道 水野仙子

 今日は、水野仙子の「道」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 涼しい晩夏について記すところから「私」の小説がはじまります。まだ九月なのに寒い風が吹く。
 季節の微妙な変化と風景と心情の細やかな描写が美しいように思いました。
 水野仙子は、苦について淡々と記すんですが、病と愛を結びつけて描くところがほかにない独特な魅力を生じさせているように思いました。夫婦二人の間に現れるAという画家の男が、「私」の夫婦生活とはべつのまなざしを投じているところがなんだか精妙な展開に思います。
 最後の第二十章だけを、まったく別のものに書き直すとしたら、いったいどういう章が新しく描かれるんだろうと思いました。終盤の「ほんたうの道」という言葉が印象に残りました。
 

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食器は料理のきもの 北大路魯山人

 今日は、北大路魯山人の「食器は料理のきもの」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 北大路魯山人は文筆と陶芸を両方とも極めた作家で、今回は、魯山人が食器をつくりはじめた理由と、その始め方について記していました。陶芸はそもそも巨大な煙をはきだす窯が必要なわけで、豪勢な、仕事をした人だなあと思いました。
 

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追記 本文とは関係が無いんですが、新しい仕事が相乗効果になる場合と、二兎を追う者は一兎をも得ずになる場合とで、いったいどうちがうんだろうかと、思いました。
 

念仏と生活 倉田百三

 今日は、倉田百三の「念仏と生活」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは仏教の信仰について記している随筆でした。浄土真宗の南無阿弥陀仏のことについて記していました。はじめに、善人だと欲望を自身で制御できるという自力があるので仏教の「信仰に到達しない」と記しています。ふつう人間には欲望があって、欲望が生命力になっている。同時に「いい人間になろうと考え」るので、自己の欲望と、良い人間性、この二つが衝突しているところに、倉田百三の考える、仏教と念仏がある。
「欲望が弱いならば、信仰はいらない」と倉田百三は述べます。もうちょっとほかの仏教の本を読んでみたいと、思いました。
  

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ラヂオ漫談 萩原朔太郎

 今日は、萩原朔太郎の「ラヂオ漫談」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 新しい技術をまのあたりにした瞬間の驚きについて、詩人が記しています。現代でいうと、人工知能の話し声が、人間には判別できなくなるような時代にはいろいろ議論が起こるだろうと、思いながら本作を読みました。作中で萩原朔太郎が「新奇なものは、美として不完全である」という問題について論考しているんですけれども、映画や映像を見ていても、1万年前にもつくれたはずの舞踏的な古い技法のほうが十年後にも五十年後にもその美が失われがたいことがあるのでは、と思いました。萩原朔太郎は今回、西洋音楽にかんしても論じていて、官僚的にありがたがる聴衆によって醸し出される堅苦しさを批判しつつ、自由に音楽を楽しめるようになる未来の可能性について論じていました。
 

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追記  萩原朔太郎は百年後に読んでみると、妙なオチを記しているのでした。

椎の実 橋本多佳子

 今日は、橋本多佳子の「椎の実」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 日本の作家の始まりは紫式部であって、枕草子や万葉集には女性性が如実にあらわれたものが多いと思うんです。今回の随筆にある、明治大正の男性作家には書けない寂寥と安穏の描写は、近代作品の中にも探してみればもっとあまたに読めるはずだと思うんですけれども、なぜかあまり見つかりません。すてきな随筆でした……。
   

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追記 寺田寅彦が、同時代にどんぐりの随筆を書いています。

中毒 織田作之助

 今日は、織田作之助の「中毒」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 スタンダールが自ら選んだ墓銘があまりにも的を射ているので、これがスタンダールらしい文学の世界観の代表になっている、このことについてはじめに論じています。名言がちょっと都合悪く作用してしまうことについて書いているんです。織田作之助は意識的にか無意識的に、ちょっと誤訳をしていてスタンダールのいう「愛した」の部分を「恋した」と翻訳しそこなっているのが妙でした。
 中盤から、織田作之助の父の話が記されるんです。近代作家を読んでいていちばんイメージと違って意外だったのは、与謝野晶子が随筆で男性批判をするところ、そこでの社会の考察の仕方の、容赦のなさと批評性の鋭さにおどろいて、これがいちばん印象に残っているんですけど、こんかいの随筆で織田作之助が父を考察する、そのまなざしにも唸るところがありました。単純化させてはいけないところを、父と私、というテーマで描きだしていました。
 少年時代の記憶がみずみずしく語られていて、織田作之助の筆致がみごとなのに驚きました。恋愛や喫煙での醜態がながながと記されて、カレーライスを食べる時にさえ煙を吸いまくっている描写あたりで呆れかえってしまいました。「近代作家は駄目人間だらけだ」というのは誤情報なのでは、とぼくは今まで思っていたんですが、この随筆の後半はなかなかひどい作家生活が描かれていてデカダンぶりがすごかったです。
 

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