死せる魂 ゴーゴリ(1)

 今日は、ニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」第1章を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回から十一回かけて、ゴーゴリの長編文学「死せる魂」を読んでみようと思います。大長編なんですが、下記リンクから全章を読むことが出来ますよ。この「死せる魂」はウクライナ生まれのゴーゴリが、ロシアでの貧しい青年時代を経て、ローマを長らく旅している時に書き記した文学作品です。「神曲」の作者ダンテにならい、生まれた国の権力者から逃れるようにしてイタリア半島を遍歴しつつ、物語を記したようです。
 「死せる魂」の第一章では、宿屋に現れた紳士を描写するところから、物語が始まります。
 この紳士の名前はチチコフといって、六等官の地主で、いま旅をしている最中なんです……。
 ちょっと気になるのは、チチコフは宿屋の給仕をつかまえて、お役人について妙にことこまかに質問しつづける、警察官にも役人がどこに住んでいるのかなんども聞いている……というところで、この紳士チチコフが、宿屋に長期的に泊まる理由はなんなのか、そこが気になりながら読んでゆきます。「とにかくこの旅人は、訪問ということにかけて異常な活躍を示した」と記されています。
「こうした有力者たちとの談合のあいだに、彼は実に手際よく、その一人々々に取り入ってしまった。」というところあたりから、このチチコフの奇妙な人間性が見えはじめてきます。
 この地は「まるで天国」のようだとか、お役人にたいして「絶大な賞讃に値する」とほのめかしたり、副知事にたいして『閣下』と言いまちがえてみたり、なんとも妙なんです。
 180年前のロシアが活写されていて、それを小説をとおしてかいま見るのも興味深いように思いました。知事の邸宅は「まるで舞踏会でもあるように煌々と灯りがついていた」「大広間へ足を踏み入れると、ランプや、蝋燭や、婦人連の衣裳が余りにもキラキラと光り輝いていた」というのもなんだか妙で、チチコフが怪しげなだけではなく、彼が謁見する有力者の暮らしぶりも、かなり謎めいています。
 まったく見知らぬ余所者であるはずのチチコフなのですが、有力者に取り入るのが妙に上手くて「みな、チチコフを古い知合いのように歓迎した」……。いったいチチコフはこの地でなにをするつもりなのか、というのを知りたくて読みすすめます。
 チチコフは、有力者たちにたいして、農地と農奴をどのくらい持っているのか、これを盛んに知りたがります。
 チチコフの話術はちょっとすごいもので、あまたの金持ちと、初対面なのに上手く打ち解けてしまうんです。
「役人たちはこの新らしい人物の出現に、一人残らず好感を抱いた。」「とても優しくて、愛想のいい方」というように思われる。
 商人や遊び人と初対面で打ち解ける人は、世の中に多いと思うんですが、権力者たちと初対面で仲よくなるというのはちょっと尋常ではないと思います。
 第一章の終わりのところで、この物語全体のネタバレというか骨子が明記されます。名作はネタバレをしてもおもしろい、というのがあると思うのですが、この典型例のような、オチの展開を最初のほうで示唆する記載がありました。チチコフの「奇怪な本性と、企らみというか、それとも田舎でよくいう『やまこ』というやつが、殆んど全市を疑惑のどん底へ突き落とす」とゴーゴリは書き記します。
 やまこ、というのは闇屋仲間というか、闇取引を業とする者という意味だと辞書の大辞泉には記されていました。チチコフはどうも大きな詐欺をやってやろうと、しているようです。次回に続きます。
 

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惑い(9) 伊藤野枝

 今日は、伊藤野枝の「惑い」その9を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 伊藤野枝はごく若いころからとくべつな冒険家で、十代のころに九州の今宿で、砂浜から5キロ先にある能古島までひとりで泳いで渡ったそうです。当時は親の決めた嫁ぎ先を完全に拒絶して生きることはとても困難だったはずで、それを親戚の支え無くやってゆくというのがすごく、文芸でもっとも表だった仕事をしていた女性である平塚らいてうと深く関わり仕事を受け継いだ……新しい生き方を何度も創り出した……物語にも記されているように「勇敢」というのを突き詰めていった、生き方に思いました。
 バカバカしいと思うことをきっぱり辞めて出てゆく、という伊藤野枝ならではの思い切りの良さが、物語の展開にも反映されているように思いました。「自分の考えを押し立てる」という伊藤野枝の言葉が印象に残りました。本文こうです。
quomark03 - 惑い(9) 伊藤野枝
 『出よう、出よう、自分の道を他人の為めに遮ぎられてはならない。』quomark end - 惑い(9) 伊藤野枝

