死せる魂 ゴーゴリ(8)

 今日は、ニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」第8章を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 生きている農奴に見せかけた、死んだ農奴をあまたに買い取ってきたチチコフには、おかしな噂が盛んに生じて、この噂の渦に感応してしまった婦人が奇妙な匿名の手紙をチチコフに送ったのでした。それから「知事の邸で催される舞踏会の招待状が届いた」のでした。「彼が舞踏会に姿を現わすや否や、異常な活気が沸きあが」ります。
 主人公の詐欺師チチコフは、作中ではパーウェル・イワーノヴィッチと記されるんです。どうして読者にはチチコフと述べ、作中人物たちはみなこぞって「パーウェル・イワーノヴィッチ」と言うのでしょうか。主人公はパーウェル・イワーノヴィッチ・チチコフという名前なんです。 
 とりあえず言葉づかいを上品にしてみる人たちのことも面白く描写されます。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(8)
『このコップ(又は皿)は臭い』などと言ってはならない、いや、そういったことを仄めかすような言葉づかいをしてもいけないのだ。そんな場合には、『このコップはお行儀が悪うございますわ』とか何とか、そんな風な言い方をしたものである。quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(8)
 
 現代日本の場合は、横文字でなんとかおしゃれな雰囲気をつくり出すということがよく起きると思うんですが、近代ロシアでは、フランス語をつかって上品さを演出したらしいです。
 チチコフはついに、四百人もの「どこにも居ない農奴たち」を買い取って、これをどこだかに移住させる予定であることを、公的な書類に書き記し終えて、これが街中の噂になったのでした。多くの人々は、四百人もの農奴を買い取って移住させるなんて、それはたぶんチチコフはよほどの大金持ちのすごい地主なんだろうと、勘違いします。実際には死人たちを安価に買い取っただけなんです。
 データを右から左に移動させて利鞘を稼いだりするだけの空虚な仕事の人が、すごい尊敬されてしまう、それはいったいどういうことなんだ、というような現代的な問題も、ユーモラスに示唆されて取り上げられているように思いました。
 たとえ虚業まるだしであっても、ここまで良い噂が立つような経験というのは1回くらいは体験してみたいもんだと思いました。ただチチコフはこんご、ウソが完全にバレてしまって、破綻する可能性がたいへんに高いわけで、これからいったいどうなるんだろうかと思いながら読みすすめていたところ、粗暴なノズドゥリョフが現れて、チチコフの悪事を婦人連と閣下たちの目の前で暴き立てたのでした。
 ところがノズドゥリョフは常日頃からひどい虚偽を言いつづけてきたので、どうも「チチコフが死んだ農奴を蒐集している」というのはデマだと言うことで、この謎のデマ(じっさいには事実)は広まり続けたのでした。大嘘つきと大詐欺師の闘いは、悪評合戦としても展開してゆきました。
 死んだ農奴はあまたに蒐集された、という話を聞きつけたコローボチカおばあさんは、死者の農奴の値段について調べてみたりするのでした。次回に続きます。
 

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死せる魂 ゴーゴリ(7)

 今日は、ニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」第7章を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 恋人たちの親愛の情を描き続けた画家シャガールが、このゴーゴリの「死せる魂」を愛読していて、戦後3年の1948年ごろに、すてきな装画の数々を残しているんです。それはネットでもいちおう見ることが出来ます。
 本作では、ゴーゴリはダンテの『神曲 地獄篇』に見立てて物語を構成していますが、ゴーゴリが描きたかったのはダンテの地獄というよりも、シャガールが愛するような、牧歌的な農民たちであったように思います。シャガールの描いた「死せる魂」こそが、ゴーゴリの物語世界のイメージに相応しいんだと思いました。
 この物語の主人公であるチチコフは信用できない仕事をする詐欺師男で、作者のゴーゴリはいったいどういうように思って、この小説を書いているのか、そのことそのものが今回の第7章の冒頭で記されてゆきます。
 ゴーゴリは、作家の苦難というのを描くんです。人間社会の内奥を冷淡に暴き出す作家は、非難と悪罵を浴びることになる、とゴーゴリは書き記します。詐欺師チチコフと偉大な作家にはどこか、共通項があります。主人公チチコフは、ついに死んだ農奴の戸籍を四〇〇人分ももらい受けたのですが、1人もどこにも居ないんです。書類上だけ存在する農奴なんです。
 ゴーゴリはこの奇妙な主人公を書くときに、こう思っています。本文こうです。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(7)
 わたしは不思議な力に引きずられて、まだこれから先きも長いこと、この奇妙な主人公と手に手を取って進みながら、巨大な姿で移りゆく世相を、眼に見ゆる笑いと、眼に見えず世に知られぬ涙をとおして、残る隈なく観察すべき任務を負わされているのだquomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(7)
 
