学問のすすめ(11)福沢諭吉

 今日は、福沢諭吉の「学問のすすめ」その11を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回はまず、上意下達が必須なのはどういう条件か、というのを福沢諭吉が書いています。まだ自立が不可能な幼い子どもを、じっさいに育てている親なら、これは親が命じて、幼子が従うということがどうにも必要で、この親と子の関係を、権力のなかで無理に作ったものが、日本中世の上下関係である「名分」と専制だったというように記していました。
 権力者が人々を赤子と考えて命令するのは、礼を失している。
「政府と人民とはもと骨肉の縁あるにあらず、実に他人の付合いなり」という指摘が印象に残りました。
 親子関係を模した権力構造は、いっけん良さそうに思えても、じっさいには政治では通用しない。その例として、なにもかもくわしい旦那が商いをしていて、ほかの子どもみたいな扱いをされている番頭や手代が、命令に従っているだけで経営権がひとつも無い場合は、いくら大旦那の経営と考察が優れていても、子のほうはズルをして金を不正に奪うことしか頭が働かなくなる。これは人間が悪いというよりも、専制というシステムそのものが悪いとしか言いようがない。このズルをする人たちが、偽の君子となって、専制の世界で、不正な金を吸いこんで、盗みを働くようになる。専制が盛んなら、こういう偽の君子による不正は必ず起きる、ということなのでした。
 専制と忠義は日本の伝統で、義士が「身を棄てて君のために」はたらく、ということも歴史上、あるにはあったのだがその人数は驚くほど少なく、専制の組織は維持できない。
 では、どうしたら良いのかというと、名分を守るのではなくて職分をだいじにする。政府であれば、暴力の抑止と、富の適正な分配を上手く行うことが職分です。職分を忘れたらそれはもう「無法の騒動」に至るので、身分や立場のことは重んじず、自分の仕事を踏み外さずに、やりとげる。名分はひどい結果を生むけど、職分を重んじれば組織は栄える。次回に続きます。
  

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