今日は、坂口安吾の「フシギな女」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
これは、随筆的な作品で、築地八宝亭一家殺人事件におけるO嬢のことについて書いています。wikipediaで読んだ時の印象と、坂口安吾が思索した内容との、違いが印象に残りました。wikiと一緒に近代文学を読むと、なんだがとても興味深いように思いました。
坂口安吾の書いていることは二次資料みたいなものであって又聞きなので事実から遠のいているはずなんですけど、その代わりに人間性の考察というのが多分に含まれています。
そういえば戦中には、一般人の殺人事件の報道がかなり制限されていた戦時体制があったんです。その言論統制が終わって、5年くらい経ったころの、万人に言論の自由が認められはじめた時代の、殺人事件の考察です。坂口安吾はこの事件に関して批判を繰り広げたある批評家に対して、苦言を呈しています。この箇所の事実に即した結論は、wikipediaに書いていました。坂口安吾は、偽りのことばについて繰り返し考え、また報道や雑誌による、犯人ではないかもしれない容疑者の人権についての問題点を指摘しています。マスコミや雑誌ではあらゆることに結論を明示したがると思うんですけど、小説家の重大な特徴として断定を避ける、というのがあるように思いました。安吾は予言ごっこをしたいのではなくって、人間が困苦に陥ったときにどういう考えで動くのかを、考えているんです。戦時中に言論をやりつくした作家の迫力がありました。戦後の民主的な報道の仕組みが、リアルに作られていってるところが、ちょっと見えるように思いました。
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