お茶の湯満腹談 夢野久作

 今日は、夢野久作の「お茶の湯満腹談」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは……意表を突く物語展開が多い夢野久作の小説とは、ほとんど関わりの無いような、あるお茶会のありさまを描いた、ごくふつうの随筆でした。実話を書いていても、夢野久作の小説に顕著な、異質な視点が冴える記載が印象に残りました。雅なものを楽しむ富豪たちに囲まれて食事をしていたら、さいごに干し柿がでてきた。これはぜんぜん雅じゃなくて故郷で食べ続けてきたものなので、筆者の夢野久作は食わなかった。そのことを友人に指摘されるのでした。
    

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寺田寅彦 路傍の草

 今日は、寺田寅彦の「路傍の草」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 ヤギやウシにぜんぶ食われないように、植物は苦い成分を分泌してみたり、切れる葉先にしてみたり、根っこだけになってもまた再生する仕組みであったり、いろいろ自衛をしていると思うし、ミツバチを呼ぶために美しい花にしたり蜜をつくったりして、とにかく植物は居場所を変えられない代わりにいろんな工夫をしていると思うんです。ミツバチにも草食動物にも対応してきたのが植物だ、ということは明らかなので、とうぜん人類に対してもなんらかの対応をしているのが植物だと考えても良いと思うんです。子どもたちのイタズラで、植物が引っこ抜かれてしまう、潔癖な大人たちによって雑草がぜんぶ抜かれてしまう、巨大な都市設計で植物の居場所が減ってしまう、これに対応するために、植物はなにかをしているのでは、とか思いました。本文と全く関係がないんですが、枯草熱とか花粉症は人類に対する応答の一種なのでは、とか空想しました。
 寺田寅彦は、なぜか無法な子どもたちにイタズラされないで生き残る植物の特徴を観察してこれを記しています。「およそ地からはえ出る植物に美しくないと思うものは一つもなかった」という一文が印象に残りました。ところが自分で家や土地を管理しはじめると、草刈りをしないとどうにもならない。ほかにも、雑草といわれてきた植物が穀物に変化していったりする可能性について論じていました。藁をも掴むような話しとでもいうのか、藁で綿を作るというウソをいって金を巻きあげた詐欺師の挿話もありました。ここまですぐに分かってしまうウソだったら、だまされたほうも悪いのでは……という指摘がありました。
  

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過剰の意識 中井正一

 今日は、中井正一の「過剰の意識」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 戦争が終わったのに、当時とまったく同じ方針で高度経済成長へ突入してゆく大都会の果てしない喧噪について中井正一が記しています。本文こうです。
quomark03 - 過剰の意識 中井正一
 「おはよう」というかわりに、東京では数百万の人がこの憎しみの中に浸され、「おやすみ」というかわりに、また数百万の人がこの哀しみの中にもまれて、その一日を過ごすのである。歴史が始まって、こんなかたちの人間の集合があったであろうか。quomark end - 過剰の意識 中井正一
 
 ぼくは日本で一位に混雑する列車に何年間か乗り続けたことがあるんですけど、じつはそれ以上に、当時の東京は闇雲に混雑していたのではと思えるような、100年前の東京の映像記録を見たことがあります。現代ではもうすこし混雑を緩和する仕組みができているように思います。中井正一は神話的な童話について回想をし、こう記します。
quomark03 - 過剰の意識 中井正一
  私は一つの童話を思い起す。強い力の巨人があった。彼は大地に身を置いているかぎり、その力を失わない。彼は時に大地から身を離すと、その力を回復するために、その大なる掌を開き、そのたなごころを、しっかりと大地に着けるという。
 私は力を回復するために、大地にじっと掌を置いている巨人の姿は美しいと思う。quomark end - 過剰の意識 中井正一
 