 ゴーゴリは架空の世界を描きだすことを「観察する」ことだと、述べているんです。生き生きとした人物像をつくりだすのに、こういう感覚で創作しているんだろうなあ、と思いました。
 詐欺師チチコフは自分の買い取った農奴の名前を見てみるんですが、どう考えてもこれは偽の名前だろうというものも混じり込んでいる。逃亡者も買い取ったので、監獄に入っているはずの者の名前さえある。窃盗犯の名前もたぶんある。めちゃくちゃな名簿なんです。チチコフは名簿の名前だけを見ていろいろでたらめに空想を繰り広げています。
 第7章になって、ひさしぶりに地主マニーロフと再会します。詐欺師チチコフのことをちゃんと親友だと思ってくれているのは、このマニーロフだけかと思います。彼は人が良いので、チチコフの悪性がほとんど見えない。
 今回の詐欺師チチコフの、役所での届出に関しては、なかなかスリリングな描写に思いました。
 チチコフが買い取ってきた農奴たちなんですけれども、これがついに公式に登記される。てきとうに集めていたものが、広い世間の前に出ることになる。これは……こういうことは詐欺をしていない人でも、こういう緊張感はどういう職業の人でもあると思うんです。不法行為はしていなくても、誰でも不誠実なことはどこかでしているわけで、そういうのを隠しながら表だった仕事をしなきゃいけないとか、好き放題自由に仕事をしていた人が新聞記事になったとたんにその仕事の欠陥をスクープされてしまうとか、いつの時代でもあり得ることだと思うんです。チチコフは存在しない農奴たちを買い取ってきてこの名簿を所長に見てもらって登録してもらう。この場面は興味深く読みました。作者のゴーゴリこそがまさに、この小説をロシア帝国の検閲官に読んでもらって、この出版許可を取らなきゃいけない。ほんとうの緊張感というのがここにあるんだと思いながら読みました。この第七章は白眉の展開であったように思います。虚勢をはったり、対立があったり、自分の実力以上の仕事をする場合は、チチコフみたいな状況には、陥るはずだと思うんです。
 詐欺の真相である「生きているように見せかけているけれども、ほんとうは死んでいる農民たち」というのは、名作文学のそもそもの構造でもあるわけで、古典は死者の言葉であるわけで、そこの記載でもの悲しさもあるんです。冥婚にも似たなにかが、古典文学の中にあると思うんです。ダンテは死者ウェルギリウス(ヴァージル)を生きてすぐ側にいる師匠であるかのように描きだしました。ゴーゴリは「死せる魂」の生きた記憶、つまり農村のありさまを物語全体で描いていると思うんです。
 全文を読む時間が無い場合は、今回の章だけを読むのも、この物語を理解するのにずいぶんお勧めできるかと思います。
 主人公チチコフは、詐欺活動を上手く進行させることができて、なんだか喜んでいるのでした……。
 

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死せる魂 ゴーゴリ(6)

