学問のすすめ(12)福沢諭吉

 今日は、福沢諭吉の「学問のすすめ」その12を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 今回はスピーチの価値について論じています。まったく同じ内容であっても複製した断片だけでは伝わりにくいのに、優れた人が詩をスピーチすれば「わかりやすく」「人を感ぜしむるもの」となって「限りなき風致を生じて衆心を感動」させる。「ゆえに一人の」意見を「衆人に」速やかに伝えられるかどうかは「これを伝うる方法に」よるところが大きい。
 福沢諭吉は、学問を活用して機能させることを重視していて「活用なき学問は無学に等し」いというように書いています。
 読書をして、心の働きに変化が生まれて、これを活用して学を実践にうつす。観察をして推論をして、新しい考えを作り、人と話して知見を交換し、本を出して演説をして知を広める。学問の実践には、人との交流が重要になってゆく。
 学問をほんとうにする人は、談話や演説をすることが、大切になる。独自に一人で学究をするということと、人と交流して知を広めるという「外の務め」というのをしっかりやってはじめて、ほんとうの学者である、と福沢諭吉は説きます。
 知識量が多く人とも多く交流しても、定見を持っていない学者というのがいるのもまずい、とも書きます。
 学問をする者は、高尚な見識というものを持つべきだけれども、「医者の不養生」とか「論語読みの論語知らず」となってはいけない。実行力とか結果とかが、ともなわない学者が多いとマズい、というように福沢諭吉は書くのでした。酒でも遊びでも淫蕩なところに至るとかいうのは駄目だ、風紀や風俗のことで喧々諤々の言い争いをするというのは愚かだ、という指摘もあってこれは荘子が述べているように、優れた学者の「交りは淡きこと水のごとし」というのが理想、ということなのかと思いました。
 学校や学の評価というのは、風紀や風俗をやたらと取り締まっていて全体的に見た目が整っている、というところでは判断できない。学校の価値は「学科の高尚なると、その教法の巧みなると、その人物の品行高くして、議論の賤しからざるとによる」と福沢諭吉は書きます。これは、大組織や政府にも言えることだ、と書いていました。
 今回は、19世紀後半のインド政府がおちいった困難について論じていました。この国家的危機を学問の力で改善していったのが、ガンディーの思想と実践だったというように思いました。
 

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