今日は、槇村浩の「郵便さん」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
貨物自動車が実用化されていなくて飛脚がまだあった時代の、郵便屋さんの仕事のことを、児童向けの詩歌にした掌編です。動きと言葉の響きがかわいい詩でした。これは園児が声に出して読むための詩なのかなと思います。
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(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
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今日は、佐藤春夫の「愉快な教室」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
これは現代の日本ではとうてい実現しない話しで、なんとも妙な、教室の中が犬だらけになったという珍事について記した、実話っぽい児童文学でした。もしかすると、たんに口伝の実話をうまくまとめた話しなのでは、と思います。
愉快な教室というのは、室内に犬がいっぱい入り込んでいる教室で、どうして中学校の中に犬がいっぱい入ってくるようになったかというと、犬好きのM子という娘がいて、それで餌を何度もあげるものだから、これで犬がいっぱい入ってくるようになった。先生も大らかなので、犬を排除しない。さらに餌をもらった犬は意外と従順なので、授業を邪魔したりせずに、M子のそばに集まって座っている。けれどもやっぱり、けものなので教室の中で他の子どもを噛んでしまったりする。犬からするとふざけて噛みついているようである。
教室で犬を飼うくらいなので、クラスメイトはなんだかずいぶん仲が良い。H子という中学生の親戚が勤める百貨店のツテを頼ってクラスメイトみんなで、ニューヨークのデパートに集団就職するのだ、という計画が出来てしまったりした。
真相としては、H子にはそういうツテがあるので、英語の勉強さえちゃんとやれば、将来はニューヨークで働ける可能性が高かったのだけれど、この話に尾ひれがついてしまって、クラスメイトみんなでニューヨークで集団就職するのだ、という噂にまで発展し、みんなで英語の勉強に熱心になったというのでした。
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今日は、沖野岩三郎の「馬鹿七」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
これは農村を描いた牧歌的な小説なんですが、タヌキと交流する馬鹿七と、村の有力者たちとの対話が描きだされます。Stay foolishという話しを連想させるような、なんだかすてきな小説でした。
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追記 ほんとによくあるタヌキの昔話かと思って読んでいったのですが、ずいぶんダイナミックなことが描かれていました。こういう見たことの無い本を探していたのだ、と感じさせる児童小説でした。
今日は、村山籌子の「ねずみさんの失敗」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
これはもう完全に幼子に向けて書かれた童話で、大人に読み聞かせをしてもらう作品なのかと思います。
ネズミが「あぶらあげ」の匂いをかぎつけてあわただしく走り回り、あわてて残りものをもらいに行こうとする、コミカルな描写が魅力の作品でした。
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追記 本作は1931年に発表されたねずみの物語です。ネズミの物語をちょっと調べてみると、1928年にミッキーマウスが作られて、1940年にトムとジェリーがつくられています。古くは室町時代に「鼠の草子」というのがあってこれが古典では有名なのかなと思います。
今日は、新美南吉の「おじいさんのランプ」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
これは小学生向けの児童小説で、ランプ屋さんをしていたおじいさんが、仕事をやめて、新しいことをはじめるところが描かれています。新美南吉と言えば美しい風景と動物の描写が特徴的なのかと思っていたのですが、こんかいは寂寥というのか、淋しさのことが中心的に描かれている童話に思いました。
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追記 児童が読むための本なので、後半はのどかな展開でした。ランプを売る仕事は辞めても、こんどは本屋さんとして長々と仕事をつづけたのでした。残された、使い道の無いランプのことが後半に記されてゆきました。慌ててランプ屋さんを辞めなくても、まだまだランプの需要というのはあったなあと、おじいさんはあとから思うのでした。ただ、一つの仕事をいったん停止して、新しい仕事を始めることの重要性を、おじいさんは説くのでした。前半はまどろっこしい展開で読みにくいのですが、読み終えてみると、新美南吉っぽさが表出する、魅力的な童話を読んだなあという気持ちになる作品でした。
今日は、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの「年とったカシワの木のさいごの夢」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
これはアンデルセンの代表的な童話で、題名どおりカシワの木が主人公で、生き物たちと話しこんだり、眠ったり、祈ったりする物語です。クリスマスの美しい情景とともに描きだされる、自然界のいのちのありさまを記す童話でした。
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ぼくはこれをほとんど初見で読んで、アンデルセンの諸作の中でも、とくに優れた物語に思いました。子どもが読むための本なんですが、本作は大人が読める内容になっているように思いました。自然界の描写が現代人とは比べものにならないほど念入りに描かれていて、それが生きものの生老病死と繋がって記されるもので、秀逸な小説だというように思う作品でした。とくに前半に登場する、ほんの1日だけしか生きられないカゲロウと、数百年も生きるカシワの木の、心温まる会話劇がみごとであるように思いました。カゲロウの思いというのが、さいごのカシワの思いとも繋がっていて、作中の発言にあるように「わしの愛するものは、みんな、いっしょなのだ。小さいものも、大きいものも。みんな、いっしょなのだ」というところに印象深く響いてくる、クリスチャンの童話らしい童話というように思う作品でした。老いたアンデルセンがこの物語の中で生き生きと語っているような、童話に思いました。