今日は、夏目漱石の「野分」その(2)を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
12回にわけて、漱石の野分を読んでいるところなんですけど、今回、若い物書きの高柳君とその友人の中野君が登場します。作中の人物解説はこうです。
高柳君は口数をきかぬ、人交りをせぬ、厭世家の皮肉屋と云われた男である。中野君は鷹揚な、円満な、趣味に富んだ秀才である。
第1話に出てきた白井という文学者は、十数人がかりの子どもたちにいじめられて、学校を辞めさせられてしまった。どうもこれを先導した中学の先生がいるようである。このあたりは坊っちゃんでも描かれたユーモアのある展開も、あるんです。
ホルマン・ハントの絵画を鑑賞しながら、空想小説を書いたら良い、と親友に語る……。作中で、小説を書く時の考え方を記しているんです。どういう小説を書きたいかというと「痛くっても、苦しくっても、僕の内面の消息にどこか、触れていればそれで満足するんだ」と、このあとの議論が興味深かったです。
これが漱石の文学論と言えるのか、あるいは無名で間の抜けた若者の頼りない考えなのか、よくわからない。虚実のグラデーションが入り混じっていて、虚そのものでもない、実そのものでもない、曖昧な領域でものの考えが記されていて、そこに魅力を感じました。
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