 今日は、ニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」第6章を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 第六章に入って、書き手である「私」の幼少時代が語られ始めるんです。「さて主人公のチチコフは……」という文章が来るまでは、作者の独白のように記されていて、他の物語部分とはずいぶん雰囲気がちがうんです。
ダンテ『神曲 地獄篇』にて描きだされた、主人公ダンテが地獄をすみずみまで遍歴する、という方法を、ゴーゴリがこの作品でコラージュしていて、描かれています。牧歌的なところのある農村をどうしてダンテの地獄に見立てたのか? というのが謎で、そのあたりを気にしながら読みすすめているところです。
 この物語の書き手である「私」が、この第六章ではじめて、ダンテ『神曲 地獄篇』に登場するダンテみたいに、物語内部に顔を見せました。そこで「私は旅行馬車から鼻を突き出すようにして」人々の貧しい暮らしをじっと観察していた。そうして、貧しさの中にある家族の暮らしを夢想し続けた。幼い私は、冷ややかさというものを持たなかった。情熱的に、見知らぬものへの空想を広げて、そのことを物語中盤になって、一五〇〇文字くらい使って脈絡も無くいきなり熱く語っているのでした。
 当時のロシアでは「死せる魂」というのは、死んだ農奴のことを「魂」という言葉として使っていたそうなんです。ロシア語の原文はМертвые души(Myortvye dushi)で直訳すると死んだ魂です。デッドソウルという題名なんです。dushiが魂で、たましいというのは当時の農奴を意味していたそうです。生きる糧をあまたに作る百姓で、そのことをたましい、と言いました。
 主人公のチチコフは、生きる糧をつくる暮らしとはとうてい無関係な、死んだ農奴の戸籍だけを買い集めていっています。どう生きたのかとかはどうでもよくて、数だけ欲しいんです。これ二〇〇年くらい前の物語としては、ちょっと現代的な話しで、主人公チチコフは、データでものを考えようとしているんです。もう物体としてはなにもないところのものに夢中になっている男なんです。人間の「鬼籍」のデジタル部分だけを手に入れようというわけなんです。完全な数値のみの「たましい」というか魂の抜け殻を欲していて、地獄のようなところを通りぬけて泥まみれになりながらこれを集めているのがチチコフなんです。
 チチコフがやっている詐欺はそのまま、権力者が貧者から税金という数字だけを吸いあげているさまとよく似ていて、合わせ鏡になっています。ゴーゴリの時代の百数十年後にはじっさい、ウクライナとロシアの間でホロドモールという国家主導の大飢饉が起きています。
 貧しさの中の苦なり、個々の生活の幸福のありさまをえんえん見ている権力者なら、緊急時には国庫から貧者に向けて適時、資金を配当するはずだと、思うんです。ゴーゴリは貧しさの中にある人々の俗な生きざまをとにかく描こうとします。
 チチコフはどうしてか、汚臭まみれの泥まみれのハエまみれになりながら、この「鬼籍の数だけ欲しい」ということを辞めないんです。しかも、彼はそのことをあまり意識していないし、ほとんど記されません。彼にとっては鬼籍の数を多めに集める、これが幸福に繋がるはずだという強い思いがあるようです。そんなことで幸福が生じるはずが無いんですけど、どうも盛んにこれを集めつづけています。
 ゴーゴリは当時、どういう影響の元で物語をつくっていたのかというと、この物語を書く手前に亡くなった大詩人プーシキンへの思いがある、というように伝記に記されていました。武人でもあったプーシキンは祖父の家が黒人奴隷だったそうで、奴隷が解放されて市民権を得てゆく過程の家系のなかにあって、詩人に育っていったそうです。
 ぼくはプーシキンのこともロシア語のことも、ゴーゴリの生まれ故郷である当時のウクライナのことも、ほとんどまったく知らずに五里霧中で、この小説を読んでいるところなんですけれども、ちょっとだけ調べてみて分かったのは、ロシア文学は、まずプーシキンがあってそれに影響を受けたゴーゴリが『外套』や『死せる魂』を書いて、そのすぐ次の世代がドストエフスキー・トルストイ・ツルゲーネフなんだそうです。
 近代ロシアといえばプーシキンが絶大に有名なんだそうです。プーシキンよりも前に、特別な文学者が居るかというと、それほど居ないらしいんです。コトバンクという辞書を見るとどうも、ロシア文学は、プーシキンから始まったみたいなんです。時代で言うと漱石の百年前くらいです。日本の場合は漱石が近代文学のはじまりあたりでいちばん有名ですけど、その五〇〇年前とか一〇〇〇年前に「源氏物語」や「万葉集」や「方丈記」というようにいろんなものがあると思うんですけど、どうもロシアの場合は、1800年ごろのプーシキンが文学の始祖みたいになっているようです。
 ダンテ『神曲・地獄篇』への思いと、偉大な詩人プーシキンへの思い。この2つの思いが混じりあって、詐欺師チチコフによる地獄の鬼籍の蒐集の旅、というものが描かれていったようです。
 地獄といっても、どうにも牧歌的で、ダンテ神曲地獄篇の世界観とぜんぜんちがっています。ゴーゴリは情景描写が詳細で、これを読んでゆくのが面白いんです。人間の仕事と大自然が混じりあって、人類と自然界の境界線がとけて消え去ったようなところも、記されてゆきます。本文こうです。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(6)
 園のいちばんはずれには、他の樹木とは不釣合いに背の高い白楊はこやなぎが四五本、そのさやさやと揺らめくおのおのの梢に大きな鴉の巣をのせている。その白楊の中には、枝が引き裂けたまま、幹からすっかり離れもせずに、病葉わくらばと一緒にだらりと下へ垂れさがっているものもあった。一言にしていえば、何もかもが素晴らしかった。それは自然の風致も人工の妙趣もついに及ばず、ただその両者が結びついた時にのみ見られるさで、人間がああでもないこうでもないと、ややもすれば無意味な苦心を重ねた後に、自然が最後の仕上げの鑿をふるって、重苦しい塊まりを崩し、赤裸々な構図の見えすいている野暮な正しさや惨めな欠陥を除けて、きちんと寸法を測ったように清楚なだけが身上の血の気のない人工に、いみじき暖かさを添える時、初めて生まれる美しさである。quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(6)
 
