学問のすすめ(1)福沢諭吉

 今日は、福沢諭吉の「学問のすすめ」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 福沢諭吉は本論で、貧富や賢愚のことを説いています。生まれた時は賢愚の差は無かったのに、日々、学んでいるかどうかで、差がついてしまうのだと述べています。むずかしい仕事をしている人が、身分の重い人だと言っていて、おおくの人のめんどうを見ている農業者も、むずかしいことをやり遂げているので身分が重い、放蕩ざんまいで愚かな結果が出てしまう働き手は身分が軽い、というように福沢諭吉は述べています。
 また異体字とか「䱯」とか「鵦」とか「龓」というような難読字が読めることが賢いのでは無くて、家族をゆたかにして賢く生活できることを学問がある人だ、とも言っています。
 手紙を書くとか会計をちゃんとするとか日常で使う実学がまず大事ですと、福沢諭吉は述べています。あと大金持ちであっても他人の情や暮らしを妨げるようでは、ただの放蕩だと、述べています。「自由を達せずしてわがまま放蕩に陥る者」にならないよう、学問をすすめています。
 福沢諭吉は「自由を妨げ」られるようなことがあれば「争うべきなり」と勧めているんですが、暴力的な「強訴」は愚かだと述べていました。フランスでは多くの貴族が襲撃を受けたフランス革命があって、現代フランスでも、政府が増税をしようとしたら、強訴や一揆のような乱暴なデモをして政府に抗議をして増税を辞めさせる文化があるんですけど、福沢諭吉の自由闘争論はそれとはかなり違うようです。
「身の安全を保ち、その家の渡世をいたしながら、その頼むところのみを頼み」近しいものと教えあいながら、自分たち市民側がみな学問を深め続ければ、自然とひどい政府もマシになってゆくというような、べらぼうに時間のかかる改善というのを勧めているようです。「愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり」「法のからきとゆるやかなるとは、ただ人民の徳不徳によりておのずから加減あるのみ」というのは、たしかに3.11のことを忘れて世界中で認められてない45年とか59年も経つ老朽原発の稼働さえ許可する法を作ってしまった今の日本政府は、多くの愚によって支えられてしまっているように思います。いっぽうでフランス原発を長年メルトダウンさせなかったのはやっぱりフランス市民ぜんたいが賢かったからなのでは、と思いました。「まず一身の行ないを正し、厚く学に志し、ひろく事を知り、銘々の身分に相応すべきほどの智徳を備え」よ、というように福沢諭吉は記していました。「支配を受けて苦し」むことがないように、まずは自分で実学を学んで、自由を手にしよう、というような記載もありました。これで第一編である『初編』が終わるのですが、全体では十七編あります。また次回、第二編を読んでみようと思います。

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★ 『学問のすすめ』第一編(初編)から第一七編まで全文を通読する
 
 
追記  谷崎潤一郎の「細雪」中巻下巻は9月27日から再開する予定です。

われはうたえどもやぶれかぶれ 室生犀星

 今日は、室生犀星の「われはうたえども やぶれかぶれ」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 室生犀星というと『杏っ子』というのが有名な代表作かと思いますが、こんかいは最晩年の作品を読んでみました。詩や小説を書くためのメモをとっている、ということから室生犀星の「われはうたえどもやぶれかぶれ」が始まります。深夜に幾度も起きて厠にいくしかない、喉もやられて体調が不良になっている「私」の深夜における日常のことを記しています。親戚でも無いかぎり目の当たりにすることの無い事態が事細かに記されていて、驚く内容でした。不調な身体のことと、その病の原因について記しているのでした。咳が止まらないのに煙草を繰り返し吸っているという、不思議な描写がありました。室生犀星は老境の「私」を描きだしていて、ずっとゆばりの不調と病について書いているのでした。序盤で老翁同士の諍いのことを書いていてギョッとするんですが、中盤から、知人であった宇野浩二の晩年のことを記していて印象に残りました。
 

