今日は、森鴎外の「椙原品」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
伊達政宗の孫である綱宗は、ほんの二年間しか城主として働いておらず、すぐに若くして隠居させられて芸道の道を進んだという、不思議な人生を送ったんです。
綱宗の妻に関する伝承のいくつかには誤りがある、と鴎外が記します。綱宗が吉原の有名な遊女を身受けしていろいろあったというのは、これは誤りである、と書いています。吉原の遊女を囲ったのではなくって、椙原品という女と五十年ものあいだ、暮らしたそうなんです。本文こうです。
「品は一体どんな女であつたか。私は品川に於ける綱宗を主人公にして一つの物語を書かうと思つて、余程久しい間」……この研究を続けた。
綱宗は「和歌を善くし、筆札を善くし、絵画を善くした」「十九歳で家督」してほんの二年後に叔父の伊達宗勝によるintrigue(陰謀)によって蟄居の身となり引きこもった。
綱宗の好きな言葉は『知過必改 得能莫忘』というもので、間違いを知ったら改めて、学びを得たらそれを忘れてはならない、ということを大事にしたそうです。
綱宗の妻の椙原品のことを、鴎外がいろいろ研究して、この本を書いています。
小説の取材のための研究をしている、創作の過程のところそのものを、随筆のように記す、谷崎潤一郎の『吉野葛』という作品があるんです。今回の鴎外の『椙原品』でも、取材をしたことを物語化せずに、そのまま書いてみる、という書き方で始まるんです。歴史研究と物語作品の中間みたいなところを記しているものなんです。
wikiにもことこまかに記されている伊達騒動のことも、書いているんです。まずは綱宗が引きこもった事件。wikiにも、森鴎外が指摘している、伝承の書き間違いのことがちょっと書かれていました。ふしぎなことに「椙原品」のことはwikipediaにはひとつも書かれていないんです。ちょっとありえない話しです。調べてみると、綱宗のいちばんはじめの側室は三沢初子で、これはwikipediaにも記されています。その次の側室がどうも森鴎外によれば「椙原品」という女だそうで五十年間も夫婦関係が続いたらしいんです。品は、謎の女性なんです。
伊達騒動の発端は、綱宗が政治を放りだして別のことをしていたので、生まれたばかりのほんの二歳の綱村がボスになったからいろんな事件が起きたわけです。
今回、森鴎外は八歳の綱村が事件に巻きこまれて、家来の数人が身代わりになってしまい、容疑者もいろいろ犠牲になってしまった、というところを記していました。
wikipediaでは「伊達騒動は綱村の隠居でようやく終止符が打たれることになった。」と記していました。
椙原品を読み終えて、百科事典や歴史研究ノートをいろいろ見てまわって思ったのは、椙原品っていったい何者なの?! 森鴎外によれば、吉原の遊女の高尾を身請けしたというのは間違いだ、ということになっているので、高尾太夫と椙原品は別人のはずなんです。
三沢初子というさいしょの側室は実在の人物なんですが……。品という側室はどうも居ない。
けっきょくやっぱり架空の人物なの? というように思いました。いっけん歴史的事実に見せかけて、これはずいぶん架空の話しだったのでは、と思ったんですが、じっさいに仙台市には椙原品のお墓が存在していて、仙台市もこれを「椙原品のお墓です」と記しているんです。品はどうにも、謎の女性なのでした。
wikipediaには伊達綱宗の側室は「側室:三沢初子、清雲院、安寿院、養性院、証智院、霊照院ら」というように記していました。椙原品というのは、歴史の中には記されない、文学の中にだけいる、謎の人間のようです。そういえば孔子が老子に邂逅した、というのもこれも歴史書のなかの出来事ではなくって、文学的な物語の中での出来事のようですし。
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