外套 ゴーゴリ

 今日は、ニコライ・ゴーゴリの「外套」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 ウクライナ生まれのゴーゴリの文学作品を読んでみました。
 ゴーゴリの描く外套は……極寒の地において暖がとれ衣食住がやっと整ったという意味あいもありそうで、ボロボロになった外套をあきらめ、新しい服を手に入れようと決意してこれがやっと実現した時の、主人公の喜びは迫力のある描写に思いました。
これは1840年に記された小説なのですが、このころのウクライナの文化についてはwikipediaに少し記されていました。
 ここからはネタバレになってしまうので、未読の方は本文だけを読んでもらいたいのですが、後半の、事件を解決するためのロビー活動のことが印象に残りました……。要人に対面して折衝を願い出て、これが無碍に廃棄されてしまうのが哀れでした。初見の時は気がつかなかったのですが、正しい側や被害者側は問題解決に向けての努力が必要となってしまい、それらの努力が不運にも壊されてしまうのがおそろしく思いました。有力者の「閣下」の言い分はずいぶんおかしい。有力者は主人公の事情を鑑みず無碍に威圧すると、彼は青ざめてしまいます。翌日から仕事が出来なくなり、病にかかって亡くなってしまう。主人公は新調した外套について誉めそやされて良い気分になって気が緩んでしまい、それが原因で不幸に見舞われ大病に陥っていて、この禍福をあざなう描写が忘れがたいものに思いました。有力者はさいご、死者の蒼白な顔がまるで忘れられなくなるのでした。
 

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ウクライナ情勢に関しては、CNNNHKと、wikipedia、が参考になると思いました。
yahooネット募金にて、ウクライナの緊急人道支援が必要とされています。

器楽的幻覚 梶井基次郎

 今日は、梶井基次郎の「器楽的幻覚」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 フランスから来た若いピアニストが「豊富な数の楽曲を冬にかけて演奏して行ったことがあった」。
 梶井基次郎の代表作と言えば『檸檬』で、本屋の美しさと沈鬱とを描きだした作品なのですが、その梶井基次郎が音楽の演奏会を描いた作品です……。梶井基次郎が音楽のことを描くとこうなるのかという衝撃がありました。
 ただ心地のよい音色にひたった、というところで終わらず現代美術の鑑賞体験のような不可思議な感覚について記していて、ジョン・ケージの『4分33秒』を連想させる世界が描きだされます。梶井基次郎は数十年後にこういった作品が現れうる可能性について作中で思考しているように思いました。音の愉楽のみを描きだすのではなく、するどい批評の一文もあり短編とは思えない迫力がある小説でした。
 「私の耳は不意に音楽を離れて、息を凝らして聴き入っている会場の空気に触れたりした。」という文章の前後の展開がみごとで、印象に残りました。
 

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戦争と一人の女 坂口安吾

 今日は、坂口安吾の「戦争と一人の女」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは戦時中を描いた小説で、安吾と言えば評論的随筆がもっとも有名だと思うんですが、今回のは純粋に物語小説になっています。帝国主義の呪いから解放されたところの戦後の記載が印象深かったです。終盤の描写がみごとでした。
 

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麦藁帽子 堀辰雄

 今日は、堀辰雄の「麦藁帽子」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 戦前戦中の小説の中で、もっとも現代的なのは堀辰雄だと思うんです。コロナ以前の現代社会くらい、平穏な子どもたちを描けていたり、若者の淡い恋愛描写が美しい文体で記されているんです。正岡子規のほんの数十年後にこんなに文体が洗練されてシンプルになっているのがすごい、と思いました。本作は自伝的要素も色濃いのですが、堀辰雄の物語は漫画でもリバイバルできるくらい現代的に思います。百年後でも古びないというのはどういうことなんだろうと思いました。
 漱石と堀辰雄は二人とも、養父のことをじつの父親だと思いこんでいた、という少年時代があるんです。これと東洋文学を換骨奪胎して西洋的な小説が書けたことには、なんらかの関係性があるのかもしれないと思いました。夏休みに、兄妹や幼い知り合いたちでなんとなく遊んでいる。「私」は少女と一緒に居たいと思う。避暑地のテニスコートでふたたび「私」は少女たちと出会ってゆく。本文こうです。
quomark03 - 麦藁帽子 堀辰雄
 夏休みが来た。
 寄宿舍から、その春、入寮したばかりの若い生徒たちは、一群れの熊蜂のやうに、うなりながら、巣離れていつた。めいめいの野薔薇を目ざして。……
 しかし、私はどうしよう! 私には私の田舍がない。私の生れた家は都会のまん中にあつたから。おまけに私は一人息子で(略)ひとりで旅行をするなんていふ芸当も出来ない。quomark end - 麦藁帽子 堀辰雄
 
 終盤において幼少期の世界から訣別してゆく「私」の描写が……みごとでした。
  

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虹 原民喜

 今日は、原民喜の「虹」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これが原民喜の代表作だ、と言われたら納得するようなみごとな掌編小説でした。眠れない、というところから「彼」の物語が始まります。病が治癒する気配を感じて、これまで行ってきた文芸誌の編纂と、自作の新しい取り組みについて「彼」は夢想する。それから……つづきは本文を読んでみてください。
 

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 作中でちょっとデーヴィッド・ハーバート・ローレンスについても記していて、こんどローレンスを読んでみたいと思いました。

風と光と二十の私と 坂口安吾

 今日は、坂口安吾の「風と光と二十の私と」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これをぼくは五年くらい前に読んだのですが、再読してみました。安吾の若い頃を描きだした自伝的小説です。家が貧しかったので大学には行けず、「小学校の代用教員になった」安吾のことが記されています。「そのころ」「世田ヶ谷の下北沢」は「竹藪だらけで」「麦畑」と「原始林」につつまれた田舎だった……。
 小学校の先生をしていたほんの短い期間のことを中心に書いています。「コンニチハ一つ書くことのできない子供がいる。二十人もいるのだ。このてあいは教室の中で喧嘩ばかりして」いる。安吾のこの文章が印象にのこります。
quomark03 - 風と光と二十の私と 坂口安吾
 本当に可愛いい子供は悪い子供の中にいる。子供はみんな可愛いいものだが、本当の美しい魂は悪い子供がもっているので、あたたかい思いや郷愁をもっている。こういう子供に無理に頭の痛くなる勉強を強いることはないので、その温い心や郷愁の念を心棒に強く生きさせるような性格を育ててやる方がいい。私はそういう主義で、彼等が仮名も書けないことは意にしなかった。quomark end - 風と光と二十の私と 坂口安吾
  

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 安吾は本作に「魂」という言葉を九回ほど書いていてその箇所が印象にのこります。『私のあこがれは「世を捨てる」という形態の上にあった』という箇所もすごかったです。