双生児 江戸川乱歩

 今日は、江戸川乱歩の「双生児」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
  江戸川乱歩といえばエドガーアランポーの怪奇性からその着想を得てきた作家のはずだと、作家名から予想していたんですけど、今回のはどうもポーの『黒猫』を意識して作品を書いているように思いました。猫が死んで終わりにならない、自分とそっくりな顔の男が死んでから、不思議な怪奇が始まるのでした……。
 終わったように思ったところから、いろいろ始まるのがなんだか迫力があるように思いました。

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不思議な帽子 豊島与志雄

 今日は、豊島与志雄の「不思議な帽子」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これはなんだかすてきな童話で、下水道をはいかいする悪魔が奇妙な冒険をする物語でした。現代作品だと悪魔は消滅するもんだと思うんですが、古典や童話では、いつまでたっても倒されないのが特徴だと思います。主人公がどたばた逃げる場面が多く、そこが魅力的に思いました。豊島与志雄は「スミトラ物語」もお薦めです。
 

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僕たちは愛するけれど 小川未明

 今日は、小川未明の「僕たちは愛するけれど」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 小川未明の童話は、小学校の高学年を対象にしたものが多いと思うんですが、今回の童話はもっと幼子むきなのかと思いながら読みました。今回のは代表作とはずいぶん雰囲気が異なる、ネコと子どもたちの物語です。日本でもエジプトでも猫はずっと繁栄してきたわけで、猫の200年間の近現代史を、詳細に学んでみたいと、思うような童話でした。
 

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あの頃の自分の事 芥川龍之介

 今日は、芥川龍之介の「あの頃の自分の事」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは序文に、実話をただ単簡に書いたものだ、と、私小説のように書いた作品だ、と記しているんですが、学生時代の文学活動について書いています。けっこういろんな作家のことが記されていて、シェークスピアから田山花袋、ロマンロランに、ドストエフスキー、谷崎潤一郎、永井荷風、テオフィル・ゴーティエボードレール……あと武者小路実篤氏の作品と思想についてことこまかに記していました。
 芥川龍之介が『鼻』を書いている頃の、文学活動についていろいろ書いていました。
 後半で、喫煙室に偶然やって来た谷崎潤一郎のことを書いています。谷崎潤一郎と芥川龍之介は、文学批判の応酬をしたことで有名なんですけれども、その前段の関わりと、前期谷崎作品に対する寸評が記されているというように思いました。谷崎のほうが5歳くらい年上で5年はやく作家になっているんですけどほぼ同年代というように思います。
 本作では「鼻」を書いた時期に「財布」という作品も書いたらしいのですが、ぼくにはこの題名の作品がどこにあってどういう作品なのか、分からなかったです。芥川の作品には「財布」に関してこういう記載があります。
quomark03 - あの頃の自分の事 芥川龍之介
  クリストの財布(略)クリストの収入は恐らくはジヤアナリズムによつてゐたのであらう。が、彼は「明日のことを考へるな」と云ふほどのボヘミアンだつた。ボヘミアン?――我々はここにもクリストの中の共産主義者を見ることは困難ではない。しかし彼は兎も角も彼の天才の飛躍するまま、明日のことを顧みなかつた。「ヨブ記」を書いたジヤアナリストは或は彼よりも雄大だつたかも知れない。しかし彼は「ヨブ記」にない優しさを忍びこます手腕を持つてゐた。この手腕は少からず彼の収入をたすけたことであらう。彼のジヤアナリズムは十字架にかかる前に正に最高の市価を占めてゐた。しかし彼の死後に比べれば、――現にアメリカ聖書会社は神聖にも年々に利益を占めてゐる。……(続西方の人より)quomark end - あの頃の自分の事 芥川龍之介
 

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妻 横光利一

 今日は、横光利一の「妻」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 夫婦のなんだか朗らかな暮らしのなかで「私」は庭のカマキリの生態を観察していると、メスのカマキリが夫を食べてしまって、養分になってしまう。終盤の「私」の指摘を上品に読み説いた場合、どういった言いかえになるんだろうかと思いました。妻子を養えたら誰だって喜ぶ……。末尾のとくに意味を持たない、おだやかな会話の四行が、映画の結末でこれを目の当たりにしたら、なにか満足度が高いのではと思いました。
  

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玩具 太宰治

 今日は、宰治の「玩具」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 太宰治が近代文学の中でもっとも美しい文を書くんだと思っているんですけど、この一文が印象に残りました。
quomark03 - 玩具 太宰治
 私は糸の切れた紙凧かみだこのようにふわふわ生家へ吹きもどされる。quomark end - 玩具 太宰治
 
 糸の切れた紙凧はふつう、青空か平原に落ちてゆくもんだと思うんですが、そのような自然な場に生家があるようです……。この後段を読んでゆくと、このたとえに複数の意味あいが込められているのを感じて、こういう隠喩の技法はどうやって書けるんだろうと、思いました。いっけん平易な文の連なりに見えるんですが、よくみるとマグリットのデペイズマンのような方法を用いているところがあるように思います。これは未完の自伝的小説なのですが、終盤の描写に迫力がありました。
 

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 追記 
 作中の「手管」のあとに2回だけ書かれる「君」というのも妙なんです……。こんかい「ですます調」ではなく「だ・である調」で「る」で閉じる文章が多くて118回くらい「る」が使われているんですけど「だ」はほとんど使っていない。「ものの名前というものは、それがふさわしい名前であるなら、よし聞かずとも、ひとりでに判って来るものだ。」このあたりまで「だ」を使ってないんです。終盤「私が二つのときの冬」のあたりでも使っています。太宰治の独特な文体がみごとで、その美しさの理由がなんなのかくわしく論じている本があれば、ちょっと読んでみたいと思いました。
むつかしい言葉を調べてみました。
手管 
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%89%8B%E7%AE%A1/