 こういうところを通りぬけて、チチコフは、死んだ農奴の魂を買い取ろうと、死がもたらした荒廃の中へと分け入るんです。本文こうです。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(6)
  我等の主人公はついに地主館の前へ出た。正面から見ると、それは一層いたましい姿であった。柵や門に使ってある古い木には、もうすっかり青苔がついていた。下人部屋だの、納屋だの、穴倉だのといった、明らかに老朽した建物の群れが前庭を満たしており、その両側には右と左に別の庭へ通ずる門が見えている。すべてが、この邸でかつては非常に盛大に農産経営が行われていたことを物語るだけで、今は何を見ても陰気くさいばかりだ。quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(6)
 
 主人公は、荒れ尽くしている館に立ち入って、死せる魂を買い取りたいと述べるのでした。ゴーゴリは、農村のさまざまなありさまを、ほんとうにこまごまと多様に、えんえん描写しつづけるんですよ。枝葉の生い茂りようが、すごいんです。この長大で、いっけん冗長な情景の連続が読んでいてほんとに、長詩だなと思いました。こういうのもまさに詩なんだと思いました。
 優れた映画と同じで、十秒間のダイジェスト版動画広告でもそのすごさは見えるわけですけれども、映画体験にはならないわけで、ゴーゴリの本を堪能するにはまず、氏の敬愛するプーシキンの主要作品を何冊も読んで、ロシアとウクライナの古いままのひとけのない農村のありさまをYouTubeでしっかり見ていって、ゴーゴリの「外套」を読んで、ついでに本作のモデルとなったダンテ神曲地獄篇を読んで、ゴーゴリの「死せる魂」の全文を全ページ読んでみると、これでゴーゴリの文学世界に耽溺したことになるんだろう、と思いました。ぼくはプーシキンもロシア語もまったく知らないまま読んでいるところなんです。どうしてこれがダンテ『神曲・地獄篇』に匹敵する地獄なのか、どういうことなのか、謎だなあと思って読んでいたことの内容がやっと中盤で見えてきたように思いました。
 詐欺師チチコフは、流行り病で亡くなった百二十人もの死せる魂を大地主のプリューシキンから買い取ろうと「災厄のために死んだ農奴全部に対する納税の義務をこの身に引受けたい」と言うのでした。チチコフには暗い秘密があるのですが、これは推理小説の設定上、主人公がこれについてなにも言わない、なにも思わない、物語のご都合主義でそういう仕組みになっているのかと思っていたのですが、どうもチチコフは、自分がいったいなにをしているのか、本人にも分からないで動いているようなんです。詐欺の内奥の真相をほとんど言語化できず、ほとんど考えることが出来ないまま、詐欺を行っているようなんです。
 美味しいリンゴを作る、それを売って健康と幸福をひとびとに分け与えて、作り手の農民も豊かになる。幸福を作って幸福を増やしている、そういう目に見える豊かな農村の世界とちがって、チチコフは五里霧中で、今いったいなにを儲けているのかもさっぱり見えず、悪事を悪事と気がつかずに行っているようなんです。
 儲からない仕事をしている自分としては、チチコフはどうにも強烈に印象深い存在に見えるんです。チチコフのようには生きてはならないと、思うんです。チチコフが問いかけると、大地主は、逃げだした農奴があまたに居るんだということを述べるんです。それもチチコフは欲しがって手に入れてしまう。もうほんとに外殻だけなんです……。
 次回に続きます。
  

