惑い(3) 伊藤野枝

 今日は、伊藤野枝の「惑い」その3を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 不思議な個性が書き記されていて……逸子は、必要ではないはずのものをわざわざ用意しようとして、嫌な思いをしそうだし、悩んでいるんです。
 命令を受けているわけでは無いんです。家族の愚痴を聞かされるのはもっと嫌なんだと、記しています。子どもの頃はこういう悩みが多かったなあと、思うんですけど、逸子は立派な母親で、ちゃんと赤ん坊を育てているところで、細やかな配慮をしすぎて悩んでいる……。
 近代小説は男が多くてそればかりをぼくは読んでいるところなので、伊藤野枝の生活描写や心象の記載が新鮮に感じました。
 十七歳の頃の逸子は、親戚の用意した縁談を自分の意思で断ることにすべての力をそそぎ込んで、その反動というのか、出奔の過程で、谷という男と巡りあって、自ら選んだ恋愛に夢中になった。ところがどうも、自分が逃れ出たいと思っていた貧しく不自由な生活にはかえって深く入りこんでしまった。他人である読者の自分から見ると、じゃあふつうの縁談を受けたほうがまだしも自由があったはずだろうなあと思えるんです。
 出奔したことが原因で、どうも谷も仕事を失ってしまった。どう生きるかを自由に選べる状態になったはずなのですが、じっさいにはもともとよりも不自由な生き方になりつつある。
 選択肢が自由だということと、望みに近づくための自由が増すというのはかなり別もののようで、百年前の縁故社会は遠のいた現代でも、この小説にあるような困窮はじゅうぶん考えられるように思いました。
 彼女を懊悩させた縁故の世界から解放してくれた、恋愛の力、それこそが「驚異であった。その驚異が限りない魅力となって彼女を惑わした」と伊藤野枝は記します。愛と開放……そのかぎりない魅力が、彼女を惑わす。この小説の題名の「惑い」の意味はこの第三章の後半に記されていました。
  

0000 - 惑い(3) 伊藤野枝

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惑い(2) 伊藤野枝

 今日は、伊藤野枝の「惑い」その2を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 谷と母。それから逸子。この3人が暮らす家では、稼ぎ手がもう2年間も居なくなっています。谷はもともとは働いていたのですが、そこでの労働が上手くゆかず、職を辞さざるをえなかった。ほとんど無一文になった3人の家で、谷には子どもも居る。けれども新しい仕事をはじめようとして谷は煩悶しているところで、すぐ側にいる逸子は、今すぐに働いてくれとはとうてい言えない。やむを得ないので竜一にお金を工面してもらっている。逸子は谷と話して、仕事はどうするつもりか、それとなく聞いてみるのですが、谷は「とても文学は望みがないし」尺八でも吹いて旅をして暮らしたいと、スナフキンみたいなことを言いはじめます。
 漱石の文学活動の期間と、伊藤野枝の活動期間はほぼ同時代で、漱石のほうが9年くらい先輩で、同時期に創作もしています。漱石が見ていた時代は、こういう家庭環境が多かったのでは、というような、明治大正の文学者たちの暮らしが少し見えてくるように思いました。次回に続きます。
 

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惑い(1) 伊藤野枝

 今日は、伊藤野枝の「惑い」その1を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回から9回かけて、この作品を読んでみようと思います。いっきに全文を読むことも出来るはずなんですけど、ぼくは数カ月かけて読んでみる予定です。
 伊藤野枝は近代において女性解放運動を行った文人で、小説をいくつも書いています。平塚らいてうの青鞜社に入って文学活動をし、ダダイストの辻潤との結婚生活を送り、当時は英語教師だった大杉栄と共に生きた、著名な作家です。ぼくは伊藤野枝の小説を今回はじめて読むので楽しみにして読んでみました。世界的な不景気が深刻になってきたこのコロナ禍に、近代文学者の個人的な貧乏話を読むのは、ふつうに共感できるというかおもしろいように思いました。
 まず冒頭に、3人の親子が記されています。主人公の逸子と、母親、それと息子の谷という青年。谷は母とえんえん親子げんかをしています。それを黙って聞いている逸子。親子げんかの台詞がみごとで、ほんとにあったことを聞き書きしたみたいに記されています。母親は神田にお出かけをしたいけれどもお金がない。お金が無いと近所づきあいもできない。息子の谷にお金を工面してくれと言うのですが、息子は、遊びにいくためのお金は用意できないというんです。「お母さんももういゝ加減にあんな下だらない交際は止めて仕舞っちやどうだい?」と述べると、母親は怒りはじめます。「何だい本当に、親に散々苦労をさして、一人前になりながら、たった一人の親を楽にさす事も知らないで、大きな顔をおしでないよ」と言い返します。谷はお金をかけてまで、下らない人に会いに行くのは辞めるべきだと考えている。母親は、寄り合いにどうしても行きたい。
「下だらない奴から何んとか彼とか云われ」てしまっては恥だと考えている。息子は貧乏なんだし「下だらない奴の云う事なら、何も一々気にする必要はないじゃないか」と言ってお金を工面したくない。金も無しに寄り合いに行ったら肩身が狭くて恥をかくと母は主張します。
「もっと私の肩身の広いようにしてお呉れ」と言うんです。それで息子の谷はあきれかえってもうなにも言わない。その親子ゲンカの間にすわっていたのが逸子で、彼女はこう思います。
  
