今日は、与謝野晶子の「夢の影響」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
夢の謎のことを書いているんですが、考察と表現がみごとで、今まで何十年も言葉にならないまま感じていたことが書かれていました。
夢には意味内容が無くて、眼がさめれば消え去るだけのもので、数字で判断したら無のものであってなんの価値も無さそうに思えてしまうんですけど、そこでの感動は残るし、その日の現実にも良い影響を与える。悪夢からめざめて助かったと思う、その助かったという感情は事実なわけです。夢を観察して、夢を考察すると、平生では思いつかなかったヒントも見つかる。
夢の中のできごとは、歌や詩や小説の言葉と、近いところがあるのでは、と思いました。
夢枕に立つ、なにかの喜びも、ただの水泡のようなものではなくて人の実感のようなところがある。次の一文が印象に残りました。本文こうです。
……目が覺めて居る時よりも一層よく寫實的に觀察することの出來るばかりで無く、其れにおのづから明暗の度が適度に附いて、ちやんと一つの藝術品として立體的に浮き上つて構圖されて居る場合があります。さう云ふ場合に、人が夢を見て居ると云ふことは眠つて居るので無くて、藝術家としての最も純粹な活動をして居ることに當ると思ひます。
与謝野晶子は「小野小町が夢を愛したと云ふ氣持は私にも想像することが出來るやうに思ひます。」と書くのでした。
川を愛するとか、夢を愛するとかいうのは、前時代的で間違っているような気がしていたんですが、与謝野晶子は、こういう芸術上の喜びがあって良いのだというように考えて、いるのでした。
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