今日は、正岡子規の「俳句上の京と江戸」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
正岡子規が京都と東京の俳句の違いを記しています。
漱石の言葉づかいと、親友の子規の言葉づかいは、時代がまったく同じなのになんだかちがうんです。江戸、という言葉一つをとっても、漱石は『江戸川』とか『江戸名所図絵』ということを記す時くらいしか使わないんです。いっぽうで子規は東京のことを江戸、江戸、と記します。俳句の研究を通して古典文学を学んでいった子規と、英文学を学びながら新しい小説を書いていった漱石とで、言葉の考え方がかなり違うようです。
東京、東京府、という言葉を使いはじめたのは明治の始まりの頃なんです。
漱石はこれを気に入っていたようで、東京という言葉を多用しています。
漱石の「こころ」では、東京という言葉が七十四回も使われているのに、江戸という言葉はたったの一回しか使っていない。
子規はこの随筆で「江戸」を八十七回も記していていちども東京と書かない。
ちょっと、種ふくべ、にかんする俳句を調べてみると、漱石と子規と虚子でこういう俳句がありました。
誰彼にくれる印や種瓢 高浜虚子
恩給に事を欠かでや種瓢 夏目漱石
くりぬいて中へはいらん種ふくべ 正岡子規
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