今日は、谷崎潤一郎の「吉野葛」その4を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
これは不思議な作品で、谷崎潤一郎と芥川龍之介の論争でも生じた問題をこんかい多分に孕んでいて、話のスジはいったいどうなったんだとか、物語のドラマツルギーはどこにいったんだ、というような感じの奇妙さがあって、これは映画で言うところのコメンタリー動画みたいになっているんですよ。小説を書く時はこういう取材や問いかけをたぶんするんだろうなと、読んでいて思うんです。注釈のほうが本題になっているような感じです。本作を読まずに、えんえん序文を読んでいるような、そういう不思議な本なんです。映画制作の舞台裏を取材したドキュメンタリー映像みたいに、なっています。本作が出てこない。
谷崎潤一郎は完成度の高い架空人物と事件背景を描くのが特徴のはずなんですけど、今回のはそういう話しじゃ無くて、谷崎潤一郎にそっくりな主人公が、吉野の歴史的物語の謎を追っている。主人公が気になっていることを、作中でそのまま書き記している。奈良は吉野の「菜摘の里」や吉野川が舞台です。主人公「私」は、十七世紀の儒学者貝原益軒の記録を読みながら、聖地巡礼みたいなことをしている。千本桜の作者はなにをもって創作のアイディアを得たのか、それを考えつつ吉野川を散策している。万葉集もこの吉野川のことをいろいろ書いている。この文学的な旅は、古い友人の津村の誘いで、「私」と2人でおこなっている。津村は小説をやってみたいけどとくに小説を発表していない男なんです。津村の商売はまあまあ上手くいっていて、日々に空き時間があって、それで文学的なことが気になっているわけです。
その津村が自分の幼い頃の家族の問題を語りはじめたところから、急に興味深くなります。津村は幼い頃に父母を亡くしていて、母の顔をほとんどまったく知らない。知らないから想像力を働かせるんです。祖母から聞かされた話をしはじめます。自分の古い記憶と、文学とが共鳴をしている……。
具体的には「葛の葉物語」の「葛の葉子別れの段」の部分です。
記憶の届かないところに父母がいるわけで、そこで欠けた部分に金継ぎをして芸術とする伝統工芸のように、文学が記憶の中に入りこんでいって繕われてゆく。本文こうです。
取り分けいまだに想い出すのは、自分が四つか五つのおり、島の内の家の奥の間で、色の白い眼元のすずしい上品な町方の女房と、盲人の検校とが琴と三味線を合わせていた、———その、ある一日の情景である。自分はその時琴を弾いていた上品な婦人の姿こそ、自分の記憶の中にある唯一の母の俤であるような気がするけれども、果してそれが母であったかどうかは明かでない。
安倍晴明の母はどうして狐なのか。母がキツネというのはいったいどういうことなのか? その謎も谷崎が探究しています。今回の後半、ほんと読んでいて面白いんですよ。わらべ歌の謎解きでもあります。
谷崎潤一郎とその友人津村の、童話や古典浄瑠璃の作劇における、「狐」が美女や恋人に化けるその意味の解析がみごとでした……。
「吉野葛」を全文は読まないけれども、どういうことが書いているのか知りたい場合は、こんかいの「その四 狐噲」中盤から後半の、津村の告白部分を読んでみることをお勧めします。
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※「吉野葛」全文をはじめから最後まで通読する(大容量で重いです)