今日は、柳田國男の「祭のさまざま」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
観光としての祭りは世界中にあって、京都で行われる神事は外国人が見学に来たりするんですけど、じっさいに祭りに参加をするわけでは無い。神輿をかつぐのはやっぱり地元の人たちでやっている。祭りの中に居る人は古い習俗の感覚と繋がっているわけで、その古い祭りの様相を、柳田国男が記していました。本文こうです。
故郷を出てしまふと他所の祭に出逢ふことが少なく、めつたに其話を人とする折がない
それ故に人は皆大きな花やかな混雑する祭だけを、祭といふものだと思つてゐる。
観光地化されていない祭、というのを見てみたいもんだと思いました。さいきん百年前の不気味な事件について記した本を読んだ影響で、この時代の日本に、祭に絡んでいったいどういう民間の事件があったのか、柳田は書かないところのことが気になりました。時節の変化のあるころに、物忌みをして他者と触れあわないように隠れるという習俗があったわけで、そうすることによって想定外の事件を事前に避けるような効果があったのではないか、とか、空想をしました。
この記述が印象に残りました。
大切なことは祭の準備、即ち古来定まつた手続き規則が、少しもぬかり無く守られてゐたといふ自信さへあれば、神様は必ず来て下さるものと安心してゐられたのである。皆さんにはちとむつかしい言葉かも知らぬが、昔の人はこの用意を、ものいみ(物忌)と謂つてゐた。
祭の日の前になると、家々は皆外から来る人を断つて、厳重な物忌を守つたのであるが、人が多く集まるとどうしても故障が起りやすい。それで祭に是非働かねばならぬ人だけは、別に離れて住んで何日かの間、謹慎してゐたのであつた。
このあとの、御籠もりの描写がおもしろかったです。
むつかしい言葉を調べてみました。
産土 大字
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