ダゴン HPラヴクラフト

 今日は、HPラヴクラフトの「ダゴン」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 近代のホラー小説の最高峰というかもっとも有名な、ラヴクラフトの暗黒神話が記されているんですけれども、今回、ラヴクラフトが参照元とした美術のことが明記されています。ギュスターヴ・ドレの絵画みたような暗黒大陸を見た、という男の物語です。題名にもなっている「ダゴン」というのは旧約にも記されている、古代の神だそうです。wikipediaのPTSDのページと同時に読んでみました。
 

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化鳥 泉鏡花

 今日は、泉鏡花の「化鳥」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 泉鏡花の代表作は、子どもが重大な役を果たしていたりして、子どもから見た世界が描かれていることが多いのだ、と思いました。とくに母と子の交流というのが印象深いんです。
 先生よりも、動物の生き方のほうが智慧があって美しいのではないか、と考える幼子の心理が詳らかに記されてゆきます。母から教えられたことのほうが重大に思える。
 鳥や草木が人間に見える、また人のことを鳥や動物のように感じる。特定の人間を動物に見せかけて表現すると人種差別になると思うんですけれども、泉鏡花の場合は全人類と動物の垣根が取り払われている心理を書いています。
 近代文学の魅力のひとつに、自然界と人類との垣根があいまいで、その描写が現代作品よりも色濃いというところがあるように思いました。
 泉鏡花の物語を読んでいると、世界への認識を見失ってしまったような、幼い頃に迷子になってどこに何があるか分からなくなっている感覚が生じるような気がしました。
 

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星座 今野大力

 今日は、今野大力の「星座」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 ぼくは今回、今野大力こんのだいりきという名前を初めて聞いたのですが、調べてみると、二十世紀の北海道の有名な詩人なのでした。一五年戦争の最中に、結核を患っていた詩人だそうです。百年前は、現代よりも銀河が美しく見えた……天ということばが印象深い詩でした。今回は一篇の詩を読んでみました。

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三四郎 夏目漱石

 今日は、夏目漱石の「三四郎」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 漱石が描いた作品の中でもとくに、この三四郎という主人公はかなりの、うっかり者なんです。はじめに、旅のさなかで見知らぬ女にずいぶん失礼なことをしてしまう。女はほとんど気にしていないんですけれど、こんなミスはめったにない。
 三四郎のいろいろな失敗に注目しつつ読むと、なんだか楽しいような気がしました。
 序盤にだけ現れる、名前の無い女というのが、この物語でなんだかものすごく重大な存在のように思えたんですけど、どうなんでしょうか。
 作中に記されたストレイシープ、という言葉は、マタイによる福音書の第18章に書かれていました。漱石は、聖書のこの部分を100%読んでいたわけで、ここに着想を得て、三四郎を書くことにしたようなんです。ちょっと長いですけど、wikisourceから引用してみます。

 マタイによる福音書 第18章
そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。
すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、
「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。
(略)
あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである。〔人の子は、滅びる者を救うためにきたのである。〕
あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。
もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。
マタイによる福音書『口語 新約聖書』日本聖書協会 1954年 wikisourceより
 
 

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科学者とあたま 寺田寅彦

 今日は、寺田寅彦の「科学者とあたま」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 物理学者の寺田寅彦が、科学者に必要な性格について語っています。科学者は頭が良いだけじゃなくって、頭の悪さ、みたいなものを持っていないといけない、というはなしで本文にこう書いていました。

  いわゆる頭のいい人は、言わば足の早い旅人のようなものである。人より先に人のまだ行かない所へ行き着くこともできる代わりに、途中の道ばたあるいはちょっとしたわき道にある肝心なものを見落とす恐れがある。頭の悪い人足ののろい人がずっとあとからおくれて来てわけもなくそのだいじな宝物を拾って行く場合がある。
 
 寺田寅彦が科学と言っているとき、それはたいてい自然科学のことを言っているんだなと思って、なんだが得心がいった箇所がありました。寺田寅彦を精読してきた科学者なら、原発のどこに問題があるのかも、事前にわかっていたんだろうなと、思いました。本文こうです。

  頭のよい人は、あまりに多く頭の力を過信する恐れがある。その結果として、自然がわれわれに表示する現象が自分の頭で考えたことと一致しない場合に、「自然のほうが間違っている」かのように考える恐れがある。まさかそれほどでなくても、そういったような傾向になる恐れがある。これでは自然科学は自然の科学でなくなる。一方でまた自分の思ったような結果が出たときに、それが実は思ったとは別の原因のために生じた偶然の結果でありはしないかという可能性を吟味するというだいじな仕事を忘れる恐れがある。
 
 ほかにも「頭のいい人には恋ができない。恋は盲目である。科学者になるには自然を恋人としなければならない。自然はやはりその恋人にのみ真心を打ち明けるものである。」と書いていました。
 

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鼠の湯治 中谷宇吉郎

 今日は、中谷宇吉郎の「鼠の湯治」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 食事の違いによってネズミの治癒はどう変化するのかを調べた、近代の学者たちのハナシなんですけれども、実験科学と統計学の問題点について記されています。中谷氏はこういうことを書いちゃうんです。

  平均をとって出て来た結果が嘘か本当かは、まず勘で判断するより仕方がない。こうなると物理的研究も少々あやしいものである。もっとも正統の物理学ではそんな問題はあまり取扱わないから、こんな白状をしても物理学の権威を損うことにはならないだろう。
 
 そういえば、飲料水とかの「水」その水の危険性を「DHMOの危険性」として一般の聴衆に発表すると、80%以上の人が、水の使用を法で規制せねばならない、という間違った結論に至ってしまう、という実験があったことを思いだしました。
 中谷氏は、怪我をしたときに、脂肪の多い食事をとっていたネズミの治癒は遅く、また温泉に浸かったネズミは傷の治りが早かったという実験結果を書いています。温泉に関しては多忙な現代人にはかえって移動のつらさや休憩時間の減少で、むしろ体調を悪くするって話しを何処かで読んだことがあるのですが、湯治場が近い人には良いのかもしれません。
 病気の治りかけは、たしかに油っこいモノを食わずに、おじやや、おうどんとかを食うもんだよなあと思いました。
 wikipediaには温泉療法について、こう書いていました。
 
 

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