今日は、和辻哲郎の「自己の肯定と否定と」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
ぼくは哲学者のウィトゲンシュタインのことが好きで、氏の哲学と思想と、それから日記と伝記にすごく興味があって、これを少しずつ調べて読んでいってるんですけれども、その中で気になったのが、ウィトゲンシュタインが独我論である、というところで、なぜウィトゲンシュタインが独我論だったのか、ウィトゲンシュタインの生活は独善的なところもないし、利他的な生き方の多い人生だったんです。収入や社会的地位はしっかりしていて恋愛や家庭に興味もあったはずなのに結婚もせず子孫も残さなかった(ウィトゲンシュタインが同性愛者でもあったという記録は氏の日記にちょっとだけ残ってるんですが)、不思議な人生の哲学者なんですけど、そのウィトゲンシュタインの前期哲学は独我論で結ばれている箇所がある。どうしてウィトゲンシュタインが独我論なのか、そこのところをもっとちゃんと知りたいなあと思って、日記や伝記を読んでいるんですけれども、この和辻哲郎の随筆に、独我主義のことが書いていて、おもしろかったです。同時代の哲学者でも考え方がまったくちがう。ウィトゲンシュタインだったらこの問題はこう考えるんじゃないかとか、むだな空想をしながら読んでみました。
和辻哲郎はこの随筆で、自己に対する否定と肯定の、観念と作用について論じてから、急に「顔」という具体性を持つものごとについて論じるところが興味深かったです。
ぼくは近代文学を読む意義は、別の時代の生き方を知ってみると、現代人から不当に左右されたりしない、そういう知力がつく、というところがちょっとはあるんじゃないかと思ってるんですけど、和辻哲郎が戦前戦中に作っていった哲学は、自分にはあまりにも問題が大きすぎて難解で、理解がむつかしいなーと思いながら、この随筆を、読んでみました。
自己否定をすることについて、和辻は本論でこう語っています。
この要求は自分の個性の建立、自己の完成の道途の上に、正しい方向を与えてくれる。
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