今日は、夏目漱石の「野分」その(8)を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
蛸薬師という謎の存在について、ぼくは気になったことがいちども無かったのですけれども、漱石がこの蛸寺のことをちょっと書いていたので、はじめて調べてみました。病におちいった母が蛸を食べたいというので、それを手に入れてきた。だが僧が蛸を食うとはどういうことだと問いつめられた。ところがそれがありがたい経典に変化したという……。分かるような分からないような逸話を発見しました。
高柳君と道也先生でちがうのは、世間の事細かな事象に敏感であるかどうか、など、さまざまにあるんです。それを漱石が比較して書いてゆきます。道也先生は「他を顧みるの暇」がなくて本業だけに意識が集中しているんです。いっぽうで高柳君は、あらゆることを知ろうとしすぎている。
今作の「野分」では、嵐や台風はとくに生じないのですが、やはり風が作中にあまたに描写されます。ここが漱石の散文詩なんだと思って読むこともできます。これを鑑賞するのも面白さのひとつだと思いました。それから漱石の病の描写は漱石の実体験も混じっているはずで、迫力のある描写に思いました。
「野分」がどういう小説か知りたいけれども、全文を読む時間がない場合は、とりあえずこの第八話だけを読んでみると、漱石文学がどういうものか、あるていど分かると思います。
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※「野分」全文をはじめから最後まで通読する(大容量で重いです)