quomark03 - 惑い(1) 伊藤野枝
 逸子は黙って聞いていた。母親の愚痴は、直ぐ前に座っている谷よりは、間に隔てゝ聞いている逸子の胸へ却ってピシピシと当った。quomark end - 惑い(1) 伊藤野枝
 
しかたがないので逸子は竜一のところでお金をもらってこようと思っている。けれどもそういった無心は心苦しい……次回に続きます。

0000 - 惑い(1) 伊藤野枝

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こころ 夏目漱石(下巻)

 今日は、夏目漱石の「こころ」下巻を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
  「こころ」は今回で完結です。
 漱石と言えば「坊っちゃん」や「草枕」のように、親族と無縁なところをみごとに描ききる、血縁から自由なところにその創作の魅力があるとぼくは思うんですが、こんかいは家で生じる不和が大きな題材になっています。
 ぼくはこの小説をあまり真面目に読めなかったんですけれども、先生はどういう人生を歩んできたのかというので、親族との関係が妙なことになった、新しい家族を形成する時に、通常の展開と異なっていた、というのが気になりました。
 両親の亡くなった実家をどう引き継ぐかというので、叔父は「従妹と結婚」をして家も引き継いでくれというように頼んでくる。これを先生はすっかり断って、従姉妹は泣いてしまった。ここから話しがおかしくなってゆく。遺産もどうも持ってゆかれた。
 地縁を捨てて東京で新しく生きようという先生が、しかしながら東京でも家族をもうけようというときに、重大な問題が起きてしまった。未読の方は本文だけを読んでもらいたいんですが……現代の芸能界風に言うとようするに、結婚式の1日前に致命的な不倫をしてしまった、というような話しで、不倫を行う男の心理が、この本を読んでいるとなんだか理解できてくるように思います。漱石はもっと上品ですから、不倫の気配はいっさい出てこないんですけど、恋愛や結婚を巡っての裏切りが中心に描かれます。
 ちょっとこうどうもぼくには分からないのは、先生はとくに不義理をしていないと、自分には思えるんです。先生は妻を不幸にするのが目に見えているのに、自分で自分の罪を告白して不必要に自責しているわけで、鈍い自分にはそれがどうも理解できない。Kにたいする批評に見せかけた人格攻撃というのが生じていてそこはやはり不味いようには思うんですが。
 ぼくが思ったのは、この小説では、住空間の不可思議が描かれているというように感じました。旧友Kとお嬢さんと私(先生)の3人は、3人とも無関係な家の他人同士なんですが、ふすま一枚へだてた住空間に生きていた。空間が妙なんです。父が消えた実家の空間も奇妙なことになっていた。
 むかし読んだときは、Kというのが漱石の友人なんじゃないかと思ったんですけど、Kの性格は漱石が悩んでいる時期に似ているように思いました。
 Kが最初に現れるのは下巻19の、全体の65%あたりのところからで、合計411回も記載されています。
 再読をしてみて思ったのは、私(先生)が旧家で受けた所行と、Kに対して行った不味い所行には、まあまあ共通項があって、彼の将来を慮ってやったことが、のちのちの歪な事件の原因になっているんです。ほんとに浅い読み方になってしまったんですけれども、収支をちゃんと明解にするとか、住空間を整えてプライバシーに配慮するというのは、大事なことなんだなあと思いました。
 この作品の終盤を読んでいると、漱石が短い期間にとてつもない長編の数々を記していった、その事実と迫力を感じます。
 「こころ」では現代にも起きている、日本の暗い側面が記されているように思います。「私は妻に残酷な驚怖を与える事を好みません」と記しているところに大きな矛盾があって、どうもぼくはこの小説はよく分からなかったです。この漱石の「こころ」にかんしては、坂口安吾が批判を行っていて、これがもっとも参考になると思うんです。「こころ」について考えてみたい、という方は、ぜひ安吾の文学論に於ける漱石批判を読んでみてください。
 

