可哀想な彼女 久保田万太郎

 今日は、久保田万太郎の「可哀想な彼女」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 久保田万太郎は谷崎潤一郎や芥川龍之介や島崎藤村と親交が深かった作家だそうです。wikipediaには敗戦の年に「空襲で被災し、家財・蔵書のほとんどすべてを失った」と記されていました。今回の随筆ではおもに、家族の不幸と、震災後の生きかたと、文士の生計について書いています。
 戦後すぐの活動がwikiに記されていて、今回の随筆で考えて言語化していたことがじっさいに活きて、静かで平和な晩年を過ごしたんだなと思って読みました。百年前の時代ではあきらかに長寿の作家なのだと思います。おもに教育者として生計を立てた作家だったようです。
  

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魚紋 吉川英治

 今日は、吉川英治の「魚紋」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これははじめ江戸時代の地味な碁会所での探りあいやら恋模様が描かれるんですが。4人……5人の悪党が、700両という大金を巡って痛烈な争いを繰り広げる無頼の物語で、中盤からはハリウッド映画の惨劇みたような諍いが畳みかけられる、江戸の悪漢小説なのでした。
 登場人物は……
 碁会所の女主人である、お可久。
 山岡屋。
 浮世絵師の喜多川春作。
 侍のかまきり。
 外科医の玄庵。
 遊び人のあざみ
 この薊というのが意外と危険な男でとんでもないことが起きるのでした。
 ある雨の日、碁会所にいる山岡屋のところに、牢番がやってきて、妙なことを言うんです。
「川底に七百両の金を沈めてある」どうも盗賊の和尚鉄が大金を盗み出して、逃げるときに川底に財宝を沈めたまま、捕まってしまった。これを川から引き揚げて、和尚鉄の代わりに知人の山岡屋に使ってしまってほしい、という依頼なのでした。和尚鉄はもう島流しを喰らうか死罪となるかで、二度と娑婆には戻れそうになく、盗んだ金の使い道はない。牢番も小判が欲しくてこの危険な依頼をしに来たのでした。
 山岡屋はさっそく永代橋の西河岸の川底を見にいくのですが、そこには役人もいるし人通りも多いし、川の流れもきつい。小判が水に洗われているのは見えるが、そうやすやすとこれを引き揚げることが出来ない。本作の題名である「魚紋」というのは魚が泳いだあとにできる波紋のことです。
 山岡屋と牢番の密談は、悪友たちに盗み聞きされてしまっていて、誰もがこの川底に沈んだままの、盗まれた七百両を狙っている……
 

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追記  ここからはネタバレなので、近日中に読み終える予定の方はご注意願います。 川底に沈んだままの、盗まれた七百両をいろんな悪党が狙っているところで……次々に事件が起きるのでした。さいごは愚かで無欲な喜多川春作だけが生きのこって、七百両はこれは、役人もこれを探しだせぬまま、東京湾に流されて海の藻屑と消えたのかと、思われます。
 

細雪(46)谷崎潤一郎

 今日は、谷崎潤一郎の「細雪」その46を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 旅先で出くわした台風がやっと退いて、空は晴れたのですが、恐怖心が消え去らないという状況でふたたび観光を再開した幸子は、娘を喜ばせるために歌舞伎でも観ようかと思うんですが、まだこれらは閉じたままだった。旅先で運悪く天災にみまわれたので、どうも故郷の関西が恋しくなってしまう。東京に住ませて新しい人生を歩ませることにした、妹の雪子のこともふびんに感じられる。幸子は雪子のさみしさを実感的に理解するのでした。「帰りたさにしくしく泣くと云う気持が、ほんとうに察しられるのであった」と書かれています。
 雪子の東京での暮らしぶりというのは、手紙と話しだけで探ってきたわけですが、じっさいに行ってみて実際に見てみることで、雪子の状況が見えてくるというのが印象に残りました。幸子としてはやっぱり、はやく良い男と結婚をさせたいという気持ちが強いのでした。
 これまで繰り返し出てきた、女中のお春どんのことが今回いろいろ書かれています。お春どんといえば、気前が良くて明るくて社交的で、顔立ちが整っていて可愛らしい女中さんだという印象だったんですが、ひとつ大きな欠点があって、ものぐさすぎて不潔さがすごい、汚れものもちっとも洗わずに押し入れに隠してしまうのだそうです。
 ふつうなら、掃除や洗濯などをずっとやっていて、服装も整っていて清潔にする仕事だけやりつづけて、なにも話さないしなにも交流しない、というのが一般的な女中の存在だと思うんですが、お春どんはこの真逆なんです。掃除が大嫌いで手を洗うのさえ大嫌いで、匂いも汚れもひどい。こういう女中さんなのに、人づきあいは大好きで、誰にでも親切だし、家族やお客さんからは好まれる。お春どんは、仕事はできないけれども仁徳はあるという、妙な女性なのでした。掃除婦なら清潔だろうとか、そういうことのちょうど逆のところに居る人のほうが、なんだか人間的に思えてくる、近代の終わりごろの物語なのでした。
 

