侏儒の言葉 芥川龍之介

 今日は、芥川龍之介の「侏儒の言葉」を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回いちばんはじめに、芥川龍之介が論じているのは、クレオパトラの鼻が変だったときに、恋人はいったいどう考えるのか、という問題でユーモアを交えつつ、こういうことを指摘しています。
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  恋人と云うものは滅多に実相を見るものではない。いや、我我の自己欺瞞ぎまんは一たび恋愛に陥ったが最後、最も完全に行われるのである。(略)我我の自己欺瞞はひとり恋愛に限ったことではない。我々は多少の相違さえ除けば、大抵我我の欲するままに、いろいろ実相を塗り変えている。quomark end - 侏儒の言葉 芥川龍之介
  
 「1984」に描かれるような事実の改変は、人間や組織人ならとうぜんのように、やってしまう。自己欺瞞と「壮厳な我我の愚昧」というのが、永々つづくよと、芥川は指摘しています。この「侏儒の言葉」は、英知を学ぶということと、とんでもない話しを聞いて目を見ひらく、というのとが並行して書き記されています。
 これはさすがにふざけて書いたんだろうというような箇所もいくつか見受けられます。モーパッサンに対する評もたった一文だけで、奇妙なんです。「モオパスサンは氷に似ている。尤も時には氷砂糖にも似ている。」と書いていてただのことば遊びだろうと思う箇所や、詩としてみごとな箇所もあって、諧謔の書としても読めるんです。再読であっても新鮮に読めて、すごいように思いました。
 いっぽうで暴力や迫害に関する考察は、哲学書のごとき思弁に富んだ内容に思いました。近代の社会主義者の言い分はいま読むと当然のことを言っているだけなのになぜ彼らは迫害されねばならなかったんだと思っていた時に、芥川の「迫害を受けるものは常に強弱の中間者である」という指摘が腑に落ちました。
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  強者は道徳を蹂躙じゅうりんするであろう。弱者は又道徳に愛撫あいぶされるであろう。道徳の迫害を受けるものは常に強弱の中間者である。quomark end - 侏儒の言葉 芥川龍之介
 
 全体の12%のところや60%近辺で記される、芥川龍之介による軍人批判も学ぶところがあるように思いました。くわしくは本文を読んでもらいたいのですが、「帝王」に関する考察も興味深いです。
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 ナポレオンは「荘厳と滑稽との差は僅かに一歩である」と云った。この言葉は帝王の言葉と云うよりも名優の言葉にふさわしそうである。quomark end - 侏儒の言葉 芥川龍之介
   
 この指摘は、数十年後のナチスと「チャップリンの独裁者」に関する、適切な未来予測のようにも思います。芥川龍之介は独裁者に関してこう指摘しています。「一度用いたが最後、大義の仮面は永久に脱することを得ないものである。もし又強いて脱そうとすれば、如何なる政治的天才も忽ち非命に仆れる外はない。つまり帝王も王冠の為におのずから支配を受けているのである」ほかにも芥川はこう記します「我我人間の特色は神の決して犯さない過失を犯すと云うことである。」現代の独裁者について考えてみたい、という人にとってこの「侏儒の言葉」にはさまざまな示唆があるように思います。
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 革命に革命を重ねたとしても、我我人間の生活は「選ばれたる少数」を除きさえすれば、いつも暗澹あんたんとしているはずである。しかも「選ばれたる少数」とは「阿呆と悪党と」の異名に過ぎない。quomark end - 侏儒の言葉 芥川龍之介
    
 中盤52%のところに記される「罪」に関する考察がみごとでした。諧謔に富む名言、というのを堪能したように思いました。恋愛論や芸術論も魅力的で、いろんな読み方の出来る本だと思います。
 

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