大人の眼と子供の眼 水上滝太郎

 今日は、水上滝太郎の「大人の眼と子供の眼」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは……ちょっとすごい随筆で、はじめは軍人をかっこ良いと思って崇拝するだけだった幼少期が記されるんですが、徐々に、自己や他者の判断力の問題を論じはじめて、終盤の記載がみごとに思いました。
 子どもは事実と違うように見てしまう、大人もそういうように見てしまうことがある、ということの代表例のような経験を水上滝太郎が記している随筆です。
 白馬に乗った人であるとか、天馬に乗る人であるとかを見て、良いなあと思って、自分もそういうようなものに乗ってみたいと思う。知り合いからはすごい大金持ちじゃないと白馬に乗れないと言われる。当時の100円は今でいう50万円くらいの価値かと思われます。神話の世界の偉人のように、本当に思ってしまった。幼子ならではの記憶を辿り、それがどのように変化して批評性が生じたのかを書いています。近代の本は批評性に乏しいのが欠点だと思うんですが、この随筆は鋭い考察がなされているように思いました。
  

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追記   終盤の十行と、水上滝太郎氏のwikipediaと、1940年ごろの新聞と書評を見比べてみると、なんだか後期ウィトゲンシュタインが前期哲学をどのように批判したのかという問題を連想しました。ウィトゲンシュタインは、前半生で戦争の最前線に行くことと論理哲学論考を発表することにその活動の中心がありました。中期や後期では小学校の先生や最高学府の哲学教授をしながら、従来の哲学や自身の前半生の哲学を根本的に批判し、偽物の問題に惑わされない哲学を論じてゆきました……。子どもの頃の幻のような喜びよりも、大人になってから眼差しの開かれることのほうが、より深い喜びがあるということを、水上滝太郎は説いていました。