今日は、太宰治の「帰去来」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
作家が経済的に自立するのが難しかった81年前の文芸事情を、太宰が記しています。祝賀会で着るための着物を中畑さんに調達してもらった。このすごい着物を1回だけ着て、すぐに質屋に持っていって売り払ってしまった。若いころの太宰は、住み家さえ確保できずに「北さん」の家に居候して、お金や生活費を工面してもらった。三十歳のころ結婚したときにも、ほとんど無一文だったことなども滔々と記しています。wikipediaの経歴と比較すると、二年くらい記載がズレていて間違えているところがあるのですが、今回の小説ではかなり事実に近いことを書いているように思います。以下の文章が印象に残りました。
私は嫁を連れて新宿発の汽車で帰る事になったのだが、私はその時、洒落や冗談でなく、懐中に二円くらいしか持っていなかったのだ。お金というものは、無い時には、まるで無いものだ。まさかの時には私は、あの二十円の結納金の半分をかえしてもらうつもりでいた。
北さんは太宰治に、ときおり生活費をあげていたんです。本文こうです。
今は、北さんも中畑さんも、私に就いて、やや安心をしている様子で、以前のように、ちょいちょいおいでになって、あれこれ指図をなさるような事は無くなった。けれども、私自身は、以前と少しも変らず、やっぱり苦しい、せっぱつまった一日一日を送り迎えしているのであるから、北さん中畑さんが来なくなったのは、なんだか淋しいのである。来ていただきたいのである。昨年の夏、北さんが雨の中を長靴はいて、ひょっこりおいでになった。
終戦まであと二年の、1943年の初夏に書かれた小説です。生活を成り立たせることがもっとも苦しかった時代に、太宰がどう生きていたのかが書かれています。太宰の実家はお金持ちではあるんですが、厳格な実家で、そこに疎開して帰るのがどうしてもつらい……。北さんにすすめられて、久しぶりに帰郷することになった。「私は、十年振りに故郷の土を踏んでみた。わびしい土地であった。凍土の感じだった。」この前後の描写が印象に残りました。
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(総ページ数/約10頁 ロード時間/約5秒)
追記 実家では、作家のお仕事で儲かっているということを母に述べるのでした。本文こうです「どれくらいの収入があるものです、と母が聞くから、はいる時には五百円でも千円でもはいります、と朗らかに答えた」当時の千円というと25万円から35万円くらいの価値があります。
立派な大人になって帰って来たということを主張したく、十円紙幣を二枚ならべて載せて、母に贈ったら「母と叔母は顔を見合せて、クスクス笑っていた」。それでお返しに熨斗袋を持たされた、あとで開けてみると100枚の原稿料くらいの大金が入っていて、なんとも言えない気分になって、また東京へ帰っていった。
お金を工面してもらいに、いったんは実家に帰ってみましょうと、太宰治を説得してくれた、親切な北さんは、その時の旅行で無理をしてしまったのか、敗戦間近の資金難が原因か、少し体調を崩してしまった。そのことをなんだか気にしている太宰治なのでした。