 最後の二行が文学的展開で、暮らしぶりはまだ今までどおりであっても、主人公の逸子の心もちは未来における変革を決意して晴れやかである……その描写がみごとでした。
 

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惑い(8) 伊藤野枝

 今日は、伊藤野枝の「惑い」その8を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 本作は次回で完結です。伊藤野枝は小説や随筆で、人間の自立と自由について描きだしていったように思います。野枝の作品は、呻吟して思索された言葉として今も新鮮に読めると思います。伊藤野枝はいろんな批難にさらされてきたと思うんです。百年前は文人だというだけで国家から強い規制を受けてきましたし、当時は女性差別も厳しく、貞節を謳う人びとからも批判の的となっていました。
 伊藤野枝という名を知っている方ならご存じかと思うのですが、野枝は大杉栄と共に、帝国軍人に絞首されてしまいました。この事件では、野枝と大杉栄と七歳の幼子も亡くなっています。犯人は1945年夏の敗戦が来るまで帝国の徒として活動をつづけ権力を剥奪されないという、異常な状況がここから二十数年間も続きます。
 この「惑い」という小説はとても地味な構成をしていて、第一章で取りざたされた、新しく嫁いだ先の家が貧しすぎて無分別すぎることで主人公の逸子は煩悶していて、これが八章にもふたたび繰り返されて論じられています。
 自身の抱える憎悪と、自由のための反抗を、どのように展開させるべきか、逸子はこれに悩みます。伊藤野枝は、作中で繰り返し、因襲に対する個人的抵抗をうたっています。
 「惑い」という題名が終盤に来て上手く物語に共鳴してきたように思います。本文こうです。
quomark03 - 惑い(8) 伊藤野枝
   ……もう現在の人間生活の総ての部分に、不自由と不合理は当然なものとしてついて廻っているのだ。それに立ち向おうとすれば、唯だ、始めから終りまで苦しまなければならないのだ。諦めて、到底及ばぬ事として見のがして仕舞うか、苦しみの中にもっと進み入るか、幾度考え直して見ても、問題はたゞ、その一点にばかり帰って来るのだった。quomark end - 惑い(8) 伊藤野枝
  
「今まで続けて来た譲歩をみんな取り返した処で、決して自由にはなり得ない、その譲歩の何倍、何十倍も押し戻さなければならない」という一文が、いま悪意に捲き込まれている人びとへの、野枝からの百年越しの言葉として響くように思いました。
  

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惑い(7) 伊藤野枝

 今日は、伊藤野枝の「惑い」その7を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 この小説は逸子の家のことだけを描いてきたんですけれども、谷は逸子の夫であるにもかかわらずこの二者の交流はあまり記されてきませんでした。
 谷との会話が、全体の70%あたりからやっと記されてゆきます。二者の言い分は噛みあわない状態です。この小説には奇妙なところがあって、家族4人が居て同じところに住んできたはずなんですけれども、赤ん坊とのかかわりも単簡に記され、一人一人の生き方がそうとうかけ離れているんです。伊藤野枝の独立心が、このようにばらばらで一緒に生きるという、奇妙な人間関係に投影されているように思いました。
 老いた母親が息子を叱る言葉に考えさせられました。本文こうです。
『お前は懐手をしながら勝手なことばかし云っているんだもの、ちっとは、自分で手を出して御覧、それで世間が通ってゆくものだかどうか。』
 伊藤野枝は時代があと30年ちがっているだけで確実に長生きしたはずで、のちにはもっと面白い本を書いたのだろうと思いました。
 

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惑い(6) 伊藤野枝

 今日は、伊藤野枝の「惑い」その6を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 どうも、ダダイストの辻潤というのが逸子の夫にそうとう似ている、らしいのです。ぼくはあまりちゃんと調べられていないので、どのていど辻潤との共生が物語に反映されているのかまだよく分かっていないのですが、時期的にはちょうど辻潤と別れて月日も経って、このことを物語に描きやすい状況になったころに描かれた小説です。
  wikipediaに記された伊藤野枝の年表がすごかったです。おおよその寿命が四十歳だとか言われていた百年前ですから、当時の二十歳というのは人生の折り返し地点だったのかもしれないのですが、二十歳でこんなに活躍して大騒動があるものなのかと驚きました。wikiにはこう記されています。

1915年(20歳)1月 らいてうの仕事を引き継ぎ『青鞜』編集兼発行人となる
5月 辻潤が野枝の従妹と関係を持ったことを知りショックを受ける
7月20日 婚姻届を出し、辻潤の戸籍上の妻となる
11月4日 次男・流二を出産

 年表に比べると、この小説の展開は地味なんです。家庭のなかで生きる逸子の、貧しさと行き詰まりが描かれています。表現が具体的に制限されていたというのもあると思いますし、なによりも伊藤野枝は評論こそが活動の本懐であって、この小説はただ素朴に描いていたのではと、思います。
 伊藤野枝はバイタリティーがすごいのか、赤子の子育てをそつなくやりおおしていたからこれを簡素に描くのか、あるいは大事な者はあまり外部へ向けて記さないように気をつけていたのか、どうなのだろうかと思っていたのですが、今回の逸子は家族からの要求に応え続け、心的な労苦が蓄積していて、家族は金の無心ばかりしてくる状況で、悦子はついに『あゝ、つまらない!』という怒りを言葉にするのでした。
 伴侶に対して「自分では決して嫌な思いをしないで済す事ばかり考えている」という逸子と野枝の批判が、突き刺さるように思いました。
 

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惑い(5) 伊藤野枝

 今日は、伊藤野枝の「惑い」その5を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 家族ではない竜一が、逸子にお金を送っている理由は「少しでも彼女を自由にして」やりたいからなのです。「勉強だけは続けなきゃ」ということを逸子に言うのですが、逸子は学問に励む時間がなかなか作れない状況にあるんです。夫の谷はいま仕事を探しているところで、いろいろ不都合がある。
 家事と仕事と学問と娯楽と休息をぜんぶやれてしまう、という人は非常にまれなはずで、主人公の逸子の場合は、家の用事が普通の家庭よりも多い状況なんです。
 自由な時間をもつための資金を得て、これを浪費するわけにもゆかないと思って、逸子はこのお金はきちんと保管しておいて使おうと思うんです。それからやっと時間ができたので、逸子は端座して本を読みはじめるのでした……。次回に続きます。

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