しめしあわせ エドガア・アラン・ポー

 今日は、エドガア・アラン・ポーの「しめしあわせ」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 翻訳が難解なのか、あるいはポーの原作があまりに幻視的なので難読書になっているのか分からないのですが、これは内容のみならず、文体も謎めいていて、重厚な文学でした。ごく数十頁で完結する本なのですが……。作中のこの詩が印象に残ります。
 
いとしき人よ、御身おんみこそ、わが魂の
思いこがれしすべてなりき。――
いとしき人よ、渡津海わだつみの緑の小島、
愛らしき果実このみと花のまつわれる
ほこら噴泉ふきい、さてはまた
すべての花はわがものなりき。
 
(略)
 
今わが日々ひびはすべて夢幻ゆめまぼろしにして、
夜ごとの夢はことごとく、
イタリアの流れのほとり、
かろやかの舞踏おどりのうちに――
きみが灰色ののきらめくところ、
きみが足どりのひらめくところにこそあれ。
  
どうしてアフロディーテ夫人は身罷ったのか、不幸はどのようにして起きたのか、それらの符合を、いくつかの絵画を読解すると共に解き明かしてゆくのでした。
  

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文七元結 三遊亭圓朝

 今日は、三遊亭圓朝の「文七元結」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 この「文七元結ぶんしちもっとい」は速記本というもので、落語のはなしをそのまま文章化してみたというもので、どうもこれが明治初期の言文一致運動の始まりに於いて重要なもので、これらによって読みやすい物語小説が発展してゆき、現代小説につながっていった、らしいです。
 日本の小説は落語の聞き書きが起源なのかもしれないと、言われてみるとなんだか小説に対する意識がちょっと変わるように思いました。じっさいこの速記本を読んでみると、当時の本にしてはずいぶん読みやすくて、読んでいて面白いんです。たぶん流暢に話す落語家だったら、きっとこういうように話すんだろうなと、脳内で自動補正して読みすすめるんですけど、うまい人が話したらここで笑いが起きる……はずだというように感じる作品でした。
 ほとんどモノクロテレビみたいに古びてボロボロになった小さいモニターで映画を熱心に見ている専門家の話しをむかし聞いたことがあるんですけど、それはもう脳内で色を塗って見ているはずなんです。聞こえない声を聞くのが本なんだ、というように思いました。
 じっさい読んでみると、やはり小説としても落語としてももの足りない。速記本だなと思うんです。内容としては、仕事が出来る男なのに賭博で家を潰しかけていて、これをなんとかしようと、娘がみずから御奉公致して働くことに決めた。京町一丁目の角海老楼というのは吉原遊郭の有名な店だそうです。
 それで左官の長兵衞は、吉原の角海老のおかみさんから100両を貸してもらって借金をすべて整理することにした。おかみさんは、娘の親孝行をおもんぱかって、年末まではお手伝いさんとして働いてもらうことを確約した。だがちゃんと働いて100両を返済しないかぎりは娘も不幸になるから賭博はもうやめるのだと長兵衞をさとします。
 ところが100両もの大金を、現代で言うと五百万円(あるいは二千万円くらいかもしれないらしいですが)もの大金を手に持って歩いていると、身投げをしようとしている妙な男がいてですね、100両をついさっき無くしてしまったと言っている。大金をなくした罪悪感に耐えきれず、身投げをしようとしていたのが、文七という名前の男なんです。しょうがないから100両ぜんぶをそいつにあげてしまった。それでその文七という男は生き延びたんですけど、肝心の長兵衞は、今から2倍の大金をいそいで稼がないといけなくなった。
 ところがじつは、100両をもらった文七は、無くしたはずの100両もすぐに発見してしまって、もらった金をすぐに返そうとする。100両もの大金をくれた見知らぬ男(長兵衛)に金を返したいが、どこの誰だか分からない。それで近江屋の主人に相談すると、それはたぶん角海老で100両を借りていった長兵衛だというので、さっそく主人と文七は長兵衛に金を返しに行く。
 長兵衛はなんと、100両はもういらないや、あげた金はもう受け取りたくないと言いはじめる。どうもばくち打ちの道楽者だから、金にこだわりがないみたいで、見知らぬ人間を助けようとする男なんです。
 そういう態度をどうも、近江屋の主人である卯兵衛は感心してしまった。それで風俗嬢になりかけていたお久とマヌケな失態をした文七の2人は、ちゃんと良いところがあるし、ちょうどいいので夫婦になってもらって、近江屋の仕事の一部を継いでもらって、親孝行なお久は幸せに暮らすことが出来た、ということなのでした。……。ちょっとぼくの説明ではこの面白さと人情は伝わらないのかと思うので、wikipediaで登場人物やあらすじも書いていますし、YouTubeに文七元結ぶんしち もっといの落語がありますのでぜひ聞いてみてください。
 
 