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自己を中心に 三木清

 今日は、三木清の「自己を中心に」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 自己中心的というのはたいてい悪い意味で使われていて「近しい人や他人を排除している」ということを意味するかと思うのですが、漱石の「自己本位」や三木清が述べている「自己を中心に」というのは、他者に貢献するには、自己がしっかりしていないとどうにもならない、という意味のようです。本文こうです。
quomark03 - 自己を中心に 三木清
 自分を中心にして仕事をしてゆくこと、それがけっきょく社会のために尽くすことになるのだと考える。自分というものを抽象して社会はないはずである。quomark end - 自己を中心に 三木清
 
 また「自分自身に還って仕事をするということである。まず主体を確立する」というように記していました。哲学者の三木清であっても、本は依頼されないとなかなか書けない、ということも記しています。三木清は質だけではなく量も重視していて、ゲーテの全集に匹敵するくらいの分量を書きたいという思いがあるようです。
「自分の能力を小出しにしない」で「自分の才能を浪費しないようにすることが大切である」それから、三木清の思想としては「民間アカデミズム」というものこそ重要なんだと、指摘しているんです。
日本の「文化史を見れば、民間アカデミズムは、たとえば徳川時代の儒者の間にも国学者の間にも存在したもので、それがかえってその時代の真のアカデミズムであった」と書きます。国家が主導しないものごとこそが、日本の文化にとって重要なことだという指摘でした。1939年という戦争の時代に書かれた随筆です。
  

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夢の影響 與謝野晶子

 今日は、与謝野晶子の「夢の影響」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 
 夢の謎のことを書いているんですが、考察と表現がみごとで、今まで何十年も言葉にならないまま感じていたことが書かれていました。
 夢には意味内容が無くて、眼がさめれば消え去るだけのもので、数字で判断したら無のものであってなんの価値も無さそうに思えてしまうんですけど、そこでの感動は残るし、その日の現実にも良い影響を与える。悪夢からめざめて助かったと思う、その助かったという感情は事実なわけです。夢を観察して、夢を考察すると、平生では思いつかなかったヒントも見つかる。
 夢の中のできごとは、歌や詩や小説の言葉と、近いところがあるのでは、と思いました。
 夢枕に立つ、なにかの喜びも、ただの水泡のようなものではなくて人の実感のようなところがある。次の一文が印象に残りました。本文こうです。
quomark03 - 夢の影響 與謝野晶子
 ……目が覺めて居る時よりも一層よく寫實的に觀察することの出來るばかりで無く、其れにおのづから明暗の度が適度に附いて、ちやんと一つの藝術品として立體的に浮き上つて構圖されて居る場合があります。さう云ふ場合に、人が夢を見て居ると云ふことは眠つて居るので無くて、藝術家としての最も純粹な活動をして居ることに當ると思ひます。quomark end - 夢の影響 與謝野晶子
 
 与謝野晶子は「小野小町が夢を愛したと云ふ氣持は私にも想像することが出來るやうに思ひます。」と書くのでした。
 川を愛するとか、夢を愛するとかいうのは、前時代的で間違っているような気がしていたんですが、与謝野晶子は、こういう芸術上の喜びがあって良いのだというように考えて、いるのでした。
 

