春いくたび 山本周五郎

 今日は、山本周五郎の「春いくたび」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 山本周五郎といえば武士道を書く作家だと、思い込んでいたんですが、読んでみると意外と違うことを書いた作品が多くて、今回は恋愛小説っぽい場面が序盤に記された、武家の男女の物語でした。十八歳くらいの信之助が戦に向かうところで、十五歳の少女がこれを追いかけて別れの挨拶をする……。
「朝毎の濃霧もいつか間遠になり、やがて春霞はるがすみが高原の夕を染めはじめた」「文久元年の春」「井伊直弼が桜田門外に斬られてから、ながいあいだ鬱勃うつぼつとしていた新しい時代の勢が、押えようのない力で起ちあがって来た」
 主人公の信之介は「甲斐七党の旗頭」の家の出身なんです。天涯孤独の身で、十八歳にして独り立ちするしかない武士なんです。彼のことを慕う香苗は、彼が戦から帰ってくるのをずっと待ちわびています。一年経っても、信之介は帰ってこなかった。香苗は縁談を断って、信之介が村に帰るのを待っているんです。
  

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(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
 
追記 ここからはネタバレなので、近日中に読み終える予定のかたはご注意ねがいます。伏見の戦争に出兵した清水信之助は、この戦で行方不明になった、ということを彼女は聞くのです。本文こうです。「信之助が死んだという青年の言葉は、なにかしら空々しいことのように感じられ、まるで知らぬ世界の知らぬ人の話としか受取れなかった。そして、——きっと帰る、必ず帰って来る。」「初めての雪が降りだした頃、香苗の家は遂に倒産した」「香苗は身もだえをし、裂けるような声で信之助の名を呼びながら泣いた。」
 それから香苗は、尼法師になって救護院で生きるようになったのですが、三十余年ほど経ったある日、伏見の戦で敗残した男が現れる。清水信之助に生き写しの男は、松本吉雄という名で、同じ伏見の戦で記憶を喪失するほどの被害を受けていた。香苗は、この松本吉雄がどうにも、記憶を失った清水信之助のように思えてならなかった。それで彼の庇護者に手紙を出して、彼の素性について質問した。返信の手紙にはこう書いてありました。「文面の末に、彼はもう自分の名も忘れているが、本名は清水信之助と云う者である」
 これを読んだ月心尼(香苗)は、病床に居た彼を探すのですが、信之助はふらりとまたどこかへ出かけてしまっていたのでした。四十年ぶりに香苗はまったく同じことを思うのでした「……きっと、きっと、信之助さまは此処へ帰っていらっしゃる」終わりの三行がなんだかすてきな物語でした。