0000 - こころ 夏目漱石(下巻)

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こころ 夏目漱石(上巻)

 今日は、夏目漱石の「こころ」上巻を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 ぼくはこの小説を1回だけ通読したことがあるんですけれども、今回「こころ」を再読してみて、いちばんはじめの記載が印象に残りました。
quomark03 - こころ 夏目漱石(上巻)
  私がすぐ先生を見付け出したのは、先生が一人の西洋人をれていたからである。
(略)最初いっしょに来た西洋人はその後まるで姿を見せなかった。先生はいつでも一人であった。quomark end - こころ 夏目漱石(上巻)
   
 漱石はラフカディオハーン先生のあとを継ぐように文学の先生になった。漱石は自分の体験談をそのまま私小説的には書かない、登場人物の設定を非現実的にしたりとくべつにこだわって作り込むのが特徴だと思うんですが、こんかいの「先生」というのは、漱石の一部としても読める可能性はある、と思いました。というか作中では先生という職業人が存在しないのに「先生」と呼ばれているんです。
「先生の亡くなった今日」という記載が出てくるのは、序盤のほんの10%あたりのところなんです。それから中盤で主人公「私」が父の危篤で田舎に帰る、その暗喩的事態がじつは物語の最初の頁に書き記されています。「友達」が家族の危篤で田舎に帰る、という描写があります。
 先生がお墓参りをするときの、お墓の描写も不思議なところがあります。イザベラと神僕ロギンとアンドレの墓があって、その近くに親友の墓がある。国際都市となっていた明治時代のお墓でも、こういう風景は非常にまれであるはずなんです。しかも外国人はこのあとまるで出てこなくなるんです。
 現実では、親友の正岡子規が病で亡くなるころに、漱石はひとりイギリスで文学を学んでいて、イギリス人だけに囲まれていた。そこでこころの調子を崩して日本に帰国して、漱石はとつぜん子規の文学活動を追うように、英語教師や文学研究者では無くって小説家になった。
 この物語は、現実世界の相似形を活写したものというよりも、漱石の夢の中に立ち現れてくる世界に近いところがあるのでは、と思いました。現実としては先生をしていない無職の男に対して「先生」「先生」というのはどうもおかしいわけで、あまりにも長すぎる遺書というのも現実的では無いです。漱石の小説の中でもけっこう不思議な仕組みの小説に思います。
 原発でもなんでも、ものごとを捨ててゆくからには、いろんな論述をしなければならない。それは長大になって然るべきです。漱石が廃炉にしたかったものの集大成が、この作品なのでは、と思いました。漱石の中で先生が消える。主人公の「私」は「先生」にやたら興味があって、いろいろ聞こうとする。先生はいつも墓参りをする。これをみて「私」は誰だか知らない墓を参ろうとする。先生は2人で墓参りはぜったいにしないという。じゃあ2人で墓参りのついでに散歩をしましょうという。先生は、墓参りは散歩じゃないという。本文こうです。
quomark03 - こころ 夏目漱石(上巻)
 私には墓参と散歩との区別がほとんど無意味のように思われたquomark end - こころ 夏目漱石(上巻)
 
