模倣と独立 夏目漱石

 今日は、夏目漱石の「模倣と独立」を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは夏目漱石の講演会の、書き起こし文なんです。これを聞いた久米正雄は、のちに作家になって、漱石に弟子入りして師から激励の手紙を受け取っています。
 漱石は絵画や芸術についてずいぶん突っ込んで話すんです。「気高いものはいくらもあります。そういうような意味の絵にはどうも欠乏し切っているのが文展である。これを逆にいうと、そういう絵を排斥しているのが文展である」という記述に衝撃を受けました。話しの中心としては、こうなっています。本文こうです。
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  文展の画家や西洋から帰って来た二人は自分で自分の絵を描かない。それから今の日本の方のは自分で自分の絵は描くけれども未成品である。感想はそれだけですがね。それについてそれをフィロソフィーにしよう——それをまあこじつけてフィロソフィーにして演説の体裁ていさいにしようというのです。quomark end - 模倣と独立 夏目漱石
 
 人には、二通りの力があって、ひとつは模倣をする力。スズメは、周りと呼吸をあわせていっせいに飛び立つ。そういう力で自然界を生きぬいている。ただそれだけだとただの動物と同じで、そこに自主独立の力というのがある。他人を模倣しない、自分にしかない思想なり主義がある。コピペばっかりの僕の引用ではなんの説得力も無いんですが、漱石が言うには、そういうインデペンデント、自主独立の力のある人は、親鸞とかイプセンである、というんです。「思想、主義から出発して書いたものがイブセンの作の中にある…………イミテーションではない…………特別な猛烈な自己である。それがためイブセンは大変迫害を受けたという訳であります」と漱石は言っています。
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  …………インデペンデントに御遣りになって、新しい方の、本当の新しい人にならなければ不可いけない。蒸返むしかえしの新しいものではない。そういうものではいけない。
 要するにどっちの方が大切であろうかというと、両方が大切である、どっちも大切である。人間には裏と表がある。私は私をここに現わしていると同時に人間を現わしている。それが人間である。両面を持っていなければ私は人間とはいわれないと思う。唯どっちが今重いかというと、人と一緒になって人の後に喰っ付いて行く人よりも、自分から何かしたい、こういう方が今の日本の状況から言えば大切であろうと思うのであります。quomark end - 模倣と独立 夏目漱石
 

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