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追記
地主から逃げていった農奴が何人もいて逃げるほどひどい人権の侵害があったはずなんですが、チチコフはまるで気にすることもなく、そのどこにも居ない農奴さえ買い取って喜んでしまう。”Dead Soul”の次に“No where man”を手に入れているんです。”Rubber Soul”をつくったBEATLESって、もしかしてゴーゴリの『死せる魂』を愛読したのかもしれないとか、いろいろ関係ないことを空想しました。
BEATLESの”Back In The U.S.S.R.”の歌詞を読んでみると、ウクライナの女の人たちについて歌っていて、奴隷差別撤廃の公民権運動も深く関わる「わが心のジョージア」をロシア人女性に聞いてほしいと言っているんですよ。これはもう明らかにかなりの高確率で、BEATLESの誰かがたぶんジョンレノンが、ゴーゴリの「死せる魂」を愛読していたんだと、ぼくには思えました。この目の前にあるこの本を、ジョンレノンが英語で読んだのでは……読んだかもしれないです……。

死せる魂 ゴーゴリ(5)

 今日は、ニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」第5章を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 前回、ギャンブル狂のノズドゥリョフにだまされてリンチされそうになったところ、ぎりぎりで逃亡できた主人公チチコフは、次の村へと馬を走らせています。馬車には従者もいます。
 日本人とロシア人の特徴的な違いのわかる描写があったんです。道で激しくぶつかってしまった、そのときに……「ロシア人の癖でこちらが悪かったと他人の前へ頭をさげることが出来ず」虚勢をはるんだそうです。日本人はとにかく「ごめんください」から「すみません」からお辞儀から謝罪会見に土下座と、謝罪がとにかく好きだというのがあると思うんです。ロシアでは強気に出て、問題がこんがらがりがちのようです。
 ぶつかって転がってしまった二つの馬車なんですが、御者二人は口論になる。向こう側には若い娘が乗っていました。本文こうです。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(5)
 吃驚びっくりして軽く開けたままぼんやりしている口つきといい、涙ぐんだ眼もとといい——何もかもがまたなく可愛らしく見えたので、我等の主人公は、馬や馭者たちの間に起こった悶著もんちゃくなどはすっかり他所よそにして、しばらくはうっとりと娘に見惚れていた。quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(5)
 
 今回、なぜゴーゴリが、この農村の牧歌的なところのある物語をダンテ神曲地獄篇に匹敵する、悪行と苦果の書として記そうとしたのか、その謎のヒントが記されていると思いました。
チチコフは、幻のように去っていった無垢な少女に見とれ……その少女が成長してゆく姿を空想するんです。本文こうです。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(5)
 いつの間にか威張ったり気取ったりすることを覚えこみ、聴き覚えの教訓にしたがって身を振舞い、誰とどんな話を、どの位したらよいかとか、誰をどんな風に見たらいいかというようなことばかりに工風くふうを凝らして頭を悩ましたり、自分が少しでも余計なことをしゃべりはしないかと、しょっちゅう、そんなことが心配になるのだ。そして挙句の果にはすっかり自分でこんぐらがってしまい、とどのつまりは一生涯嘘をついてまわるばかりの、何ともはや得体の知れぬ代物になってしまうのだ!quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(5)
 
