今日は、下村湖人の「論語物語」その19を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
今回、孔子の一行が濡れ衣の疑いをかけられてしまうんです。孔子たちは「誤認だ」ということを人々に言葉で説明するんですけれども、それが伝わらない。誰が孔子で、誰が悪人陽虎なのか他人には分からない。それで孔子たちは捕らえられて軟禁されてしまった。このような疑いをかけられた原因はちゃんと存在していて、それは孔子の弟子に、かつて陽虎の部下をしていてその悪行の世界から逃げだした顔刻という男がいて、この顔刻と一緒に居た孔子が「こいつは悪人なのでは」と疑われたわけです。
おくれて顔渕がやって来ることになっていた。顔渕というのは孔子がいちばん信用している顔回のことです。彼は、悪人の仲間だと誤認されて迫害を受ける可能性があった。だが顔渕は慎重に行動していて静かにしており、難を逃れた。ぼくが第二次大戦中の文士に関心を持つようになったのは、この顔回のように、危機が蔓延する世界に対して慎重に立ち振る舞う姿に、感銘を受けるからのように、思います。論語物語を全文読まないけれども、どういうことが書いてあるのか知りたい場合は、今回の章を読んでみることをお勧めします。
孔子は冤罪で捕らえられた弟子たちに、このように述べます。
人間というものは、心の底を叩けば、必ず道を求め、徳を慕うているものじゃ。だから徳には決して孤立ということがない。どんなに淋しくても、徳を守りつづけて行くうちには、誰かはきっとこれに感応して手を握ろうとする。匡の人たちも、やはり同じ人間じゃ。現に、陽虎を悪んでも、この孔子を悪んでは居らぬ。心配することはない。ただ天を信じ、己を信じて、正しく生きてさえ行けば、道は自然に開けて来るものじゃ。
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