野分(7) 夏目漱石

 今日は、夏目漱石の「野分」その(7)を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 与謝野晶子の乱れ髪の歌集を彷彿とさせるような詩を歌う女が、登場します。それからミロのヴィーナスの塑像について男女二人で論じ合うんです。西洋の神と、みだるる髪。この作品の題名は『野分』なんです。野分というと台風のことで、てっきり罹災にかかわる本なのかと思っていたのですが、どうもそうではないようで、文士たちの活動が静かに描写されてきました。今回の第七話でやっと『野分』と記されたんです。調べてみると、この長編小説に『野分』と記されるのはたったの1回だけで、こんかいのこの詩だけで使われているんです。ですから漱石はここの詩のイメージを物語の中心に、したことになるはずなんです。こういう新体詩です。
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  いたずらに、吹くは野分の、
いたずらに、住むか浮世に、
白き蝶も、黒き髪も、
 みだるるよ、みだるるよ。quomark end - 野分(7) 夏目漱石
 
 漱石が、ここで与謝野晶子の「みだれ髪」を想起していない、というのは確率としては低いはず、と思います。与謝野晶子の文学からインスパイアされて、作中の女性が生き生きと記されていった、かもしれない、と空想をしました。与謝野晶子にはこういう歌があります。
quomark03 - 野分(7) 夏目漱石
  夏花に多くの恋をゆるせしを神悔い泣くか枯野ふく風quomark end - 野分(7) 夏目漱石
 
 自由恋愛は難しい時代に、与謝野晶子の詩歌は、世間や文学界からみたら衝撃だったはずです。ぼくの空想では、漱石はこういった歌をイメージしつつ、この物語を紡いだのではないかと、いうふうに推測しました。ただ今回は、漱石にしては珍しく、男女の関係性はほぼまったく描かれずに、孤立しかかっている三人の男たちが記されてゆくんです。「野分」という言葉も、自然界に於ける野分というよりも現代でも使われる言葉でいうと「風当たりが強い」というような世間からの圧力のことを「野分」と記しているんです。野分に漱石はこう記します。
quomark03 - 野分(7) 夏目漱石
  中野君は富裕ふゆうな名門に生れて、暖かい家庭に育ったほか、浮世の雨風は、炬燵こたつへあたって、椽側えんがわ硝子戸越ガラスどごしにながめたばかりであるquomark end - 野分(7) 夏目漱石
 
 というように本文では書かれています。「野分」の意味は近代の文士に対する、この「浮世の雨風」のことを意味しているんです。批評性を持つ文学者が、世間からの排斥を受ける。自分としては、この小説の想像力は、与謝野晶子夫婦が世間から受けた不当な風雪について考えたこと、それをメタファーとして物語にしていったように、自分としては思えました。作中で高柳君は、最初は多数派を操る権力者たちに従ってしまっていて、白井先生を不当に攻撃していた。ところが白井先生の文学を垣間見て、その考えを改めて、世間の風を受けて立つ、という意志を持ちはじめている。こんかいの第七話は急に男女のことが記されていて、女には、まるで源氏物語の中心人物のように名前が記されておらず、なんだか不思議な展開でした。
 

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