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癩院記録 北條民雄

 今日は、北條民雄の「癩院記録」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 近代日本文学には、病について描きだした文学作品が多いと思います。正岡子規の「病牀六尺」が有名です。子規がつねづね投稿していた文芸誌「ホトトギス」は赤い血を吐いて鳴く鳥にたとえてホトトギスという名を用いたらしいですし、闘病文学というのが近代の文学の、ひとつの中心にあったように思うんです。
 徳冨蘆花の「不如帰」は結核を描きだしていて、他にも泉鏡花が少年の病を美しく描きだすのも印象深いです。精神病院を描いた作家としては芥川「河童」や夢野久作の「ドグラ・マグラ」それから島崎藤村の「ある女の生涯」などがあります。藤村をいつか読んでみようと思います。
 北条民雄は、ハンセン病を患いながら病状について描き続けた作家で、代表作は「いのちの初夜」です。今回の「癩院記録」はもうすこし実話を中心にした、随筆なんです。まず、ハンセン病の施設に入所するところから描きだします。当時は不治の病として考えられていました。北条民雄の特徴的なのは、自分が過酷な病に陥りつつも、医者のまなざしを重んじていて、自分の環境も客観的に観測しているところがすごいと思うんです。それでいて冷徹では無く、仲間の患者たちの生のありようを描きだしています。
 

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象を撃つ ジョージ・オーウェル

 今日は、ジョージ・オーウェルの「象を撃つ」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 ジョージ・オーウェルの作品は「1984」が有名で、現代でも最新訳でこれが読めるんです。この「象を撃つ」というのはちょっとすごい作品で、苦力を殺してしまった害獣のゾウを、英国人がライフルで撃つ。一文で書くと、法的にも倫理的にも、なんの問題も無さそうに見えるんですが……、行為者本人が自身の悪について論考している。帝国批判の書でもあるんです。オーウェルのような批評性のある近代作家はほとんど居ないのではないかと思いました。物語上での問題は、正当防衛と言えない時間差があることで、今まさにもう1人の人間が被害にあいそうだというときに害獣を銃撃することは、明確な正当防衛であってなんの問題も無いんですが、ゾウはすでに殺人の意思を持たない状態になっていて、撃つ必要がほとんどまったく無くなっているのが、主人公の行為に違和感を抱かせるんです。
 見えないところからの嘲笑、それから逃れたいがために、問題を大きくしてしまう……。最後の一文で、主人公の思惑の真相が明記されていて、これにも唸りました。
  

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(※この翻訳は、「クリエイティブ・コモンズ 表示 3.0 ライセンス」によって公開されています。くわしくは本文の底本をご覧ください。)

檸檬 梶井基次郎

 今日は、梶井基次郎の「檸檬」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 文学の最初の書きだしというのが、その作品の全体の構成を決めていることがあると思うんですけど、この始まりはほんとにすごいなと思います。カフカの『変身』もすごいと思うんですけど、日本の近代文学といえば、この檸檬の冒頭ではと、思いました。檸檬……。
 

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廃墟から 原民喜

 今日は、原民喜の「廃墟から」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは原民喜「夏の花」の、その後の場面を描いた文学作品なんです。原民喜の「夏の花」における冒頭の詩は、 聖書の言葉からのものなんです。「ソロモンの雅歌」第八章十四節にこれが記されています。この雅歌を読んでゆくと、花の描写が印象深いんです。
quomark03 - 廃墟から 原民喜
  もろもろの花は地にあらわれ、鳥のさえずる時がきた。山ばとの声がわれわれの地に聞える。
いちじくの木はその実を結び、ぶどうの木は花咲いて、かんばしいにおいを放つ。わが愛する者よ、わが麗しき者よ、立って、出てきなさい。quomark end - 廃墟から 原民喜
 
文語訳はこうなっています。
quomark03 - 廃墟から 原民喜
  もろもろの花は地にあらはれ 鳥のさへづる時すでに至り 班鳩の聲われらの地にきこゆ
無花果樹はその青き果を赤らめ 葡萄の樹は花さきてその馨はしき香氣をはなつ わが佳耦よ わが美しき者よ 起て出きたれquomark end - 廃墟から 原民喜
  
 この「雅歌」を、原爆の直撃を受けて生き残った原民喜は始めから終わりまで読んでいてこれを引用しつつ、自分たちの生をどのように描くのかを考えて、物語を編んでいったのが「夏の花」です。
 平和に毎日を生きられることの重大さ、というのを感じずにはいられない記述があまたにありました。爆風や原爆症によって広島で亡くなった人々が記されてゆきます。本文こうです。
quomark03 - 廃墟から 原民喜
  「惜しかったね、戦争は終ったのに……」と声をかけた。もう少し早く戦争が終ってくれたら——この言葉は、その後みんなで繰返された。quomark end - 廃墟から 原民喜
 
 戦後すぐの貧困による死者は日本中に多く、その困難が、さまざまに記されていました。この本の、終わりの三行の記載に唸りました。見知らぬ人に知己のおもかげをなぜだか重ねてしまって、つい挨拶をしてしまう。その事実を淡々と記していて、これが文学としての深い印象を残しているように思いました。
  

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