本の事 芥川龍之介

 今日は、芥川龍之介の「本の事」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 夢の中で見た本のはなしが不思議なものでした。存在しない本について評論したスタニスワフ・レムの小説のことを思いだしました。

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晶子詩篇全集拾遺(68)

 今日は、与謝野晶子の「晶子詩篇全集拾遺」その(68)を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
  今回は久住山のことを描いた詩でした。
 現代作家よりも百年前の人のほうが、自然界に直接的に関わっているので、そこを読めるのも近代詩歌の魅力かと思いました。与謝野晶子は汽車や船を使って、いろんなところに出かけていて、それを書いているんです。

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廃墟から 原民喜

 今日は、原民喜の「廃墟から」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは原民喜「夏の花」の、その後の場面を描いた文学作品なんです。原民喜の「夏の花」における冒頭の詩は、 聖書の言葉からのものなんです。「ソロモンの雅歌」第八章十四節にこれが記されています。この雅歌を読んでゆくと、花の描写が印象深いんです。
quomark03 - 廃墟から 原民喜
  もろもろの花は地にあらわれ、鳥のさえずる時がきた。山ばとの声がわれわれの地に聞える。
いちじくの木はその実を結び、ぶどうの木は花咲いて、かんばしいにおいを放つ。わが愛する者よ、わが麗しき者よ、立って、出てきなさい。quomark end - 廃墟から 原民喜
 
文語訳はこうなっています。
quomark03 - 廃墟から 原民喜
  もろもろの花は地にあらはれ 鳥のさへづる時すでに至り 班鳩の聲われらの地にきこゆ
無花果樹はその青き果を赤らめ 葡萄の樹は花さきてその馨はしき香氣をはなつ わが佳耦よ わが美しき者よ 起て出きたれquomark end - 廃墟から 原民喜
  
 この「雅歌」を、原爆の直撃を受けて生き残った原民喜は始めから終わりまで読んでいてこれを引用しつつ、自分たちの生をどのように描くのかを考えて、物語を編んでいったのが「夏の花」です。
 平和に毎日を生きられることの重大さ、というのを感じずにはいられない記述があまたにありました。爆風や原爆症によって広島で亡くなった人々が記されてゆきます。本文こうです。
quomark03 - 廃墟から 原民喜
  「惜しかったね、戦争は終ったのに……」と声をかけた。もう少し早く戦争が終ってくれたら——この言葉は、その後みんなで繰返された。quomark end - 廃墟から 原民喜
 
 戦後すぐの貧困による死者は日本中に多く、その困難が、さまざまに記されていました。この本の、終わりの三行の記載に唸りました。見知らぬ人に知己のおもかげをなぜだか重ねてしまって、つい挨拶をしてしまう。その事実を淡々と記していて、これが文学としての深い印象を残しているように思いました。
  

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淫者山へ乗りこむ 坂口安吾

 今日は、坂口安吾の「淫者山へ乗りこむ」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは……恋人同士や夫婦間の中で生じる問題について描いているんですが、ところどころ、考えたこともないことが書いてあって驚くんです。ちょっとぼくには説明できない内容で、全文を読んでもらうと分かるのですが、坂口安吾の記す、罪の概念が印象に残るんですけど、そこで「走りすぎた」という記述をするんです。この言葉が、すごい使われ方をしている。言葉は現実から外れて走りすぎることがあるはずで、作家がこの問題を物語を押し進めながら検討しています。後半の静謐な心理描写も迫力がありました。
  

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野分(10) 夏目漱石

 今日は、夏目漱石の「野分」その(10)を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回は、文学者の白井先生が、経営の成り立ちがたい文芸誌の編纂について語っています。
 近代の文士は食えないし不成功が当然の事だったように思います。鴎外や初期の漱石は、収入源が文学活動では無かったわけで、軍医の仕事や学校の先生としての仕事をしてそれで家族を養っていたわけで、文士としての収支はまず厳しいものだったと思います。
 近代文学は、優れた人が困難にどのように向かいあっているのかを読んでゆくことが出来るので、そこがこの時代の作品の魅力のうちのひとつだと思いました。白井道也は貧しいながらも文学をとにかくやりたいわけで、そうなると富裕層の不正を糾弾するということに自然になってゆく、それがいろんな人の目についてしまうわけです。
 そういえばアンデルセンは、数多の詩を書いたのにも関わらず、創作で儲けられるということがほとんどなく、どうやって暮らしていたかというと、パトロンに気に入られることで、資金を得ていた。いわばスポンサーに保護してもらっている状態だったらしいです。それでその資本上の独立がむつかしい、という不自由から脱却したくて、ずっと独身で旅ばかりをしており、子どもたちのための童話をあまたに書いた、ということらしいです。
 白井道也の場合は、妻帯者なんですけれども、とにかく文芸で儲かるというのは出来ない状態なんです。もうちょっとあとの菊池寛あたりの時代にならないと、文芸で資本が動くということはなかったようで、当時は地位のある仕事をやりつつ副業のように文学に向かいあうしかなかったと思われます。白井道也の活動を見てゆくと、文学だけをやっていて資金の流れが駄目になっている、それで妻と親戚とが相談をして、文芸誌を辞めて教師になるようにしむけたらどうだと、いう話が出てくる。
  お金を工面してやっているのだから、言うことを聞きなさいよと、いうようなことを白井道也は言われそうなんですよ。本文と関係無いんですけれども、アンデルセンが結婚できなかった理由は、自由な資本というのを持つことが出来なかったからなのかもなあ、とか思いました。漱石はこう記します。
quomark03 - 野分(10) 夏目漱石
  雑誌なんかで法螺ほらばかり吹き立てていたって始まらない、これから性根しょうねれかえて、もっと着実な世間に害のないような職業をやれ、教師になる気なら心当りを奔走ほんそうしてやろう、とけるのですね。——そうすればきっと我々の思わく通りになると思うquomark end - 野分(10) 夏目漱石
  
 いっぽうでとうの白井道也は、デカい広告をつくって、青年たちに演説をぶちかましてやろうと、準備をしている。これで本が売れるようになるのかもしれない。次回に続きます。そろそろ終幕なんです。
  

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親ごころ モオパッサン

 今日は、モオパッサンの「親ごころ」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは行方不明の子どもを探す物語なんです。日本の神隠しで有名な童話と、このモーパッサンの神隠しの物語はどうちがうかというと、謎めいたサーカスの使者にさらわれるのか、自然界の化身としての山神に隠されるのか、というので近代フランスでは人的な力が働いているのが特徴のように思いました。終わりの十行がすてきでした……。
  

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