 ゴーゴリは、ウソというのが可愛らしいものだったり方便だったり、そういうように考えていないようで、ウソが最大の悪徳だと考えているようなんです。そういえばダンテ神曲地獄篇でも、下層に行くほど罪深い罪人が現れていって第七圏の暴力者の地獄などが恐ろしく描かれていたんですが、さらに最下層の第八圏や第九圏ではなぜか詐欺師や裏切り者という、ウソを悪用する人間がもっとも罪深く描かれているわけで、ゴーゴリはその詐欺師と裏切りについて、描こうとしているんだなと思いました。
 ウクライナの近現代史でも、権力者のウソというのが人々に致命的な害をもたらしていったわけで、文学でいうと『1984』でも大規模な権力がとんでもないウソを作り出すところを描きだしています。
 少女や従者や詩人のウソというのはなんだか面白いものだと思うんですが、権力者のウソというのは致命的な害をもたらしかねない。
 ゴーゴリは死せる魂を買い取るという詐欺を行いつづけるチチコフを通して、権力とウソのおそろしさを描こうとしているのか……と思いました。ロシアでは都合の悪いことがあると、悪事を強引に正義にすり替えようとする。日本の場合は謝罪の過程で大きいウソが入り混じる、という特徴があるのでは、と思いました。
 いよいよ詐欺師チチコフは、大地主のソバケーヴィッチのところへ辿りつきます。ソバケーヴィッチは売れるはずの無い鬼籍の魂を、幾らで買うのか、幾らで買うのかと、議論を繰り返し、金はどれだけ出せるのかという話しをえんえんやるのでした。ようやっと買い取れてから、チチコフは流行病で亡くなった村人の住み家へと、身をひそめながらゆくのでした。ハエのたかるおぞましい世界で、こんなひどいハイエナのようなことをしてまで、個人的幸福をつかまなければならないのかと……衝撃を受けつつ読みすすめました。次回に続きます。
 

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死せる魂 ゴーゴリ(4)

