今日は、泉鏡花の「薬草取」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
芥川龍之介が幼いころ、愛読していた泉鏡花の物語を、ちょっと自分も読んでみようと思って、まずはこの本を開いてみました。こんど「龍潭譚」も再読してみようと思います。
霊薬のごとき薬草のとれる霊山がある。主人公の高坂は、九歳のころに母の病を治したい一心で、薬草をとりにいった。その山で迷子になった。山奥に薬草のはえる美女ヶ原がある。彼の記憶では「山へ入って、かれこれ、何でも生れてから死ぬまでの半分は徜徉って、漸々其処を見た」神秘的な野原があるんです。
山の美しさに魅せられて画家が足しげく通ううちに、そこで惑ってしまい帰らなくなってしまった、そういう現代の画家の実話のことを思いだしました。調べてみると犬塚勉という画家なんですけれども、自然界に魅せられて、そこにぐうっと入りこんでしまう。その自然界の中で美を追い求めるうちに神隠しに遭う、泉鏡花の描いたものは、そのものすごい引力を物語に昇華しているように思いました。
物語の構成が美しく、大人になった高坂と、九歳の頃の幼い高坂と、二人の物語が交互に展開するように、二重になって描かれてゆくのがみごとなんです。大人の高坂は、山の中で美しい花売に出会って、薬草を二人で探しもとめにゆく。幼いころの少年は、牛車の天女に助けられてみちびかれ、薬草を手に入れるんです。泉鏡花の独特ですごいのは、女性の描写が神秘的で美しいことだと思います。
九つの幼子が体験したことと、それを思いだしつつ青年が体験することが、似通ってきて共鳴しているんです。物語がリフレインして重層化しているのが美しい構成に思いました。つねに新しい物語を描きだす作家もいる中で、同じ題材で繰り返し変奏するように描く作家もいると思います。泉鏡花はこう記します。
繰返して語りつつ、やがて一巡した時、花籠は美しく満たされたのである。
すると籠は、花ながら花の中に埋もれて消えた。
この前後、おわりの三頁の描写がみごとでした。
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