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当サイトでは『細雪 中巻一』を通し番号で『細雪 三十』と記載しています。『中巻三十五』は通し番号で『六十四』と表記しています。
「細雪」の上中下巻、全巻を読む。(原稿用紙換算1683枚)
谷崎潤一郎『卍』を全文読む。 『陰翳礼賛』を読む。
  
■登場人物
蒔岡4姉妹 鶴子(長女)・幸子(娘は悦ちゃん)・雪子(きやんちゃん)・妙子(こいさん)
 

最小人間の怪 海野十三

 今日は、海野十三の「最小人間の怪」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 カエルよりも小さい、微小な人間たちを目撃したN博士のかたる怪談……なのでした。
 

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追記   大きさを自在に変えられる大女が現れて「私」は洞穴から逃げ出した。この謎の女を「私」はずいぶんのちになってから上野科学博物館で目撃します。それが幻覚だったのか、あるいは博物館から微小になって姿をくらませたのかは謎のまま、物語は幕を閉じるのでした。

名なし指物語 新美南吉

 今日は、新美南吉の「名なし指物語」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 名なし指というのは、小指のとなりの薬指のことです。木ぐつ屋さんをやっているマタンおじいさんは、名なし指が無いんです。子どもたちはきっと、木靴を彫るときに誤って指をなくしてしまったんだろうと思っていて、おじいさんに質問してみました。すると、おじいさんは不思議な昔話をするのでした。
 りんご畑のりんごを盗む遊びをしていたマタン少年は…………
  

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追記  りんごを盗む遊びをしていたマタン少年は……チョキンチョキンとりんごの木を切るハサミ男に見つかってしまって、名なし指を無くしてしまったのでした。どこかへ行ってしまった名なし指は、いったいどうなったのか。その物語が不思議に展開してゆくのでした。最後は(未完)の二文字で終わる、なんだかすてきな物語でした。
 

学問のすすめ(17)福沢諭吉

 今日は、福沢諭吉の「学問のすすめ」その17を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 最終章は、人望論からはじまります。この本はおもに商人の倫理というのを説いてきたと思うのですが、福沢諭吉は地味な商売だけでは無く、人気商売ということについてもさかんに論じるのでした。慶應義塾をつくった福沢諭吉が、学校の人気とか、学長の人気ということも重視していた、というのはなんだか乙な話に思いました。
 大きな買い物をしたあとでちょうど今だけ借金があるという商人は、マイナスの人間なのかというと、そういうわけではない、と説かれています。人望のある商人は、貯金額や技量によって評価されているわけでは無く、仁徳や知性によって人望を得ているのだ、と、福沢諭吉が言うのでした。
「売薬師が看板を金にして大いに売りひろめ、山師の帳場に空虚なる金箱を据え」というような虚飾が盛んになっていると「見識高き士君子は世間に栄誉を求めず」栄誉を避けることが増える。ところが、福沢諭吉はここで「栄誉」というのはどういうものかをちゃんと考えてみよう、と言うのでした。
 「栄誉」というのは植物で言うところの「花」と同じような作用があって、花を失った植物は栄えることができない。嘘の花を盛んにして本体が行方不明になるというのもまずいけれども、花を投棄して花を避ける、というのは生物として無理がある。
 自身の栄誉を無理に拡げようとしてはいけない、それよりも他人のことをしっかり知って学ぼうというのが、論語の基本で「君子は人の己れを知らざるを憂えず、人を知らざるを憂う」という方針があるのですが、福沢諭吉はこれは「悪弊」だと批評しています。才徳があるのなら人望をも得て大きな仕事に励もう、というように述べていました。他人のことを知って、自分のことも知ってもらうことが重要だと、論語の教えをさらに進めて説いていました。
 そのためにはまず、言葉を学んで、活動を広める。みんなが分かるような言葉を使う、苦虫を噛み潰したような顔をずっとしているのも良くない、といった処世術についても書いているのでした。気軽に相談できるような穏やかな知者を目指してゆく……言葉や表情を柔らかくして、広く人に接する。福沢諭吉が学生に説く、人望論が書かれていました。
 学問で交流したり、商売で交わったり、趣味の友だちをつくったり、友を作る方法はいろいろある。
 人を毛嫌いして棒きれのような枯れた生きかたをするのは良くない。花の無い生きかたをするのは辞めよう、という福沢諭吉の指摘なのでした。
 論語を学んでおいて「道がちがう相手とは協力しない」と考えるのはこれは論語の誤読である、と福沢諭吉は批評しています。
 向かう道が異なるからと言って、協力しあわないというのはまずい。異なる道を進んでゆくような新しい友を求める、ということを福沢諭吉はすすめています。これで学問のすすめが完結していました。はじめて最後まで読んだ……と思いました。
    

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★ 『学問のすすめ』第一編(初編)から第一七編まで全文を通読する