戯れ アントン・チェーホフ

 今日は、アントン・チェーホフの「たわむれ」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 梶井基次郎はこのチェーホフの「悪戯たわむれ」を、以下のような文体で一部翻訳しています。
 
「乗せてあげよう」
少年が少女をそりに誘う。二人は汗を出して長い傾斜をいてあがった。そこから滑り降りるのだ。――橇はだんだん速力を増す。首巻がハタハタはためきはじめる。風がビュビュと耳を過ぎる。
「ぼくはおまえを愛している」
ふと少女はそんなささやきを風のなかに聞いた。胸がドキドキした。しかし速力が緩み、風のうなりが消え、なだらかに橇が止まる頃には、それが空耳だったという疑惑が立める。
「どうだったい」
晴ばれとした少年の顔からは、彼女はいずれとも決めかねた。
「もう一度」
少女は確かめたいばかりに、また汗を流して傾斜をのぼる。――首巻がはためき出した。ビュビュ、風が唸って過ぎた。胸がドキドキする。
「ぼくはおまえを愛している」
少女は溜息をついた。
「どうだったい」
「もう一度! もう一度よ」と少女は悲しい声を出した。今度こそ。今度こそ。
(梶井基次郎「雪後」より)
 
 この全文を、新たな訳文で電子書籍化してみました。チェーホフの名作の中でも、とくに児童文学として優れた作品である、というように思います。二人の子どもたちのみずみずしい情感が、チェーホフによって描きだされています。
 

0000 - 戯れ アントン・チェーホフ

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(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
 
追記 これは、インターネットでは日本語で無料公開されていなかったチェーホフの名作文学です。ロシア語の原文を調べてみて、deepseekに翻訳してもらい、人間の眼で確認して文体を調整した、0円配信としては本邦初公開の名作なんです。ソリで遊ぶ少年と少女の美しい物語で、終盤の、老いた主人公のまなざしが印象に残る文学作品です。

雪後 梶井基次郎

 今日は、梶井基次郎の「雪後」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これはチェーホフの、雪に戯れる二人の少年少女を描いた名作「戯れ」へのオマージュ作品になっています。
 梶井基次郎と言えば青年の個人的な憂鬱を幻想的に描きだした、独り者の世界観をみごとな文学に昇華した作品が代表作だと思うのですが、今回のは若くして大学での「地味な研究の生活に入」り、そうそうに婚姻した「行一」という青年の、静かな日々を記した作品でした。
 作中で梶井基次郎は、チェーホフの名作「戯れ」をかなり長く引用してゆきます。少年と少女の雪の「戯れ」の後の世界を、梶井基次郎が、原作と異なる展開で書いてみたのでは、というように思いました。
 次回、二日後にこのチェーホフの「戯れ」を電子書籍化してみたので読んでみようと思います。
 

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秋の瞳(26)八木重吉

 今日は、八木重吉の「秋の瞳」その26を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 色彩と詩学の混じりあった、蠱惑こわく翡翠ひすいの青を描く詩でした。
   

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不可能 エミール・ヴェルハーレン

 今日は、エミール・ヴェルハーレンの「不可能」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 上田敏の絢爛な訳詩では見えにくい箇所があったので、フランス語の原詩を捜し出して翻訳を試みました。上田敏の翻訳では見えがたくなっているところは……
「変われ!立ち上がれ! これが最も深遠な掟だ」
Changer ! Monter ! est la règle la plus profonde.
という自己超越してゆく力強い意志の、表出するところで、この詩の言葉がなんだか美しく感じました。
 

0000 - 不可能 エミール・ヴェルハーレン

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追記  AIに「以下の詩を、子どもが感動するような、分かりやすい現代語で翻訳してみて」と依頼すると、なかなかおもしろい訳詩を出してくれました。いちど試してみてください。
 

■ L’IMPOSSIBLE 抄録
 
Homme, si haut soit-il ce mont inaccessible,
Où ton ardeur veut s’élancer
Ne crains jamais de harasser
Les chevaux d’or de l’impossible.
(略)
Changer ! Monter ! est la règle la plus profonde.
L’immobile présent n’est pas
Un point d’appui pour le compas
Qui mesure l’orgueil du monde.