0000 - 夢の影響 與謝野晶子

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大阪の憂鬱 織田作之助

 今日は、織田作之助の「大阪の憂鬱」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回の織田作之助は、はじまりの数頁でずいぶん奇妙なことを書いていて、眠る前に珈琲を飲まないと眠れない男がいる、というふつうとまったく逆のことを記してから、大阪の闇市のことを書きはじめるんです。戦争が終わっても、混乱はまだ治まっていないころに「食いだおれの大阪」と言われる大阪で食いものが不足するとどういうことが起きるのか、ということが記されていました。
 どうも妙な随筆で、「大阪の闇市にはなんでも売っている」という噂があるそうなんですが、これもどうもおかしいわけで、当時は食糧不足と物資不足と資産不足で、さらにとうじは配給制度がまだあったので、警察は食材を無断で売ることを禁じていて、何も買えなかったはずなんです。
 そのあとに、煙草を売る商人を警察が取り締まって、大乱闘になったという新聞記事のことが書かれています。織田作之助は前半で述べているように、当人も読者も、現実の疲弊ぶりに憂鬱になっているようなんです。闇市では、大規模な窃盗が相次いでいる。『京都から大阪へ行く。闇市場を歩く。何か圧倒的に迫って来る逞しい迫力が感じられるのだ。ぐいぐい迫って来る。襲われているといった感じだ。焼けなかった幸福な京都にはない感じだ。』
 この前後の記載がすごかったです。今はもうどうやっても誰もたどり着けない、戦後すぐの闇深い大阪が活写される、後半がみごとな随筆でした。以下の文章もなんだか印象に残りました。
quomark03 - 大阪の憂鬱 織田作之助
 いつか阿倍野橋の闇市場の食堂で、一人の痩せた青年が、飯を食っているところを目撃した。
 彼はまず、カレーライスを食い、天丼を食べた。そして、一寸考えて、オムライスを注文した。
 やがて、それを平げると、暫らく水を飲んでいたが、ふと給仕をよんで、再びカレーライスを注文した。十分後にはにぎり寿司を頬張っていた。
 私は彼の旺盛な食慾に感嘆した。その逞しさに畏敬の念すら抱いた。
「まるで大阪みたいな奴だ」quomark end - 大阪の憂鬱 織田作之助
  

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桃の伝説 折口信夫

 今日は、折口信夫の「桃の伝説」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 折口信夫は今回、古事記の桃について記しています。黄泉の国から生還するときに、桃をつかって生きのびた、ということをまず書いているんです。子どものころに病気になって治りかけの時に、母から缶詰の桃を食べさせてもらって美味しかったとか、病院食の味気ない食事が終わって退院後に自宅で果物を食べてやっと生きた心地がしたとか、お供え物に果物をそなえるとかいう体験は誰でもあると思うんです。古代における、こういった体験の集成の物語化が、古事記での黄泉の国での桃のエピソードに転化したように思えました。古事記では、黄泉の国からの追っ手に桃を投げつけて逃げおおせるの……です。
 ほかにも「桃太郎」の話しにそっくりな秦 河勝はたのかわかつの伝説の物語を読み解いています。「秦氏が帰化人であるごとく、話の根本も舶来種である」というように書いています。桃太郎の起源も、中国や朝鮮からの影響が色濃い可能性が高い。そもそも日本語は中国の漢字の文化から借りてきたのがはじまりで、日本の伝説も、大陸から輸入したところは多いはずなんです。本文こうです。
quomark03 - 桃の伝説 折口信夫
 朝鮮の神話の上の帝王の出生を説くものには、卵から出たものとする話が多い。其中には、河勝同然水に漂流した卵から生れたとするものもある。竹のの中にゐた赫耶カグヤ姫と、朝鮮の卵から出た王達キンタチとを並べて、河勝にひき較べてみると、却つて、外国の卵の話の方に近づいてゐる。此は恐らく、秦氏が伝へた混血種アヒノコダネの伝説であらうが、同じく桃太郎も、赫耶姫よりは河勝に似、或点却つて卵の王に似てゐる。quomark end - 桃の伝説 折口信夫
 
 千年以上前から、桃や果実をたいせつにする民間の習俗があって、日本で独自に、桃から生まれた桃太郎、というのが昔話になったようです。
quomark03 - 桃の伝説 折口信夫
  何故、桃太郎が甕からも瓜からも、乃至は卵からも出ないで、桃から出たか。其は恐らく、だんだん語りつたへられてゐる間に、桃から生れた人とするのが一番適当だ、といふ事情に左右せられて、さうなつたものと思はれる。quomark end - 桃の伝説 折口信夫
 

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