうだ。おい、これなら行けるぞ」quomark end - 細雪(34) 谷崎潤一郎
  
 まだ濁流が続いていて油断できない状況で、妙子の女学校にようやっと辿りついた貞之助なのでした。次回に続きます。
  

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当サイトでは『細雪 中巻一』を通し番号で『細雪 三十』と記載しています。『中巻三十五』は通し番号で『六十四』と表記しています。
 
「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。
  
■登場人物
蒔岡4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)
 
 

学問のすすめ(5)福沢諭吉

 今日は、福沢諭吉の「学問のすすめ」その5を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 「学問のすすめ」第1編から3編までは、じつは小学生が読めるように、わかりやすい言葉で書いてきた、と福沢諭吉は書きます。古い言葉で読みにくいところはあるんですが、内容は分かりやすいところも多いと思います。4編と5編は、学者批判を記しているので難しい内容で、6編からはまた小中学生が読める内容を書いている、そうです。
 福沢諭吉は独立して生きられる状態をとかく重んじていて、これが失われれば悲しいことであると、書いています。
 近代の日本はまだ、国際関係が出来ているわけでは無く、まだ幼子が家の外に出てないようなものだと、書いています。不当な支配を受けないための闘いが出来る知恵がある人のことを「独立の気力」がある者、というように述べているんです。学校や工業や軍事を表向きそろえたとしても、独立が成立するわけでは無い、という指摘がありました。
 独立した状態というのはほんの数年くらいで失われがちな存在であって、初期の慶應義塾であっても、これは失われる可能性がある。形だけ整っているのはこれは独立の状態では無いようなんです。人々が独立しようという気力を漲らせられるように、なすべき事をなせていることを、独立している、と記しているのでした。今回の論は、研究所や私立大学の経営論なのでは、と思いました。
 

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★ 『学問のすすめ』第一編(初編)から第一七編まで全文を通読する