「私たちはただ受身で立ったり歩いたりしているだけである」……それから「手の骨格が、足の骨格から変わってきた何万年かの百年ごとの変革ぐらい知っていてよいのである。だのに何も知らない。」また「たとえ五千年の歴史が、どんな誤りを犯していても、この二十万年の驚くべき現実に比べれば、四十日のすばらしい旅行の最後の一日に風邪をひいているようなものである。」と告げます。
 二十万年の人間の歴史を、自身の身体から感じとるべく、歩いて、なにかを独自に言ってみるべきである、と中井正一は一九五一年の初夏に記していました。最後の一行が印象に残りました。ドストエフスキーの記した「大地」という言葉を連想する随筆でした。
 

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恐ろしい東京 夢野久作

 今日は、夢野久作の「恐ろしい東京」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
  これは夢野久作にしては珍しく、実話っぽい、ごくふつうの随筆でした。近代小説の魅力の1つに、誰一人たどりつけない百年前の都市である東京を、文章で観察できて、ちょっと絵本の中の世界のような幻視的な都市空間を垣間見られる、というのがあると思いました。たんに未踏の地へのノスタルジアなんですけど。現代の廃墟とはまるで異なる魅力を感じる、森に包まれた東京が描写されるのでした。夢野久作は東京のど真ん中の銀座を描きだしています。
 

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追記   中盤から終盤にかけて、田舎に帰る「筆者」の心境と状況が語られるのですが、その中で奇妙な挿話がある。不幸話をして「畳の上に両手を突いて男泣きに泣く」人間が現れて、やむなく「先生」は一筆書いてその男に渡すのを「筆者」は目撃します。後日になって「某クラブの連中」にこの話をすると、それは詐欺師が嘘を言っているのだと指摘されて笑われる。
 じっさいには、笑った連中が嘘つきなのか、泣いている男が嘘つきなのかは、ちょっとどちらに判定するか迷うところなんです……。夢野久作は、あざ笑った連中との縁を切る決意を描写するのでした。ぼくはたぶん、実話っぽい話だと思って読んだんですが、謎の短編でした。本文とちっとも関係が無いんですが、京都には縁切り神社というのがあるんです。何回か立ち寄ったことがあります。

   
 

老年と人生 萩原朔太郎

 今日は、萩原朔太郎の「老年と人生」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 萩原朔太郎といえば「月に吠える」がお勧めなんです。今回の随筆では、老いたくないという若いころの願望と、年老いてからの生きかたについて記しています。当時は今よりも寿命が短くて六十歳で晩年だったはずです。「初めて僕が、多少人生というものの楽しさを知ったのは、中年期の四十歳になった頃からであった。」という記載が印象に残りました。本文と関係が無いんですけど、僕個人としては「ほとんど稼げない」ということと「やれることが無い」ということでは、打つ手が無くてやることがまったく無い状態のほうがしんどかったです。朔太郎はこう記します。
quomark03 - 老年と人生 萩原朔太郎
  僕は物質の窮乏などというものが、精神の牢獄ろうごくから解放された自由の日には、殆んど何の苦にもならないものだということも、自分の生活経験によって味得みとくした。quomark end - 老年と人生 萩原朔太郎
 
 前半の数行が過激な内容なんですけど、すてきな随筆でした。
 

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政事と教育と分離すべし 福沢諭吉

 今日は、福沢諭吉の「政事と教育と分離すべし」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 福沢諭吉はこう述べています。
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 政治は人の肉体を制するものにして、教育はその心を養うものなり。ゆえに政治の働は急劇にして、教育の効は緩慢なり。quomark end - 政事と教育と分離すべし 福沢諭吉
 