 
■ L’IMPOSSIBLE 全文
 
Homme, si haut soit-il ce mont inaccessible,
Où ton ardeur veut s’élancer
Ne crains jamais de harasser
Les chevaux d’or de l’impossible.
 
Monte plus loin, plus haut, que ton esprit retors
Voudrait d’abord, parmi les sources,
À mi-côte, borner sa course ;
Toute la joie est dans l’essor !
 
Qui s’arrête sur le chemin, bientôt dévie ;
C’est l’angoisse, c’est la fureur,
C’est la rage contre l’erreur,
C’est la fièvre, qui sont la vie.
 
Ce qui fut hier le but est l’obstacle demain ;
Dans les cages les mieux gardées
S’entredévorent les idées
Sans que jamais meure leur faim.
 
Changer ! Monter ! est la règle la plus profonde.
L’immobile présent n’est pas
Un point d’appui pour le compas
Qui mesure l’orgueil du monde.
 
Que t’importe la sagesse d’antan qui va
Distribuant, comme des palmes,
Les victoires sûres et calmes,
Ton rêve ardent vole au delà !
 
Il faut en tes élans te dépasser sans cesse,
Être ton propre étonnement,
Sans demander aux dieux, comment
Ton front résiste à son ivresse.
 
Ton âme est un désir qui ne veut point finir ;
Et tes chevaux de l’impossible,
Du haut des monts inaccessibles,
— Eux seuls — la jetteront dans l’avenir.

 
以下より引用
https://fr.wikisource.org/wiki/Les_Forces_tumultueuses/Texte_entier#L%E2%80%99IMPOSSIBLE

野狐 田中英光

 今日は、田中英光の「野狐やこ」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 戦後のカストリ雑誌の恋愛作品という印象の、不倫男のデタラメな三角関係の物語で、最後の最後まで泥沼の痴情が語られるのですが……田中英光氏は、作中で2つの古典を紐解いています。
 ひとつはボードレールの「悪の華」に記された「諦めよ、わが心よ。獣のごとく眠れ」という詩で、もう1つは中国の禅「無門関のじゅ」です。以下にこの詩を掲載してみます。
  
虚無の味 Le Goût du néant ボードレール
 
かつて闘いを愛せし、陰鬱の魂よ、
希望という拍車がその情熱を駆り立てしも、
もはや希望はお前にまたがろうとせず。
恥じらいも無く伏せよ、古き馬よ――
一つひとつ障害につまずくその蹄を休めよ。
 
あきらめよ、わが心よ――
獣のごとく、ただ眠れ。
 
敗れ、疲れ果てし魂よ! 老いたる掠奪者よ!
愛の味も、争いの火も、もはやお前に響かず。
さらば、銅のラッパの歌、さらば、笛の嘆き!
快楽よ、この陰鬱に沈む心を、もう誘うな。
 
愛すべき春さえ、香りを失いし。
そして〈時〉は、
凍りつく身体を飲みこむ雪のごとく、
一刻一刻、我を呑みこんでゆく。
  
我は高みにて、この丸き地球を見おろし、
もはや、一つの小屋すら、避け所として求めず。
ああ雪崩よ――
その崩落に、我をも巻き込んではくれぬか。
ボードレール『悪の華』より
  
そして「無門関の頌」というのは中国の禅宗のエピソードのひとつで
ある行者が老師の「大修行の人も因果を受けるや?」という問いに、
「不落因果(因果に落ちず)」と誤って答えたため、500回も狐に生まれ変わらされて、百丈和尚に救いを求めます。百丈和尚は「因果をくらまさず」と答えて、この魂を解放してやった。
無門関の頌には
「不落不昧、両彩一賽 不昧不落、千錯万錯」
と記されています。
「因果を無視するのも、こだわるのも、どちらも間違い。本当の悟りは、ただ自然に生きることにある。」
この2つの古典がなんだか印象に残りました。
  

