寺田寅彦 路傍の草

 今日は、寺田寅彦の「路傍の草」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 ヤギやウシにぜんぶ食われないように、植物は苦い成分を分泌してみたり、切れる葉先にしてみたり、根っこだけになってもまた再生する仕組みであったり、いろいろ自衛をしていると思うし、ミツバチを呼ぶために美しい花にしたり蜜をつくったりして、とにかく植物は居場所を変えられない代わりにいろんな工夫をしていると思うんです。ミツバチにも草食動物にも対応してきたのが植物だ、ということは明らかなので、とうぜん人類に対してもなんらかの対応をしているのが植物だと考えても良いと思うんです。子どもたちのイタズラで、植物が引っこ抜かれてしまう、潔癖な大人たちによって雑草がぜんぶ抜かれてしまう、巨大な都市設計で植物の居場所が減ってしまう、これに対応するために、植物はなにかをしているのでは、とか思いました。本文と全く関係がないんですが、枯草熱とか花粉症は人類に対する応答の一種なのでは、とか空想しました。
 寺田寅彦は、なぜか無法な子どもたちにイタズラされないで生き残る植物の特徴を観察してこれを記しています。「およそ地からはえ出る植物に美しくないと思うものは一つもなかった」という一文が印象に残りました。ところが自分で家や土地を管理しはじめると、草刈りをしないとどうにもならない。ほかにも、雑草といわれてきた植物が穀物に変化していったりする可能性について論じていました。藁をも掴むような話しとでもいうのか、藁で綿を作るというウソをいって金を巻きあげた詐欺師の挿話もありました。ここまですぐに分かってしまうウソだったら、だまされたほうも悪いのでは……という指摘がありました。
  

0000 - 寺田寅彦 路傍の草

装画をクリックするか、ここから全文を読む。 (使い方はこちら) (無料オーディオブックの解説)
(総ページ数/約10頁 ロード時間/約3秒)