 政治は、農業や産業といった、さまざまな業態を、状況にあわせて増やしたり減らしたりということをおこないます。「政治の働は、ただその当時に在りて効を呈するものと知るべき」と福沢諭吉は言います。人びとの動きを制御するわけですが、人がどう生きるのかというのは、心の問題であって、教育によるしかない。信号機は、道路にいる人の動きを停止させるわけですけど、人が道を進んでどこに行くのかは心が決めるわけで、それは教育によってゆるく変化させてゆくしかない。
 今まさに停止してもらうには、信号機や政治が必要だけど、長期的に見てどこに行くのかは、政府は関われない。教育ならこれは論じられる。
「心の運動変化は、はなはだ遅々たるを常とす」そして「人生の教育は生れて家風に教えられ、少しく長じて学校に教えられ、始めて心の体を成すは二十歳前後にあるものの如し」さらに「その実際は家にあるとき家風の教を第一として、長じて交わる所の朋友を第二とし、なおこれよりも広くして有力なるは社会全般の気風に」よるところが大きい。
家の考え、近しい友の考え、社会全体の考え、それと教育による考え、これで文武や芸がそれぞれの個人の中で形づくられる。けっきょくは、社会全体の考えというのが、人の心を教えて、強い影響を与える。
 今回の福沢の主張としては、戦国時代の終わりごろから文字の教育が成立していった、それまでは「文字の教育はまったく仏者の司どるところなりしが、徳川政府の初にあたりて主として林道春はやしどうしゅんを採用して始めて儒を重んずるの例を示し、これより儒者の道も次第に盛に」なった。
「全国の士人がまったく仏臭を脱して儒教の独立を得るまでは、およそ百年を費し」たそうです。
 教育の効果は、ひじょうにゆっくりとしていて遅いわけで「政事の性質は活溌にして教育の性質は緩慢なり」ということを述べ、その政治と教育が入り混じってしまうと「弊害」が生じる。緊急医療のように今すぐに効果を生じさせるのが政治で、急を要する政治というものを、教育と混ぜてしまうと、言ってみれば、緊急手術に必要な麻酔薬そのものを、日常の食事に繰り返し混ぜるような、異様なことになってしまう。
 福沢諭吉は「ただ政治上の方略に止まるべきのみにして、教育の範囲に立入るべからず」と記します。
 「政教分離」とか「文民統制」といった、wikipediaの頁と一緒に読んでみました……。
 僕は十代後半で技術系の学校に通っていたという自認があるんですが、じっさいに長期的に働くためには、なんらかの技術を身に付けたほうが人生がうまく進展するような気がします。福沢諭吉は、教育は、遅く作用するものを中心にすべきで、政治の要請に完全に従った急ごしらえの訓練形式の教育は、これは間違った教育だと、たぶん言うのだろうなあと、思いました。「数十百年を目的にする教育」が必要だと、述べていました。ゆっくり進展する教育……。
 福沢諭吉は、政治が廃刀令を出して士人の心が変化したというのはまあ、妥当な政策だったけれども、この廃刀というのを教育で、同じように短期間で実現しようとした場合、急激に教えることになって絶対に無理がある。政治がすべき行いと、教育がすべき行いは、まったくちがうと、書いています。ちょっと正確性を欠く記載なので、詳しくは本文をご覧ください。「実に政治は臨機応変の活動にして、到底、教育の如き緩慢なるものと歩をともにすべき限りに非ず」と福沢諭吉は言います。
「教育の即効を今年今月に見んとする」のは辞めたほうがいい。
「学校の教育と」「政事とを混一して」たいへん粗暴な状態になったことがある、という実例も書いていました。福沢諭吉の「目的とするところは学問の進歩と社会の安寧」であってそのためには「政教の二者を分離して各独立の地位を保た」せ「政事は政事にして教育は教育なり」とすることがだいじで「相近づかずして、はるかに相助け」よ、と告げています。
 

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追記   むかし、今すぐに改革すべき喫緊の問題に、教育者がほとんど関われないのは、いったいなぜなんだろうと思ったことがあったんですが、その謎がちょっと解けたように思いました。教育の効果は遅い……二十年後になって納得する助言をしてくれた人が、教育に聡い人だ、と言える気がしました。