0000 - 野狐 田中英光

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(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
 

細雪(74)谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その74を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 自分としては意外な展開だったのは、四女の妙子が人形製作と洋裁学院を怠けはじめてしまった・・・・・・・・・・というところで、これは写真家だった板倉との縁が切れたこと以上に、不倫男奥畑啓坊との付きあいが色濃くなってきたから、それと不釣り合いな行為が薄れてきてしまったのではというように自分には思えました。奥畑啓坊はじつの父からも「店員とグルになって、店の品物を持ち出し」て窃盗を繰り返して「勘当」されたし、妙子の親族も「奥畑をひどく嫌っている」わけで、その啓坊と妙子が無理やりのように近づいてしまったということがどうにも納得のゆかない展開なのでした。戦時中で、良い男がみんなどこかへ行ってしまうという時期が迫ってくる時世なので、裕福で雅な一家にも不幸が忍びよっているのでは、というように思いました……。
 ただ姉や親族としても、妙子と啓坊が同棲を始めてしまった場合は、やむをえないが交際を認めるしかないという控えめな考え方でゆくつもりであるようです。もうこの大長編小説も後半ですから、これは、ようするにこういう婚姻を追ってゆく物語だったのか……というように思えてきました。話のスジはあらかた見えてきたのですが、この婚姻について、幸子や雪子や妙子はどう思うのか、そのあたりに注目して後編を見てゆくと良いのかなあ、と思いました。
 妙子は自主独立した人なんだから命令するわけにはゆかないだろう、というのが今回の考えでした。
 こんかいの幸子のいう「姉ちゃん」というのは四姉妹のなかの大姉の鶴子のことで、鶴子はこの物語ではほとんどまったく出てこない大御所の、遠い存在なのでした。
 いよいよ登場人物がほとんど全て集まる、亡き父母のための法事がとりおこなわれるのでした。

0000 - 細雪(74)谷崎潤一郎

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(総ページ数/約20頁 ロード時間/約3秒)
当サイトでは『細雪 中巻一』を通し番号で『細雪 三十』と記載しています。下巻の最終章は通し番号で『細雪 百一』と表記しています。
「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。
  
■登場人物
蒔岡4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)
  
追記
「当日には、姉、正雄、梅子、貞之助夫婦、悦子、雪子、妙子の八人にお春が供をして、八時半に家を出た」それから「カタリナさん」と親しい「キリレンコさん」も同行するのでした。話しを聞くと、ドイツ出身のカタリナは、日本からドイツまで帰りつきそこから戦争を避けるためイギリスにようやっと着いて、ロンドンで働きはじめたのでした。ロンドンであっても戦争被害はあったわけで、まだまだ警戒すべき時期なのではという印象でした。
 これまでたびたび思ってきたことなんですが、「細雪」は家族のことだけを描いた小説ですから、幸子や夫や妙子は本音をいっぱい言いあうわけなんですが、じっさいに親族に会うと、ただ会うだけで議論のぶつけあいというのは生じず、みんな黙って静かに親睦を深めるのです。これがなんとも日本らしい日本の物語という印象を受けました。谷崎の代表作である「痴人の愛」や「卍」にはそういう静かな日本の姿というのはあまり見うけられなかったです。落ちついた日本という姿が消えかかっている戦中だからこそ、谷崎は当時の作家が書きがたくなっている静けさを記していったのでは、というように思いました。
 お手伝いさんのお春どんが、なぜか塚田という世帯持ちの棟梁に「なあお春どん、あんた僕の奥さんになっとくなはれ、あんたが承知してくれはったら、今直ぐにでも内の奴に出て貰いまっせ、いや、冗談と違いまっせ」という嘘を言われてからかわれているのが、なんだか妙だなと思う法事の一場面でした。