 今日は、ニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」第4章を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 あらゆる人から「死せる農奴」を買い取ってきた詐欺師チチコフは、こんどはノズドゥリョフという粗雑な地主とめぐりあいます。このノズドゥリョフは酒を飲みまくる、ウソを言いまくる、イカサマ賭博をしつづける、なんでも奪おうとしていろいろ奪われる、暴力をふるっては反撃される、という下品な男で、さすがのチチコフもこれには手こずります。今回だけは無理筋なんです。
 本来ならソバケーヴィッチのところへ行って農奴を買い取る予定だったのですが、ノズドゥリョフに言いくるめられて、彼の家を訪問することになってしまった。ノズドゥリョフは無茶苦茶な男なので、ただの脇役かと思ったんですが、本文にゴーゴリはこう記します。「ここでノズドゥリョフの一身上について若干お話しておこうと思う。というのは、この男は、おそらくこの叙事詩に於いて、決して端役はやくしかつとめない人物ではなさそうだからである。」これは物語詩でも英雄譚でもなく、叙事詩では無いはずなんですが、ゴーゴリはこれをダンテ「神曲」に匹敵するような叙事詩なんだと言いはるんです。作者のゴーゴリも、作中人物チチコフやノズドゥリョフのインチキぶりに引っぱられて、奇妙なことを書いています。
 ノズドゥリョフはとにかくギャンブル狂なんです。
 今回ついに、詐欺師チチコフが死せる農奴をなぜ買うのか、という問題の真相がちょっと明らかになってくるんです。ちょっとネタバレを避けたい人は、ここから先は読まずに本文だけを読んでもらいたいのですが……ようするに結婚式に現れる偽親族みたいな存在として「死せる農奴」を所有したいと言うことのようなんです。箔をつけるための数あわせです。読んでいて、ちょっとビックリしてしまって、チチコフはじつはオレじゃないか……とか思いましたよ。自分の場合は学歴と知力が足りないので、大人になってからネット上でみょうに名作ばかり読むことになってしまったとか、そういう感じで、箔をつけるために重大なものに気安く手を出してしまって、モンテーニュに言わせればたぶん「立派な仕事をしたつもりが、名作を横流しするのみで、紙代としての価値しか無く、翻案も稚拙で原本を台無しにしてしまっており、かえって愚かさが露呈してしまう」というような現象……。恐怖の頭取と懇意になるために妙に本棚を揃えて家に招きいれて娘さんとの結婚を許してもらうとか、そういう感じの理由で、チチコフは死んだ農奴の鬼籍を買い集めているようなんです。チチコフはこの四章中盤でほんとうのことを言っているのか、それともまだウソを言っているのかは謎なんです。
 しかし「生きる糧を作りつづけた……死せる農奴の魂」と「生きる指針を与えてくれるはずの……未読の名作」というのは、ずいぶん似ているわけで、急に読者は詐欺師チチコフと同じ状態で生きている可能性がでてくる……これに驚きました。
 ゴーゴリは物語の展開が冗長で、繰り返しが多く、文体も一般的で、現代映画や最新小説と比べると、トロい作風だと思うんですが、中盤から後半にかけての中身の凄さというのに圧倒されるところがあるんです。急に隕石が落ちてきたくらいの衝撃があります。
 この四章前半では、一生ずっとギャンブルに狂っている男の姿が描かれてこれが過激でおもしろいんですが、これって現実のドストエフスキーもそうとうなギャンブル狂いだったわけで、ロシアの2人の作家の共通項が見えたように思いました。
 ゴーゴリってどういう作品を書いたの? というのを知りたい方は、今回の第四章だけを読んでみるのもお勧めします。
 鬼籍の農奴をあまたに買い取ってきたチチコフも、今回だけはさすがに買い取れず、ノズドゥリョフのでたらめな賭博詐欺をまのあたりにしていさかいとなり、危うく殴られそうになったところで、ノズドゥリョフを逮捕しに来た警察官の到来で、この現場から逃れ、次の村へと向かうのでした。次回に続きます。
 

0000 - 死せる魂 ゴーゴリ(4)

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死せる魂 ゴーゴリ(3)

 今日は、ニコライ・ゴーゴリの「死せる魂」第3章を配信します。縦書き表示で、全文読めますよ。
 主人公のチチコフは詐欺師なんです。これが明記されるのが全体8%あたりの第1章さいごの行です。名作ではよくある、信用の出来ない主人公(道化のような主人公)の目を通して、異化された世界をのぞき見てゆく、という仕組みなんです。前回、亡くなった農奴たちを買い取る、という謎の仕事に成功したチチコフは、次の大地主ソバケーヴィッチのところへ、従者とともに馬車で向かっています。ところが酔っ払いの部下が運転する馬車が横転し、貴族チチコフは泥まみれになってしまいます。
 夜もふけて雨も激しく、野宿することもできない状態で、まったく見知らぬ村に迷い込みます。よく見ると、意外と裕福な農村なんです。そこでチチコフは、大きな屋敷に入り込んで泊めてもらい、翌朝になると、ここでも謎の仕事をしてやろうと思いつきます。
 二〇〇年ほど前のロシアでは、権力をもつ人に対してペコペコしてしまう習性があるらしいです。ほんとうなのか分からないんですけど、ゴーゴリはそう記しています。ただの冗談なのかもしれないんですが。本文こうです。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(3)
 ロシア人の中には、相手が農奴を二百人もっている地主と、三百人もっている地主とでは、話し方をすっかり変え、三百人もっている地主と、五百人もっている地主とでは、又まるで違った話し方をし、五百人もっている地主と、八百人もっている地主とでは、これまた別な話し方をするといった名人がいる。quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(3)
 