 本の読み方にも似ている討論だと思います。漱石の「こころ」は、真面目に読んで然るべき本であって、父の死や親友の死について考えたいというときに、読んでみるべき本かと思います。ところが「坊っちゃん」という痛快な小説を読んだついでに流れで「こころ」を読むことも出来てしまいます。主人公「私」のように「散歩」する感覚で「こころ」を読むことが出来る。
 この小説の魅力は、主人公「私」が脳天気で上すべりなところにあると思うんです。物語の中心には長い長い遺書があるわけで、漱石文学にしては特別な暗さがあると思うんです。そこに立っている「私」はそうとう若くてマヌケなところがある。
 だいたい先生という職業をやっていない男のことを「先生」と言ってしまう、言いつづけるのもだいぶ変ですよ。
 仕事の付きあいでもない近所づきあいでもない学業の付きあいでもない、もともと何の縁も無い年上の男と、懇意になろうとする、主人公の「私」はなかなか無神経でそこが良いんです。鈍感力がすごい主人公なんです。
 先生が淋しさについて論じているときも、平然と「私はちっとも淋しくはありません」と言ってしまう。
 全体の10%あたりから、主人公「私」は先生の謎について解き明かそうとしはじめます。
 上巻十六章(全体の15%)からちょっと推理小説でよくある、謎の館を訪れる「私」みたいになる。尊敬する先生が所用で家を空けた。もの静かで好意的で笑顔のすてきな奥さんと、そこで留守番してくれと言われるんです。
 こういうのが現実に起きたら、興味深いだろうという状況になる。さらに「私」は過去の悲劇と一人の死者について考察している。「変死」についても語られますし「先生が」「変化」したことについても論じられます。漱石は「探偵」という言葉をものすごく嫌っていたわけで、推理小説もきっと軽薄だから嫌いなんだろうと思うんですけど、そういう軽薄な読み方もできる、重層的な構造の小説になっていると思います。
 漱石にとっては育ての父や血族の父よりも、文学の先師のごとき海外作家や、亡くなった正岡子規のほうが重大だったのだろうと、思うシーンがありました。
メメント・モリを通して学ぶ青年の物語で 「先生」の謎を追ううちに、この主人公「私」は少しずつ思慮深くなってゆくように思いました。そういえば、キリスト教では血族よりも思想信条を重大視している……。
quomark03 - こころ 夏目漱石(上巻)
 平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです。quomark end - こころ 夏目漱石(上巻)
 
と漱石は「先生」に言わせていて、印象に残りました。漱石は一流の職業人でもあると思うんです。英語の研究も当時の日本の代表的存在で、イギリス文学の研究も当時最前線だった。新聞社からも篤い待遇を受けましたし、最高学府の教師でもあった。ところが作中では、なぜか職を断たれたような人間が中心に居ることがほんとに多いんです。やはり病のために仕事と伴侶を得られなくなっていった正岡子規のことがもっとも漱石にとって重大だったんだろうなあ、と思いました。
 

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吉野葛 谷崎潤一郎(6)

 今日は、谷崎潤一郎の「吉野葛」その6を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 この小説は今回で完結です。「吉野葛」は奇妙な仕組みで描かれていて、序盤中盤終盤と、ずっと吉野のさまざまな伝説や歴史的事件が語られており、けれどもじっさいにこの吉野葛で起きている物語というのは、淡泊なものなんです。谷崎にそっくりな作家「私」と、その友人の津村。この二人が旅をしているだけなんです。津村はずっと知らなかった母の古里を追っていたわけです。「私」は小説の題材になりそうな吉野の伝説を追っていた。全文を読んでいない人はネタバレになってしまうので、ここから先は読まずに、本文だけを読んでもらいたいのですが、けっきょくこの小説には、特になにも事件や伝説に絡んだ怪異は、ひとつも起きないんです。ぼくはこれを、おもしろく読み終えることができたのですが、けっきょく津村は母親の古里を調べきってどうしたかったかというと、新しい家をもうけようとしていた。母親の古里で育ち、母親の幼少時代の延長線上を生きたような、吉野の素朴な娘さんを見つけて、血縁上も縁故もほどよい、遠い遠い親戚みたいな娘さんである「お和佐さん」と結婚を前提としたお付き合いをはじめて、とくに事件もなく、うまいこと結婚をして新しい家が生まれた。作家の「私」は歴史的な事件や伝説を追いながらダイナミックな物語を作ろうとしてそれほど上手くゆかなかったと、オチで告白している。いっぽうで地味に自分の過去の家と新しい家について考え続けた、友人の津村はうまくやっていった。同じ時間、同じところの旅をしながら、二人に差が生じた。文学の技法でいうところの漸降法ぜんこうほうというかアンチクライマックスの展開がおもしろかったです。谷崎は最後の一文でこういうふうに書いています。
quomark03 - 吉野葛 谷崎潤一郎(6)
 私の計画した歴史小説は、やや材料負けの形でとうとう書けずにしまったが、この時に見た橋の上のお和佐さんが今の津村夫人であることは云うまでもない。だからあの旅行は、私よりも津村に取って上首尾じょうしゅびもたらした訳である。quomark end - 吉野葛 谷崎潤一郎(6)
 

0000 - 吉野葛 谷崎潤一郎(6)

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吉野葛よしのくず」全文をはじめから最後まで通読する(大容量で重いです)

次回から漱石の作品を読んで、数ヶ月後に源氏物語を読んでみようと思います。