こころ 夏目漱石(上巻)

 今日は、夏目漱石の「こころ」上巻を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 ぼくはこの小説を1回だけ通読したことがあるんですけれども、今回「こころ」を再読してみて、いちばんはじめの記載が印象に残りました。
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  私がすぐ先生を見付け出したのは、先生が一人の西洋人をれていたからである。
(略)最初いっしょに来た西洋人はその後まるで姿を見せなかった。先生はいつでも一人であった。quomark end - こころ 夏目漱石(上巻)
   
 漱石はラフカディオハーン先生のあとを継ぐように文学の先生になった。漱石は自分の体験談をそのまま私小説的には書かない、登場人物の設定を非現実的にしたりとくべつにこだわって作り込むのが特徴だと思うんですが、こんかいの「先生」というのは、漱石の一部としても読める可能性はある、と思いました。というか作中では先生という職業人が存在しないのに「先生」と呼ばれているんです。
「先生の亡くなった今日」という記載が出てくるのは、序盤のほんの10%あたりのところなんです。それから中盤で主人公「私」が父の危篤で田舎に帰る、その暗喩的事態がじつは物語の最初の頁に書き記されています。「友達」が家族の危篤で田舎に帰る、という描写があります。
 先生がお墓参りをするときの、お墓の描写も不思議なところがあります。イザベラと神僕ロギンとアンドレの墓があって、その近くに親友の墓がある。国際都市となっていた明治時代のお墓でも、こういう風景は非常にまれであるはずなんです。しかも外国人はこのあとまるで出てこなくなるんです。
 現実では、親友の正岡子規が病で亡くなるころに、漱石はひとりイギリスで文学を学んでいて、イギリス人だけに囲まれていた。そこでこころの調子を崩して日本に帰国して、漱石はとつぜん子規の文学活動を追うように、英語教師や文学研究者では無くって小説家になった。
 この物語は、現実世界の相似形を活写したものというよりも、漱石の夢の中に立ち現れてくる世界に近いところがあるのでは、と思いました。現実としては先生をしていない無職の男に対して「先生」「先生」というのはどうもおかしいわけで、あまりにも長すぎる遺書というのも現実的では無いです。漱石の小説の中でもけっこう不思議な仕組みの小説に思います。
 原発でもなんでも、ものごとを捨ててゆくからには、いろんな論述をしなければならない。それは長大になって然るべきです。漱石が廃炉にしたかったものの集大成が、この作品なのでは、と思いました。漱石の中で先生が消える。主人公の「私」は「先生」にやたら興味があって、いろいろ聞こうとする。先生はいつも墓参りをする。これをみて「私」は誰だか知らない墓を参ろうとする。先生は2人で墓参りはぜったいにしないという。じゃあ2人で墓参りのついでに散歩をしましょうという。先生は、墓参りは散歩じゃないという。本文こうです。
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 私には墓参と散歩との区別がほとんど無意味のように思われたquomark end - こころ 夏目漱石(上巻)
 
 本の読み方にも似ている討論だと思います。漱石の「こころ」は、真面目に読んで然るべき本であって、父の死や親友の死について考えたいというときに、読んでみるべき本かと思います。ところが「坊っちゃん」という痛快な小説を読んだついでに流れで「こころ」を読むことも出来てしまいます。主人公「私」のように「散歩」する感覚で「こころ」を読むことが出来る。
 この小説の魅力は、主人公「私」が脳天気で上すべりなところにあると思うんです。物語の中心には長い長い遺書があるわけで、漱石文学にしては特別な暗さがあると思うんです。そこに立っている「私」はそうとう若くてマヌケなところがある。
 だいたい先生という職業をやっていない男のことを「先生」と言ってしまう、言いつづけるのもだいぶ変ですよ。
 仕事の付きあいでもない近所づきあいでもない学業の付きあいでもない、もともと何の縁も無い年上の男と、懇意になろうとする、主人公の「私」はなかなか無神経でそこが良いんです。鈍感力がすごい主人公なんです。
 先生が淋しさについて論じているときも、平然と「私はちっとも淋しくはありません」と言ってしまう。
 全体の10%あたりから、主人公「私」は先生の謎について解き明かそうとしはじめます。
 上巻十六章(全体の15%)からちょっと推理小説でよくある、謎の館を訪れる「私」みたいになる。尊敬する先生が所用で家を空けた。もの静かで好意的で笑顔のすてきな奥さんと、そこで留守番してくれと言われるんです。
 こういうのが現実に起きたら、興味深いだろうという状況になる。さらに「私」は過去の悲劇と一人の死者について考察している。「変死」についても語られますし「先生が」「変化」したことについても論じられます。漱石は「探偵」という言葉をものすごく嫌っていたわけで、推理小説もきっと軽薄だから嫌いなんだろうと思うんですけど、そういう軽薄な読み方もできる、重層的な構造の小説になっていると思います。
 漱石にとっては育ての父や血族の父よりも、文学の先師のごとき海外作家や、亡くなった正岡子規のほうが重大だったのだろうと、思うシーンがありました。
メメント・モリを通して学ぶ青年の物語で 「先生」の謎を追ううちに、この主人公「私」は少しずつ思慮深くなってゆくように思いました。そういえば、キリスト教では血族よりも思想信条を重大視している……。
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 平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです。quomark end - こころ 夏目漱石(上巻)
 
と漱石は「先生」に言わせていて、印象に残りました。漱石は一流の職業人でもあると思うんです。英語の研究も当時の日本の代表的存在で、イギリス文学の研究も当時最前線だった。新聞社からも篤い待遇を受けましたし、最高学府の教師でもあった。ところが作中では、なぜか職を断たれたような人間が中心に居ることがほんとに多いんです。やはり病のために仕事と伴侶を得られなくなっていった正岡子規のことがもっとも漱石にとって重大だったんだろうなあ、と思いました。
 

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