四季 槇村浩

 今日は、槇村浩の「四季」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これは四季おりおりの情感を童心とともに記した、ちょっと謎の詩で、槇村浩の本作を読むのはぼくは初めてなんですが、他の槇村浩の諸作と思想と随想はもっと深刻な政治闘争問題を主題としたもので今回の詩では槇村浩の文学性は見えてこないかもしれないと思いながら読みました。
 四つの季節を描きだしているのですが、秋の詩がなんだかすてきでした。槇村浩は若いうちから盛んに政治的な主張を繰り返した詩人なのだそうです。
 

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僕の孤独癖について 萩原朔太郎

 今日は、萩原朔太郎の「僕の孤独癖について」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 欧米でも近代日本でも、作家といえば社交的で、世界中の人々と幅広く交際しているという……ゲーテや鴎外のように、人づきあいの盛んな人が多いと思います。ところが萩原朔太郎はそうではなくて、昔から「人嫌ひ」「交際嫌ひ」で小中学校でもさんざんいじめられてしまって「人嫌ひになり、非社交的な人物になつてしまつた」
 それだけではなく困った癖があって「意識の反対衝動に駆られ」て「例へば町へ行かうとして家を出る時、逆に森へ行けといふ強迫命令が起つて来る」さらには、愛すべき友人に対して、ののしりの言葉が口をついて出てしまう、というのでした。
 その萩原の好きな哲学者は、ニーチェやショーペンハウアーで、思想上でも孤高を好むようになっていった。
「詩人と、哲学者と、天才とは、孤独であるやうに宿命づけられて居る」というショーペンハウアーの言葉を愛して「常に群集の中を徘徊してゐる人間は、この世に於て、常に最も孤独な寂しい人間なのである」というボードレールの言葉を信じ「常に孤独で居る人間は、稀れに逢ふ友人との会合を、さながら宴会のやうに嬉しがる」というニーチェの言葉に、生の喜びを知るのでした。萩原は本を読んで、言葉を記すことが、魂を治癒し慰撫をもたらすものであると考えているようです。
 破天荒で人との諍いが絶えなかった青年時代を過ぎ、成人すると神経が図太くなって、日ごろの妄想も減退していった。
 若いころの性格とはまるで異なっていって「代りに、詩は年齢と共にまずくなつて」平凡な人間性に至っていったという自己分析をしているのでした。萩原はまたこう書きます。
quomark03 - 僕の孤独癖について 萩原朔太郎
  ニイチェは読書を「休息」だと言つたが、今の僕にとつて、交際はたしかに一つの「休息」である。人と話をして居る間だけは、何も考へずに愉快で居られるからである。quomark end - 僕の孤独癖について 萩原朔太郎
 
 次の文章が印象に残りました。
quomark03 - 僕の孤独癖について 萩原朔太郎
  友人が無ければ、人は犬や鳥とさへ話をするのだ。畢竟人が孤独で居るのは、周囲に自分の理解者が無いからである。天才が孤独で居るのは、その人の生きてる時代に、自己の理解者がないためである。quomark end - 僕の孤独癖について 萩原朔太郎
 
 さいごの「ミネルバのふくろうは迫り来る黄昏に飛び立つ」というのはこれはヘーゲルが記したローマ神話のエピソードなんだそうです。萩原が記した一文がなんだか、印象に残りました。
quomark03 - 僕の孤独癖について 萩原朔太郎
  ミネルバの梟は、もはやその暗い洞窟から出て、白昼を飛ぶことが出来るだらう。僕はその希望を夢に見て楽しんでゐる。quomark end - 僕の孤独癖について 萩原朔太郎
  

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海の詩 中原中也

 今日は、中原中也の「海の詩」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 山の物語はあまたにあるけれども、海の小説は少ない、という随筆をこのまえ読んだんですが、こんかいは海を描きだす詩のことを、中原中也が記していて、魅了されました。
quomark03 - 海の詩 中原中也
 こころままなる人間は、いつでも海が好きなもの!
  海は汝が身の鏡にて、はてなき浪の蕩揺たゆたひに、なれはながたま打眺むquomark end - 海の詩 中原中也
  
 ボードレールは、人と海がともに併せもつ「苦き深淵」を描きだします。パリを愛したヘミングウェイの「老人と海」を連想するような、ボードレールの「人と海」……これを中原中也が和訳した詩作品でした。
    

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こころ 今野大力

 今日は、今野大力の「こころ」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 これはほんの数行の詩で、一瞬で読み終えてしまうんですが、今野大力の詩をもっと探してみたくなるような掌編でした。
 検閲と発禁が絶えなかった日本近代文学では稀な、反戦詩を多く書いた詩人なんだそうです。
 「こころ」というと漱石と、八木重吉の「秋の瞳」を連想しました。八木はこういう詩を書きました。
 
こころよ
では いつておいで
しかし
また もどつておいでね
やつぱり
ここが いいのだに
こころよ
では 行つておいで(八木重吉の「秋の瞳」より)
 

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猫町 萩原朔太郎

 今日は、萩原朔太郎の「猫町」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
  旅というと、目的地を目指す探訪であるとか、探索とか、社会見学みたいな要素があるのかと思うんですが、萩原朔太郎はそういった目標のある旅では無く、まず、幻視のなか訪れる謎の異界の魅力について記していて、さらに路地の中に迷い込んで方角を見失い居場所が分からなくなることの魅力について描くのでした。萩原の本業は詩作なんですけれども、こんかいは自分の旅の体験を小説の形で記しているのでした。詩人の描く小説、というだけでなにかすてきなものに思いました。萩原朔太郎が冗談のように謎の世界についておもしろおかしく語っているのか、あるいはほんとうにあった奇妙な出来事として、あまたの猫が住む街について記しているのか、いったいどちらなのか判別がつかないまま、謎の事態を読みすすめてゆきました。これは小説の文体を模した、詩なのでは、と思いました。
 

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ゆふべみた夢 富永太郎

 今日は、富永太郎の「ゆふべみた夢」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 美しい情景の記載からはじまるこの抒情詩は、中盤から友人との奇妙な再会を喜ぶ、夢らしい夢の場面が描かれ、そこから友人Nの不吉な崩壊が、詩の言葉で描きだされてゆきます。「ぼんやりそこに立つたまま、よごれた彼の顔を眺めてゐた。」という終盤の一文が印象深い掌編でした。
  

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