 ギリシャ神話の神プロメシュースのごとく振る舞っていた男が、じぶんよりも地位(またはお金)がある人にでくわすと「蠅よりも更に小さい、砂粒ぐらいにちぢこまってしまうのだ」というんです。
 
 ぼくはまだこの物語がどういう転結に至るのか知らずに読んでいる最中なんですけれども、チチコフはとにかく、死んだ農奴を、譲れるだけ譲ってもらって、雇えるだけ雇ってしまいたいと、考えているようです。買えるはずのないものを買うつもりでいる詐欺師なんです。魂を買うつもりなのか、なにをどう盗むつもりなのか。どういう罪を犯すつもりなのか、謎めいているのでした。本文では、死んだ農奴を買うくだりはこう記されています。80人くらいの農奴をかかえる村の女主人がこう言うんです。
「役人がやって来ては、人頭税を払えって言いますだよ。農奴は死んでしまっているのに税金だけは生きているとおりに取りたてるのです」という女地主ナスターシャ・ペトローヴナにたいしてチチコフは死んだ農奴を「十五ルーブリ」で買い取り「納税の義務は残らず私が引き受けるのです。そのうえ、登記も」済ませると言うんです。ところがどうも怪しい取引なので、ペトローヴナおばあさんはどうも気が進まない。
 
 これ……現実にもしこういう人が居たとしたら、どうかんがえてもチチコフと関わるべきではないんですよね。小銭が手に入るとしても、どうしてもなにか、言いようのない疑心というのが生じます。説明できないんだけど、逃げたほうが良い、という状態なんです。詐欺の仕組みは分からなくても、分からないなりに断ったほうが良い、という提案をされるんです。本文では、おばあさんはこう言います。
quomark03 - 死せる魂 ゴーゴリ(3)
 「それがねえ、どうも、まるで聞いたこともないような、おかしな商いだもんでね!」
 ここでチチコフは、すっかり堪忍袋の緒をきらしてしまい、腹立ちまぎれに椅子を床に叩きつけざま、悪魔を引合いに出して老婆を罵った。quomark end - 死せる魂 ゴーゴリ(3)
 
 おばあさんはまっ青な顔をしてしまいます。ひどい状態です。チチコフの本性がこの、第三章の中盤から見えてきます。ついに大ウソを言っておどしてくるんです。「キリスト教徒としての博愛心から、あんたのためを思って言い出した」「とっととくたばってしまうがいい、お前さんの持村も一緒に滅びてしまうがいい」こんな怒りの言葉を吐きます。
 怒っている人にたいして、つい不快でめんどうなので、異常な提案を受け入れてしまうんです。死んだ農奴を売り払うということに同意してしまう。怒っている人の要求というのが通ってしまう。こういう人からはさっさと離れて何も言わないというのが最善策だと思うんですが、相手は押し売り以上に強引なので、悪い話しを聞き入れてしまった。どうして通ってしまったのかというと、大きなお金がどうも動きそうだからです。女主人はちょっとした欲が出てしまったんです。そこをつけ込まれてしまいました。
 チチコフはヤバイ男なんです。その気にさせるのが上手いんです。飴と鞭を使い分けて相手を翻弄してしまう。いろんなものを買い取りますよと言うんです。「買いますとも、ただ、今じゃなく後でね。」「買いますとも、買いますとも。何でも買いますよ」と言うんですが、いっこうに金は払わないわけです。
 安定した儲けの出ていない自分としては、人ごとではない描写に思いました。こんな口のうまい詐欺師に出会ったのは運が悪かったと思うしかないのか、あるいはもっと注意深く相手を疑って生きる必要があるのか、なんだかよく分からない、謎の領域にチチコフが立っているんです。もっと正直にイヤなものはイヤだと言ってあっさり断って、去ってもらえるはずなんですが。チチコフはけっきょく、死せる農奴たちを買い取って、次の町へ向かうのでした。いったいどういう詐欺なんでしょうかこれは。今のところ、ぼくにはよく分からないです。
 

0000 - 死せる魂 ゴーゴリ(3)

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