玩具 太宰治

 今日は、宰治の「玩具」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 太宰治が近代文学の中でもっとも美しい文を書くんだと思っているんですけど、この一文が印象に残りました。
quomark03 - 玩具 太宰治
 私は糸の切れた紙凧かみだこのようにふわふわ生家へ吹きもどされる。quomark end - 玩具 太宰治
 
 糸の切れた紙凧はふつう、青空か平原に落ちてゆくもんだと思うんですが、そのような自然な場に生家があるようです……。この後段を読んでゆくと、このたとえに複数の意味あいが込められているのを感じて、こういう隠喩の技法はどうやって書けるんだろうと、思いました。いっけん平易な文の連なりに見えるんですが、よくみるとマグリットのデペイズマンのような方法を用いているところがあるように思います。これは未完の自伝的小説なのですが、終盤の描写に迫力がありました。
 

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 追記 
 作中の「手管」のあとに2回だけ書かれる「君」というのも妙なんです……。こんかい「ですます調」ではなく「だ・である調」で「る」で閉じる文章が多くて118回くらい「る」が使われているんですけど「だ」はほとんど使っていない。「ものの名前というものは、それがふさわしい名前であるなら、よし聞かずとも、ひとりでに判って来るものだ。」このあたりまで「だ」を使ってないんです。終盤「私が二つのときの冬」のあたりでも使っています。太宰治の独特な文体がみごとで、その美しさの理由がなんなのかくわしく論じている本があれば、ちょっと読んでみたいと思いました。
むつかしい言葉を調べてみました。
手管 
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%89%8B%E7%AE%A1/