死せる魂 ゴーゴリ(9)

 今日は、ニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」第9章を公開します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 いよいよ、物語は終盤に差しかかってきたのですが、ゴーゴリのこの文学では、奇妙な事態がどのように人々のあいだで伝わっていって考えられてゆくのか、というSF的というか哲学的な展開になって来ました。チチコフは、死んだ農奴の戸籍を徹底的に集めつづけてきました。 死んだ農奴なんて買い取っていったいどうするつもりなんだ、ということが物語の中盤から終盤にかけての、中心的な議題になっています。それを人々はどのように観察して、どのように論じるのか、奇妙きわまりない伝聞についてどう考えてゆくのか、というのが終盤の話題になっています。
 なんだか分からないけど、聞いた話しが、とにかく謎めいていてよく分からない。現代で言うと、大きな問題が起きたときに、SNSでは即座に反応せずに、いったん自分と他人の考えを保留して、とにかく静観してみるということが重要だと言われています。こういう問題が、いまこの小説の終盤で起きているように思います。すごく奇妙な謎が目の前にあって、それについてすぐに判定しないで、考えを組み立てるために言葉を留保しておく……。
 本文と関係無いんですが、孔子が言うところの「道に聞きて道に説くは、徳をこれ捨つるなり」というのが思いうかびました。チチコフがやっているのはこの孔子の考えのちょうど反対で、とにかく徳を捨ててやろうという方針があるように思うんです。
 彼チチコフが喜ぶときに、アナーキーというかパンクというのか、不思議な快感がほとばしっています。ぼくはこの話しを読んでいて、貧者への重税の仕組みってまるで、死んだ農奴を数値化してデータだけ収集し続けているのと同じような事態を引きおこすんじゃないかとか、思いました。個人の事情にあわせた持続可能な税金と公共サービスの組み合わせについてはなんの不満も無いんですけれども、死人からさえ税金を取り立てているという珍事に遭遇すると、こんな大集団はイヤだ、と思えてきます。
 チチコフはロシア帝国の反転した合わせ鏡みたいな存在に見えてくるんです。たった1人で反転した帝国を形づくろうとしているような印象がありました。
 死んだ農奴からさえ税金を取り立てる、あまたの貧者たちからあまりにも重税をとりたてすぎて大飢饉が起きた、というのは近代に現実として起きていた事態なんですけれども、この小説を読んでいると、近代の国っていったいなんなんだ? という謎が立ち現れてくるように思います。
 

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追記
ここからはネタバレなので、これから全文を読み終えたいかたは本文のみを読んでもらいたいのですが、社交界で名をはせたチチコフは、なぜ死んだ農奴を買い漁ったのか、2人の婦人によればこういう予想になっているんです……。
 
「あれは、ただ人眼を誤魔化すために思いついただけのことで、ほんとうは、知事のお嬢さんをかどわかそうってのが、あの人の魂胆なんですわ。」
 たしかにそれは、まったく思いもよらぬ、またどの点から見ても珍無類な断案であった。(略)『まあ、驚いた!』
 
 チチコフが恋愛対象として狙っているらしい知事の娘……これが物語の要点になるのか? と思ったんですがどうもこれはデタラメのようです。ある婦人によれば、チチコフの大胆な詐欺活動には、共謀者がいるはずだという予測なんです。ノズドゥリョフさえチチコフの詐欺仲間だと勘ぐるのですが、これは完全にハズレなんです。ただ、チチコフは明らかになにかを成しとげるために死人の蒐集を行っているんです。それに知事の娘をだますことも含まれているのか。はたしてこれが真相の核心であるのかどうか、それとももっと深い意味がありえるのか、物語は続きます。2人の婦人は、このてきとうにこしらえた噂話を、街中に言いふらして、大混乱の騒動を引きおこしたのです。
 ゴーゴリは推理小説みたいに、謎の真相をなかなか明かさないんです。代わりに、でたらめな噂話の数々が描きだされます。本文こうです。「風説は風説を生んで、市じゅうの者が、死んだ農奴と知事の娘について、チチコフと死んだ農奴について、知事の娘とチチコフについて喋り出し、ありとあらゆるものが起ちあがった。」
 役人たちは、チチコフが買い取った『死んだ農奴(魂)』についていろいろ考えはじめてしまって「本当に犯してもいない罪まで探しはじめ」てしまいます。役人たちは自分がなにか悪いことをしてしまって、犯罪を裁かなかったり、犯人を放置して事件をうやむやにしてしまったりした事実を思いだして、その死人たちの魂をチチコフがあまたに買い取っていって罪を暴こうとしているのではというような、ありえないことまで考えてしまうんです。
「銀行紙幣の偽造犯人」が偽の身分証を手に入れて潜伏しているわけで、これもチチコフの蒐集したあまたの身分証と関連があるかもしれないとか、邪推しはじめるわけです。
 これで役人たちは、真相をちゃんと捜査しようというので、死せる農奴を売った人たちを連れて来て話しを聞いたのでした。コローボチカおばあさんや、チチコフの親友である地主マニーロフなどから、チチコフのことを聞きだした。
 けれどもやはり、なぜ死人の魂を買い取るのかは分からない。小さな詐欺を行っているのは明らかなんですが、肝心の「死せる魂」の真相は分からない。チチコフはじつは役人たちの不正を調査するため秘密裡に派遣された調査員かもしれない。役人たちの今回の結論としてはこうなりました。「チチコフ」「は何者であるか、あの男が悪人として逮捕され拘束さるべき人間なのか、それとも、あの男こそ自分たちを悪人として逮捕し拘禁する権力を持つ人間なのか、それからして先ず決定することにした。」
 そうして警察部長が、いよいよ次章であらわれるのでした。そろそろ結末が見えてきました。ゴーゴリの「死せる魂」はあと2回で完結します。