今日は、北條民雄の「頃日雑記」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
らい病患者であり文学者だった北条民雄の、数頁のほどの雑記です。おもにフローベールの書簡集を手に入れて、これを愛読していた日々のことと、孤独について記しています。
らい病の仲間とともに生きていて、らい病に関する北条民雄氏の考察がありました。らい病の当事者たちの「屈辱感を除去する」ために活動をするのが第一であると、いう記載もありました。ある患者が、人類全体が生きるためには、自分たちは犠牲になったほうがよいのかもしれないという仮説を述べるんです、それに対してこう答えているんです。「癩者だつて人間なんだらう、つまり人間を犠牲にして人間が発達するといふことが正しいかどうか、判らんね。片方が発展するために片方が死なねばならんなんていふんだつたら、僕はそんな発展には参加しないね。」この発言が印象に残りました。
日記のように雑多なことも記していて、海外文学について、ちょっと奇妙な指摘がありました。フローベールとドストエフスキーはほぼ同じころに生まれて、同じ時期にあまたの文学を記したことを書いています。二人とも1821年に生まれているんです。フローベールの後期の文学性に共感をしている記載があります。北條民雄は彼の作品を読みながら、彼に黙祷を捧げているのでした。
フロオベルの書簡集を読むのが、このごろの私の第一の楽しみだ。友人たちから離れてもう大分になるが、この書簡集が一冊あれば私はさほどに孤独を感じなくて済むやうになつた。孤独な者にとつて、その孤独から逃れる道は、孤独な者を考へるより他にないのかも知れない。
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